自分がもし仮に海外旅行するとして同じ国、同じ都市に何度も行くか?というと、おそらく、そうではない。「この前はパリにいったから今度はロンドンにいってみよう!ベルリンにいってみよう!」と別の国、別の都市に行こうと考える。海外からの観光客、インバウンド客というのは、だから結局、ほとんど「一過性の客」でしょう。
コミュニティ・ツーリズムは「地産地消の観光」であり、「内需の観光」です。そのまち、地域、集落、コミュニティに住んでいる人と一緒に巡る。いわき時空散走はいわきの人たちと一緒に自転車でまちを巡っている。
同じコミュニティや隣接したコミュニティに所属している人たちと一緒にまちを巡るもんだから、一度、お知り合いになると、そこから長く関係性が続きやすい。なんせ「近い」ですから。なんかあったらすぐ行ける。リピーターにもなりやすい。
また、いわき時空散走はガイドがいません。サポーターという名の対話のファシリテーターがいて、みんなで、まちの思い出話などを語り合う。ガイドからの一方通行のモノフォニック(一声的)な場ではなくて、みんなで双方向に話をするポリフォニック(多声的)な場となる。
だから、知人になりやすい。友人になりやすい。その関係が深まると、中には、なにか一緒に活動、プロジェクトをやる仲間になったりする。
コミュニティ内に知人、友人を作ろう、仲間を増やしていこうというのが、コミュニティ・ツーリズムをやる意義であり、効果のひとつです。
僕が思うに、一過性のツアー参加者が増えても、ただただ、まちを消費するだけの訪問者を増やしてもしょうがない。あまり意味がない。むしろ、まちが大量の一過性の客に消費され、荒らされ、疲弊、疲労、混乱していくことすら起こりかねない。オーバーツーリズムの問題というのは、そういう「一過性の客」ばかりが増殖し、コントロール不能となったことで発生します。
それよりも、一緒になって、まちに生きる知人、友人、まちのために活動する仲間を作ろう、共にまちを楽しもう…というのがコミュニティ・ツーリズムであり、いわき時空散走です。
ありがたいことに、いわき時空散走はどんどんとサポーターが増え、マップが増え、ツアー参加者が増え、着実に、確実に、知人、友人、仲間、同志のネットワークが広がっているし、深まっているし、盛り上がっていってます。ほんまに嬉しいことです。
また、宮崎県えびの市でもいろんな方とのご縁があって、えびの時空散走の取り組みが始まってます。
時空散走は、自分であれやこれやと考えて、いろいろとプランして、スタートしたんですが「あれ?これ?結構、いろんな地方で使えるし、地方のまちづくりに非常に重要なインフラで、必要ちゃう?」と思ったんですよねぇ。汎用性が高いし。
なので、今回「時空散走憲章」という形で、いわき時空散走サイトでも公開してみました。コミュニティ・サイクル・ツーリズムの理念、思想、哲学、概要、方法論が伝わって、いろんな地方なりの時空散走が始まってくれたらうれしい。始まってほしいなぁと考えています。
■いわき時空散走:「時空散走憲章」大公開!
