関係者様各位
平素は格別のご厚誼にあずかり、厚く御礼申し上げます。
AllAbout「家族で楽しむイベント(関西)」
http://allabout.co.jp/gs/eventkansai/
オフィシャルガイドの陸奥賢です。
さて、生活総合情報サイトAllAboutは、約500に細分化されたテーマごとに、ガイド(専門家、評論家、ライター)が情報提供するメディアとして、住宅、グルメ、健康、金融、旅行などさまざまな分野のガイドサイトを取り揃えておりますが、このたび大阪の情報を一元的にまとめた「All About 大阪」がオープンいたしました。
http://allabout.co.jp/gs/travelosaka/
大阪のグルメ、レジャー、イベント、観光情報などを発信、提供する大阪専門ポータルサイトで、大阪在住のガイドが現地取材をモットーにして、ユーザー(読者)視点で、情報を編集し、記事としてお届けしてまいります。
また既存の「家族で楽しむイベント(関西)」サイトは2008年3月をもって休止とさせていただきますが、代わって「大阪」サイトの新設によって、より「大阪」に特化した情報提供を行います。ユーザー(読者)の積極的なサイト利用と共に大阪レジャー観光を促すことで、大阪経済の振興、地域活性化に繋がるように奮励努力していく所存です。
ここに謹んでご挨拶申し上げますとともに、関係者様各位には、イベント案内、プレスリリース配信等の情報提供をお願いして、ご鞭撻を賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
AllAbout「大阪」ガイド
http://allabout.co.jp/gs/travelosaka/
陸奥 賢
大江戸の火消し(Smoke on the Water:木遣りヴァージョン)
VIDEO
浄瑠璃、常磐津節によるスモーク・オン・ザ・ウォーターです。
浄瑠璃は中世の傀儡師から発展したもので、傀儡師は神に仕える存在でした。彼らは八百万の神々の言葉を「ことほぐ(言祝ぐ)」ことが求められました。だから浄瑠璃は今でも「語り」といいます。決して「歌う」とはいいません。
それで、この映像を見ていて、少し異様に感じられるのが、どの語りも一様に「無表情」であること。語りだけでなくて、三味も鼓も、みな無表情なので、一種、独特の迫力があります。これは日本の古典芸能の演者たちが、神と音楽は一体であると考えたことに起因します。つまり演者は、ただ、神の言葉を伝える役割(形代=かたしろ)に過ぎないので、そこに演者のヒューマニティ(人間性、感情)というのは求められなかったわけです。演者に求められるのは、ただひたすら「無私」の境地なんですな。
ここで注意してほしいのは「無私」であることは、しかし、決してヒューマニティの否定ではないということ。むしろ、完全なる、あらゆる感情を表現しようとすると、演者は無表情にならざるを得ないということです。人間の持つ感情、喜怒哀楽すべてを表現しようとすると、それは無表情でしかありえない。プラス(陽、正)の感情、マイナス(陰、負)の感情を全部足すとゼロになるのと同じ理屈です。
そういう全的なヒューマニティを表現するものとして、能楽には「中間表情」の能面があります。泣いているのでもない、笑っているのでもない、口を半開きにした、なんともいえない表情の能面です。これは舞台に出ると光線の加減で影になったり、光になったりして、様々な感情表現を可能にします。人間の全的な感情をいっせいに込めると、どうも人間というのは、こうした「中間表情=能面のような顔」になるようです。
西洋美術でいえばダ・ヴィンチの『モナリザ』。その謎の微笑みは、じつは「中間表情」に該当するものです。またピカソなんかは「泣いている横顔」と「笑っている正面」の顔を同時に描きましたが、これもモデルの全的なヒューマニティをなんとか表現しようとして悪戦苦闘してたどり着いた方法論なんでしょう。
ダ・ヴィンチやピカソといった超一流の西洋美術が到達した深奥な芸術表現が、日本の古典芸術の中には、既に当たり前のようにあるということ。それが、いまだに消えずに継承されていることは、我々の矜持です。
【大江戸の火消し(Smoke on the Water)】
俺たちゃ琵琶湖に行った 弁財天詣でさ
夜詰めの当番済まして 湯治も兼ねて
たまには上美女揃えて 杯重ねて
木遣りの声にも磨きを あてて帰ろうか
大江戸の火消し 空もはればれ
大江戸の火消し
琵琶湖じゃ畔の小屋で 芝居をやっていた
ちょいと覗いて行こうか 急ぎの旅でなし
江戸からの旅役者が はるばる来ていた
はだか火使って火が出て 俺たちの出番さ
火事場にゃ火消し 空には火の粉だ
火事場にゃ火消し
堺で祭りについてのシンポジウムをやります。僭越ながらぼくが講師として出ます。もしよろしければご参加ください。
http://www.sakai-nan-ya.net/2007/04.pdf
▼ディスカッション「時代の流れとこれからの祭り」
現在の地域社会の課題、これからの地域活性化・地域コミュニティの維持・発展において、「祭り」がどのような役割を担うべきか、活かしていくべきかを考える。
■日時:2008年1月20日(日)11時30分~15時(11:00受付)
○11時30分~13時00分:セミナー
講師:三上尚嘉氏(開口神社宮司)
陸奥賢氏(AllAbout「大阪」ガイド、フリーライター・カメラマン)
西田幸次郎氏(堺「まち・話そうよ会」会長)
○13時00分~15時00分:座談会(軽食付き)
総括:角山榮先生(和歌山大学名誉教授、堺なんや衆顧問)
■会場:カフェレストラン「スコーレ」