https://jiku-sanso.jp/report/2025/06/23/978/
「国民とは同じ新聞を読んでいる人たちである」というのがベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』理論。
かつての新聞は、しかし「場のメディア」「共有のメディア」であったことは忘れてはならない。新聞はコーヒーハウスで、新聞縦覧所で、家庭内で、「回し読まれるメディア」であった。決して「個」だけでは完結しない。
新聞は「顔が見える関係性」の中で、その近接性の中で回し読まれて、共に語り合うメディアであった。新聞そのものは「エクリチュール(文字のメディア)」であるが、実は「パロール(声のメディア)」であったともいえる。「新聞」が「新見」や「新読」でなく「新聞」という表記であることは、新聞が対話、会話のツールであり、「音声メディア」であったことの本質を突いている。
ネットメディアは場ではなく、個で完結し、また匿名的なものが大半です。「顔が見えない関係性」の中で文字のやりとり、応酬が繰り広げられる。そして文字というのは、なかなか情感が伝わらない。
これが声のやりとりならば、その声量や声の高低、声色、声の調子やら息遣い、間といったフィジカルな要素があって、「言外の言」的なニュアンスが相手に伝わったりしますが、ネットメディアでは、それらが削ぎ落とされてしまう。非常に冷淡で、無味乾燥で、人間味がないやり取りに見えてしまう。
ネットメディア上のやりとりの多くが、なんとなく対立的で、対峙的で、闘争的に感じられるのは、メディアとして近接性がなく遠隔性のメディアだからでしょう。
川のあちらとこちらで石を投げ合って、お互いの味方同士で相手のことをバーカバーカといいあっているような、不毛なネットメディアのやりとりが多い気がするのは、このネットメディアの「遠隔性」にあるのではないか?と思います。「近接性の場」がない状態で、人が何かやり取りをしても、なかなかわかりあえることは少ないようです。
まわしよみ新聞は、みんなで場に集まって、新聞を持ち込んで回し読むという、新聞が本来、持っていた「近接性のメディア」としての役割を再現、試してみようという社会実験のデザインです。
遠隔的で個のメディア(ネットメディア)全盛の時代ですが、だからでこそ、近接的で場のメディア(まわしよみ新聞)を体験してみることで、いろいろとメディア特性について感じたり、考えたりすることもあろうかと思います。
そんなことをして一体、何の意味があるの?という疑問もあるかもしれませんが、個人的には、現在のネットメディア時代は個個の対立を拡大、肥大化させて、それが結局、分断政治の温床になっているように感じています。
近接性の場のメディア(まわしよみ新聞)を体験することで、国民(想像の共同体)意識とまではいいませんが、コモンズ(共異体)のようなものは確実に芽生えてきます。分断でなくて共鳴、共振、共感のメディア体験であること。そして、それこそが民主主義の要であり、涵養に繋がるのでは?と僕は思っています。
全国まわしよみ新聞サミットは、7/21(月祝)に横浜・ニュースパーク(日本新聞博物館)さんで実施されます。
まわしよみ新聞未経験者、初心者も大歓迎で、お子さんの参加もOKです。すでに親子、小学生の参加申し込みが何名かあり、小学生新聞などもご用意頂きます。
毎年、日本全国各地から参加者がきて、いろいろとまわしよみ新聞を介して人的交流、知的ネットワークが芽生えています。ぜひともご参加してください!( ´ ▽ ` )
大阪市の中央図書館にて大阪市公文書館の出前展示。環境がテーマの展示だが、これは確か以前に公文書館でやったもの。図書館予算がないからか公文書館の展示を回している?
大阪市は明治28年に桜宮に近代的な都市水道を設置するが、それまで大阪市民はコレラ、腸チフス、赤痢などの伝染病の蔓延に苦しめられ、戦々恐々と暮らしていた。
長い鎖国時代で日本人は外来の細菌、ウイルスに全く免疫がなかった。しかし黒船来襲以降の文明開花で外国人が多数、日本にやってきて、また外国人は平気でゴミやら糞尿やらをそのまま川などに流す。
江戸時代は大阪の大川、東横堀川、西横堀川、長堀川、道頓堀川ですら上水道であり、町衆は平気で道頓堀川の水を飲んでましたから。絶対に川の水を汚したりはしなかった。ゴミは紙屑屋に、人間の糞尿は大切な金肥で肥屋が持って行った。完全リサイクル社会やったんですわ。だから都市のど真ん中の道頓堀川の水でも綺麗で飲めた。古い文献には四ツ橋あたりは名水どころであったなんて話もあります。
それが外国人の襲来であっというまに川の水が汚染されて、病原菌が撒き散らかされて、日本人が多数、亡くなった。大阪市の場合、コレラは明治19年の大流行では7878名罹患して6537名が死んでます。致死率はなんと82.9パーセント。
数年前に新型コロナがなんやかんやと大騒ぎでしたが、致死率は全体では数パーセントほど。致死率80パーセント超えのコレラに襲われた当時の大阪市民のパニックと恐怖はいかほどであったか。近代的な上下水道の設立は緊急の課題でした。なので桜宮に水道が設立されるわけですが、都市水道の普及と共にコレラなどの伝染病は沈静化していきました。
その大阪市民の命を守ってきた水道管も近年はあちらこちらが老朽化しておるそうでして。いまや大阪市の水道管老朽化率は日本ワースト1位。何十年もこの問題は叫ばれているんですが、いつまでたってもなかなか改善しません。維新行政はそういう地味なインフラ整備とかにはまるで興味がないようで。
都市防疫は重要な政治、行政の仕事や思いますがね…。
「家電(いえでん)」でカノジョの家に電話をするわけですが、大体、カノジョのオカンが出るわけですよ。秒でオカン、子機とりますから。ものごっつう早い(娘が子機もってるときは親機でとる)。僕が電話かける時間とか大体、わかるんですな。あれ、なんでしょうな。オカンの直観。そしてオカンが娘の名を呼ぶときの、あの、勝ち誇った感じ。
「ポケベル」は、まぁ、大体、これまた文字化けしてるんで、解読する必要があるんです。文字表みて、なんて送ってきたか?を解読して、どうでもいいことだったり、甘ったるい言葉だったりするんですが、そういうのに一喜一憂する時代。
「PHS」は家の中では電波が弱くて、だから、窓になるべく近づいて喋らないと声が届かない。冬は寒いし、夏は虫とか寄ってきてね。大変でした。
「ガラケー」でようやく普通に電話できるようになりますが、あんまり話してると金かかるんで、5分間の無料通話のあいだでしゃべるんです。長くなる時は5分ごとに何度もかけなおす。
「ガラケー」も2台目あたりから、世の中がショートメールで意思疎通を図るという時代になりまして。どうでもいいことをメールで送りあうという文化の浸透。それとともに「通話する」ということが徐々になくなっていく。携帯電話というか携帯メールになる。
「スマホ」になるのは30代超えてからで、格段に、どこでもネットが見れるようになりまして、その結果、24時間、ネットサーフィンするか、もしくは仕事もできるようになる。暇つぶしとハードワーカーと二極化していく。スマホ依存が病的に進行する。遊ぶ道具と仕事する道具が一緒というのが、そもそも、いろいろと間違いの元。
10代、20代、30代と多感な時期に、次々とデバイスが変わっていくという経験ができたのは、じつは僕ら世代の強みではないか?と思ってます。「いきなりスマホ」から始まると、その「デバイスならではのコミュニケーションがある」ということがわからない。
家電には家電の、ポケベルにはポケベルの、PHSにはPHSの、ガラケーにはガラケーの、スマホにはスマホの良し悪し、一長一短、特性、特徴、特質、特色というものがあるわけですよ。わざわざ、あえて手紙で書いて送るから、伝わることがある。
そういうデバイスならではのコミュニケーション特性に注目して、生まれてきたのが「まわしよみ新聞」とか「直観讀みブックマーカー」とか「当事者研究スゴロク」とかの一連のコモンズ・デザインですから。
生まれた時から、最初っからスマホ世代だと、なかなか、そういう各デバイスが持っている面白さ、可能性、潜在能力に気づくということがないかもしれません。絶対にないとはいわないが、なかなか、気づかない。
レコード→カセット→CD→MD→iPod→スマホとかね。8ミリ→レーザーディスク→ビデオ→DVD→YouTube→スマホとかね。とかく、デバイスの変革期、過渡期、端境期であったことは、僕の人生の彩りというものです。
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■「全部通ってきた」「分かりすぎてつらい」 時代の移り変わりを感じる1枚が話題
https://grapee.jp/1955172
「時空散走」の基本的な考え方、方針、ベクトル、方法論などをちょっと10か条に纏めてみました。「憲章」とか、ちょっと大袈裟ですがw
でも、何事も言葉にするのが大事ですから。言葉で、言霊で、世界は動きます。回ります。
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■時空散走憲章
①時空散走は日本初のコミュニティ・サイクル・ツーリズムです
②時空散走はコミュニティ、地域、地元の人たちの参加を主目的とする「地産地消の観光」「内需の観光」です
③時空散走は「駅」「バス停」など公共交通機関を出発地点としてツアーを組み立てます
④時空散走のツアーは約10キロ以内でウォーキングでも可能な範囲に設定します
⑤時空散走はツアー資料として地域の歴史、文化、物語を可視化(見える化)するイラストマップを作ります
⑥時空散走のツアーは参加者がガイド=話し手となり、まち、地域、地元と自分の関わり、ご縁、思い出話などを語り、それを全員が共有するツアーにします
⑦時空散走のツアーには地元にゆかりのあるサポーターが同行し、ツアー参加者の話を促すファシリテーター、聞き役を務めます
⑧時空散走のツアー参加者は自転車の初心者を想定していて、普段、自転車に乗ってない人の参加をこそ大歓迎します
⑨時空散走は地域愛、地元愛、郷土愛を涵養するツアーです
⑩時空散走はオープンフリー、オープンソースで、このツアーシステムは日本全国各地、いつでも、どこでも、だれでも自由に展開することが許されています
【えびの時空散走】「えびのってどこですか?」と大阪の人によく聞かれるようになりましてw まあ、なかなか大阪の人にしてみると、えびのは縁遠いですから。たぶん、福島県いわき市ぐらい縁遠いw
位置としては宮崎県の最西に位置するといいますか、熊本県と鹿児島県に面していて県境です。宮崎県の地図をみると、ちょっとはみ出した感じでえびの市があることがなんとなく伺えます。
歴史的には島津氏との関わりが深く、江戸時代も薩摩藩領でした。大阪の人にはこの辺の「藩の感覚」なんてのがまるでわからなくて、「あそこは◯◯藩だから」みたいな言説が平気で令和時代に飛び交っているのを聞いて度肝を抜かれる…みたいなことが往々にしてあるんですが、歴史的な経緯として270年以上、日本の土地は「藩」で括られていましたから。まだ150年ほどの実績(?)しかない近代国民国家よりも、土地や人に及ぼす影響は遥かに、まだまだ大きいようです。
大阪みたいに、長く天領で、ほぼ町衆の自治に任されていた…みたいな都市は日本全国探しても、まあ、ありません。逆説的にいえば、藩(天領)意識がまるでないのが大阪の特徴といってもいいw
えびのは、だから島津氏、薩摩藩領であったので、文化的には宮崎文化圏というよりも鹿児島文化圏といってもいいぐらい、鹿児島の文化風俗が色濃く定着してます。
「ほしゃどん」(拝み屋さんみたいな民間宗教者です)、「田の神さぁ」(薩摩藩領で盛んな農業神への信仰)、「ナンコ」(薩摩で流行していた飲み会での遊び)、「ゴッタン」(薩摩の民間楽器)などなど。薩摩由来だと思われる文化がいろいろとえびのには息づいてます。
また、えびので最も有名なゆかりの人物というと「鬼島津」の島津義弘公が真っ先に挙げられるほどで、義弘公は統治者として長くえびのに君臨していたんですな。えびのの位置が、ちょうど宮﨑(日向)、鹿児島(薩摩)、熊本(肥後)の三國の境ですから。ここを押さえておかないと戦略的に非常にまずい。南九州制覇の要なんです。だから、島津氏最強武将の義弘公の領地となった。
実際に「南九州の桶狭間」なんていわれることもある木崎原合戦(薩摩・島津軍VS日向・伊東軍)が行われたのが、まさしくえびので。伊東軍は3000の軍勢でえびのに進出しましたが、わずか300の軍勢の島津義弘軍に大敗北を喫し、それがキッカケで伊東氏は没落していき、島津氏が、ついに南九州制覇の悲願を達成する。
えびのの学校では薩摩弁の授業なんかもあるらしく、それは将来、大人になって鹿児島で仕事することもあるが、そのさいに薩摩弁をちゃんと覚えておかないと、いろいろと支障が出るので、そのために覚えたりするとか。まあ、自分たちのルーツとして薩摩、島津というのを忘れるなという郷土愛教育でもあるのでしょう。
宮崎県内のはずですが、えびのには主要な、大きな神楽がないというのも、やっぱり歴史的、文化的に、薩摩・島津との関係がより濃かったことが影響してるんではないか?と思ってます。宮﨑県ですが、鹿児島的であること。これが、えびのの、ちょっと面白い、ユニークな部分です。
あんまりまだリサーチできてないのですが、おそらくえびのの位置的に、肥後(熊本)文化も流入しているはずで、その辺のことも、もうちょっと詳しく調べていきたいところです。人はいろいろと来ております。交流している。えびのの松原宿(人吉街道の宿場町)の人たちは、映画をみにいくというので、朝早くから家を出て山を越えて人吉の映画館にいった…というような話もあるので。帰りの山道は真っ暗闇だったそうですがw
人が交流するところは面白いですな。そういえば、えびの(京町温泉)では居酒屋で馬刺しが出るんですが、これがなぜか冷凍のまま食べるという不思議な馬刺しでw
熊本の馬刺し文化が、えびのに流れて来ているということなんでしょうけど、なぜか冷凍になっている。もしかしたら熊本・人吉からえびのに住み着いた人がいて、故郷の馬刺しを食べたいけど、やっぱりちょっと遠くて冷凍で届いてしまう。そして、その解凍が待ち遠しくて、冷凍のまま食べるようになったりしたのかもしれないw この辺はよくわかりませんが、冷凍馬刺し、なかなか、他では味わえないメニューです。
アクセスとしては、宮崎空港からは車で2時間ほど。じつは鹿児島空港からの方が近くて、バスなんかもあるようです。1時間ぐらいでつくとか。だから大阪、東京から来る人は、鹿児島空港経由で来ることをオススメします。
僕もそちらの方が早いのかもしれませんが、仕事(えびの時空散走)のクライアントが宮崎県ですから。宮崎県に仁義きらんといかんということで、わざわざ毎回、宮崎空港を使っております。
宮﨑空港からえびのに向かうルート上にある小林市のやまちゃん農園のアイスクリームを食べたいから、わざわざ宮﨑空港→小林→えびのルートを選んでいるとかではない!w
あ。今年、「えびの時空散走ツアー」を10/18(土)19(日)に実施予定です。サポーターは地元でコミュニティ・スペース(大溝原簡易郵便局にて)を運営している下原田さんと、えびの出身でライター、編集者として活躍しているグンジさん。僕ももちろんツアー同行しますが、同じくツアー同行する、えびの時空散走事務局長のことりさんが、もはや、えびのの人以上にえびのの人たちに親しいコミュニティ・ネットワーカーになってますw
ルートは宮崎空港からでも、鹿児島空港からでも、どちらでも構いませんので。ぜひとも遊びに来てください!( ´ ▽ ` )
【えびの時空散走】えびの・飯野の八幡神社さんには「雷(カンナレ)ナンコ」という不思議な水神さまへの神事、祭礼があります。
享保水路という江戸時代、享保年間に作られた農業用水路があり、この水のおかげで、えびのに新田が開発されて、いまも盛んに米作り、野菜作りが行われています。まさにえびのの命の水です。
なので五穀豊穣の感謝と、今年もよろしくお願いしますということで、毎年、5月に水利関係の方々が水路の水源地の水神さまにお参りにいくんですが、その中で実施されるのがカンナレナンコです。
カンナレナンコが行われる水源地(えびの市ではなくて隣の小林市にあります)は不思議で、なぜか普段は水が枯れています。ところがカンナレナンコの神事を5月下旬にやり、すると6月頃からどこからか水が出てくるとか。そして秋になると、なぜかまた水が枯れてしまう。
雨の量とか天気なども特に関係ないそうで、なぜか6月から10月頃だけ水が出るという摩訶不思議な水源地です。なんでそうなのか?は原因不明やそうで、よくわからない自然現象なんですな。まぁ、まさしく神さまの水ということなんでしょう。
その枯れた水源地の前で、まず八幡神社の下東宮司が神事をし、そのあとに参拝者と一緒にカンナレナンコが始まります。水神さまの前の広場で、みんなで車座になり、そして榊を後ろ手に持って隣の方にどんどんと回していく。
そのあいだに車座の真ん中に雷神さま=鬼がいて、それが目隠しをして「ゴロゴロゴロゴロ…」と雷が近づいてくる音を再現し、タイミングで「ドーン!」と落命すると、その時に榊をもっていた人が次の雷神さま=鬼になります。
鬼になった人は車座の真ん中にやってきて、目の前に用意された焼酎を飲んで雷神さま(酔うことで自分でなくなる=神さまになるということなのか?)になり、「ゴロゴロゴロゴロ…」とやると、またみんなは榊を回し、「ドーン!」と雷が落ちて…というのを延々とやり続ける。そうやって焼酎を飲みながらカンナレナンコをしていると不思議なことに枯れている水源地から水が出てくるというんですな。
昔はほんまに水が出てくるまで、カンナレナンコをし続けて、焼酎を飲み続けたらしいですが、時代と共に簡略化されていき、いまは焼酎は飲んだふりをするだけです。物凄い山の中にある水源地なんで、みんな車でそこまで移動しているんで、焼酎飲んでまうと飲酒運転になってしまうんですなw
めちゃくちゃ興味深いといいますか、そんなオモロイ祭礼があるとは…ということで現地取材をしたんですが、今回、八幡神社の下東宮司や水利関係者のみなさまのご厚意もあって僭越ながら不肖、ワタクシ大阪人の陸奥賢もカンナレナンコに参加させて頂きました。いやあ、普通に楽しかったですww
これで来月にはカンナレナンコの水が出るはずですから。今年のえびののお米は、僕が参加したカンナレナンコの水も使われますから。今年の秋にえびのの新米が出たら、まぢで買おうと思いますw
※動画はカンナレナンコの様子。僕だけではなくてグンジさん、ことりさんもカンナレナンコに参加しました。改めて、下東さん、水利関係者のみなさま、ありがとうございました!m(_ _)m
※イラストはえびの時空散走のえびの飯野駅コースのマップです。カンナレナンコのことも記載しております。マップは来月、お披露目します!もうしばらくお待ちください。もちろんオープンソース、オープンフリーです。えびののコモンズ(共有財産)として、いろんな方に活用してもらいたいと思っています。
【十十王申す復活プロジェクト】いわき時空散走プロジェクトの誕生に至るまでに、僕の中では、ちょっとしたキッカケというか、ご縁というか、流れというか、前史があります。
「いわきの人たちとの出会い(田仲桂さん、霜村さん、北林さん、リケンさんなどなど)」
「江尻さんとのいわき巡り(をちこち体験)」
「十十王申す復活プロジェクトの始動」
このあたりが僕の中でのエポック・メイキングな出来事でして。とくに、かなり重要なウェイトを占めるのが「十十王申す復活プロジェクト」です。これは私淑している江尻さんとの共同プロジェクトですが、いわきという土地で、実際に、具体的に、僕自身が、プロジェクトをやってみたいと思った始まりなのですよw
それまでもいわきには何度も足を運んで、いろんな企画やワークショップ、まち歩きなどに参加してましたが、それは招聘される立場でしたから。僕はゲストの役割だったんで、まぁ、基本、大人しくしておりました。いや、ほんまに。まぢで。
いわきの人は東日本大震災以降、いろいろな経験をしてますんで、鋭いんです。ゲストで来た人間が、ホンモノかどうか、瞬時に見分けて、見破ります。怖いんですよw なので僕は戦々恐々として、黙って、聞き役に徹して、みなさま方にフルボッコにされるがままでした。その役割で呼ばれるんだろうと思ってましたからw
しかし、いろいろとあって、これは、今こそ、いわきに必要ではないか?と思って、能動的に動いたのが、十十王申す復活プロジェクトでした。「をちこち」があまりに面白く、江尻さんと一緒になんかやりたいと思ったってのもあるんですが、これこそ、いわきの、じゃんがらのアウトサイドな面白さが凝縮している巡礼や!と思ったんですわ。
じゃんがらが終わってから、しかし若者たちが有志で、まだ夜通し、十王を巡るというね。祭りの熱が冷めないんですよ。祭りが止められない。わかりますか。祭りの余熱、余波、余韻の巡礼。こんな祭礼があるとは。こんな巡礼があるとは。
江尻さんと十十王(跡地)を歩くと、これまた、よくわかるんですよ。じゃんがら、磐城平の原風景のようなものが。まちの物語といいますか、地脈に触れて、僕が、ほんまに、いわきのことを考え、どうしたいか?と模索しはじめたのは、やっぱり十十王申す復活プロジェクトをやったことが大きい。
その流れの中で、ノレル?さんからのまさかの自転車ツアーのプロジェクトのプロデューサーになって下さいというお声がけがあり(これも不思議なご縁で…。権丈さんの覚悟、寺ちゃんの直観には感服です)、いわき時空散走がはじまっていきます。
十十王申す復活プロジェクトは、先人に倣って、徹夜で十王跡を歩く…という大変、シビアでストイックで誠実なプロジェクトになってます。その辺が江尻さんのすごいところなんですよねぇ…。脱帽です。
全いわき民に参加してほしいですが、いや、これは、そういうもんやないんですよね。参加してほしいんですが。わかる奴だけ来い!という企画ですw いや、でも、わからんでも来てください!w わからんからやるんです!
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※以下は江尻さんの投稿をシェアm(_ _)m
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「十十王申す(とじゅうおうもうす)」とは聞き慣れない言葉だと思いますが、大須賀筠軒「磐城誌料歳時民俗記」に、江戸時代の「念仏踊り」について以下のような内容の記述があります。
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村里から鉦太鼓で老若男女がまじり、14、5人連れで城下へくる。神社仏寺を廻って念仏踊りをする。町家新盆の家の前で踊る。また呼び入れて念仏させる家もある。町々を巡り、夜深まって村里へ帰る。若輩の男子は鉦太鼓を打ち鳴らし、十王堂十か所を巡る。これを十十王申す(とじゅうおうもうす)という。
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周辺の村々から御城下に押し寄せた老若男女の混成ジャンガラチームは、町場の新盆の家々で踊り狂ったあと、若輩の男子だけが帰らず、おそらく夜を徹して10か所の十王堂を巡礼しました。
浄土教が盛んであった磐城地方にはおそらくたくさんの十王堂があり、決まったコースがあったわけではなく、それぞれ思うままに10か所の堂を巡ったと想像しますが、言い伝えに残る十王堂や現存する十王堂の中から、城山を大きくぐるりと廻るような場所を10か所ピックアップし、お盆近くの月夜を選んで何度か歩いてきました。これを「十十王申す復活プロジェクト」といいます。
敬愛してやまない大阪の歩く巨人・陸奥賢さんとわたし(江尻)の、唯一にして壮大な共同プロジェクトですが、未熟者のわたしのせいでその行程は日を追うごとに伸び、あまりの過酷さに参加者を募ることをあきらめているところです。今回も基本的にわたし一人で歩き、参加者は出入り自由。物好きな方、月夜の磐城平を歩きましょう。一区間でも、いや、ほんのちょっとでも。
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「十十王申す復活プロジェクト」presents
をちこちツアー vol.05 十十王申す~失われた磐城平の巡礼
日時:2025年08月09日(土)21時〜
所要時間: 8時間程度
出発場所:じゃんがらからくり時計下(Guest House & Lounge FARO iwaki 前)
出発時間:21:00
終了予定時間:05:00頃
参加費:なし
定員:なし
※当日は満月です。雲がかかっていなければライトが要らないほど明るいかと思います。
※荒天の場合は中止いたします。
※事前にルートを投稿し、現在地はFacebookおよびX(旧twitter)に報告する予定です。
※レジャー保険などには当然加入しませんのでご了承ください。
お申し込み:不要
お問い合わせ:江尻宛にメッセージでお願いします。
主催:十十王申す復活プロジェクト、遠近(をちこち)
【いわき時空散走】超党派で構成された「自転車活用推進議員連盟」の発起人は二階俊博氏(元・会長。現在は最高顧問)と橋本聖子氏(元・副会長。現在は会長)です。
◾️自転車活用推進議員連盟
https://www.cyclists.jp/legist/memberlist.html
今回、その発起人のお二人に、いわき時空散走の取り組みについてご説明することが出来て、またマップをお渡しして、ありがたいことにお褒めのお言葉も頂きました。
他にも自転車活用推進議員連盟に所属の議員さん、国、地方の行政関係者、自転車メーカー、自転車関連業者、観光、メディア、大学関係、自転車観光の研究者、有識者の方々と意見交換、交流をして、いわき時空散走のことについてお話しさせて頂きました。なかなか、こういう場に出て話をするということもないですから。非常にありがたい機会でした。招聘いただいた国交省のHさんには本当に感謝です。ありがとうございます!m(_ _)m
いろんな方に、いわき時空散走の取り組みを知ってもらって興味を持って頂いて、なにか新しい自転車の取り組み、展開、動きが生まれてきたら面白いなあと思うんですよねえ。
そう。僕は時空散走的なコミュニティ・サイクル・ツーリズムのムーブメントを日本全国に作りたいのですよ。今までにありそうでなかった自転車によるまちづくりのひとつのスタイルだと思いますから。
そのために日夜、奮励努力しております。いや、ほんまにw
僕の家は某在家法華教団に入信しているカルトの家であったが、常々、「お題目をあげないと、ご先祖様が苦しむよ」というよくわからない脅しをされた。
僕が思うに宗教とカルトの違いの一つは、宗教はトラディショナル(traditional)であることです。
トラディショナルというと「伝統」「昔ながらの」「旧習」といったような意味合いに捉えられがちが、本来の「tradition」の語源はラテン語の「tra(人から人へ)+dare(与える)」からきている。先人(死者)から与えられるものを伝統とか旧習とかいうわけです。
そして、この「dare(与える)」という言葉から「ドネーション(donation、寄付、寄贈、贈与)」という言葉なんかも生まれているが、要するに宗教の本質は「贈与」だと僕は考えている。
「〇〇しないと不幸になるよ」とか「〇〇すると神さまが救ってくれるよ」とか、その手の「交換」や「バーター」や「取引」や「ギブ・アンド・テイク」を持ち掛けてくるものは僕はすべて基本、カルトとみなしています。
そう。宗教の本質は、贈与です。びっくりするぐらい、こちらは与えられる一方。勝手に、よしれくれといっているのに、気がついたら救済しようとしてくる。そして「救ってやったからなにかよこせ」なんてことはいってこない。無償です。「tradition=tra(人から人へ)+dare(与える)」です。ありがたいことです。
カルトと宗教の違い。春で、新学年が始まりましたが、学生さんたちに伝えておきたいことのひとつです。