住所:大阪府堺市田出井町 2-1 サンスクエア堺内
TEL:0722-29-0373 FAX:0722-29-0373
JR阪和線堺市駅西出口徒歩 5分
※サンスクエア堺
http://www.sck.or.jp/sc/SSindex.htm
※カフェレストラン「スコーレ」
http://r.gnavi.co.jp/c445000/
■参加費:一般3000円(会員2500円) セミナーのみ参加 1000円
■申込み、お問合せ先
氏名、住所、電話番号・FAX番号、メールアドレス等ご連絡先をご記入の上 はがき・FAX、またはメールにてお申し込みくだい。HPからも申し込みが可能です。
http://www.sakai-nan-ya.net
市民活動団体「堺なんや衆」
〒591-8032 堺市北区百舌鳥梅町3-39-27
FAX:072-257-1934
info@sakai-nan-ya.net
http://www.sakai-nan-ya.net
初詣で金岡神社にいってきました。ぼくが住んでいる堺・新金岡地区の氏神さまです。
http://www.kanaokajinjya.com/1p.html
金岡神社は平安時代初期の仁和年間(885年頃)に住吉大神をお祀りして創建されたそうです。その後、 一条天皇の御代(986年頃)に勅命によって画聖・巨勢金岡卿を合祀し、金岡神社と称するようになりました。境内地は「日本最古の国道」といわれる竹ノ内街道に面しています。
金岡卿は大和絵の大家として有名で、芥川龍之介の「地獄変」などにも名前が出てきますが、平安京の禁苑(皇族のみが入れる庭園)「神泉苑」のプロデューサーなんかもやってまして、金岡卿のプロデュース時代(868~872年)に神泉苑で始まったのが、「祇園御霊会」(869年)…現在の日本三大祭「祇園祭」です。要するに金岡卿は「祇園祭の仕掛け人」といえるかも知れません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E5%8B%A2%E9%87%91%E5%B2%A1
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/schedule/02.html
「なんで堺に絵の神様の神社が?」と思いますが、ヒントは「竹内街道」にあります。金岡神社は竹内街道の通り道にありますが、この竹内街道は別名「丹比道」(たんぴみち)と呼ばれていました。「丹比」というのは、水銀とか鉛とかの鉱山資源のことで、「丹波」「丹後」「丹羽」「丹生」など日本全国に「丹」という字がつく地名は多いのですが、これらはその地域に鉱山資源があったか、または鉱山資源を発掘する一族が住んでいたのでは?と推察できます。それで竹内街道は堺から奈良・二上山へのルートとなっていて、この二上山というのが、1400万年前までは火山でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%8A%E5%B1%B1_%28%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E3%83%BB%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%29
火山の噴火は恐ろしいものですが、地中深くにあって到底、発掘できないような鉱物資源が、マグマとともに地上に噴出してきます。鉛、銅、銀、鉄、金などの宝庫で、死火山になれば、文字通り「お宝の山」となるわけです。港町・堺から奈良・二上山のルートを「丹比道」といったのは、そうした鉱山資源の運搬ルートであったからと考えられます。丹比道は「鉄の道」といってもいいわけで、実際に古代の堺には鉱山資源の加工に長けた「河内鋳物師」(かわちいもじ)という技術者集団がいて、奈良・東大寺の大仏鋳造などにも貢献しました。堺が中世に鉄砲産業の一大生産地になって、また江戸時代からは包丁産業、近代には自転車産業が盛んになるのも、こうした鉱山資源の街道ルートと、卓越した工人集団が生息していたことが大いに関係しています。古代の金属加工の技と伝統が、時代によって変遷しながらも、現代にまで脈々と生きているわけです。
それで「丹」という漢字を三省堂提供「大辞林 第二版」で調べるとこう書かれています。
(1)硫黄と水銀との化合した赤土。また、その色。辰砂。 (2)鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作ったもの。鉛の酸化物。黄色をおびた赤色で絵の具や薬用とする。鉛丹(えんたん)。 (3)薬のこと。特に不老不死の薬。「―を煉り、真を修し/読本・弓張月(続)」 (4)(1)(2)のような黄赤色。
ここで注目して欲しいのが(2)の「鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作ったもの。鉛の酸化物。黄色をおびた赤色で絵の具や薬用とする。鉛丹(えんたん)。」という部分。じつは丹というのは鉱物ですが「絵の具(鉛丹)」にもなるんですな。丹比道は丹(絵の具)が行き来する道で、そこに絵描きを生業とする一族が出てきたとしても何ら不思議ではありません。俗に「河内絵師」と呼ばれているのですが、そうした絵描き一族の中から生まれた天才が巨勢金岡卿であったというわけです。
ちなみに堺には「鉛市」という会社があって、会社沿革によると創業は応永2年(1395年)で、600年以上もの歴史を有する老舗企業だそうです。泉州・堺の鉛屋市兵衛という人が、明の人から「鉛丹」の製法を学んだことが始まりやそうで、日本で始めて「鉛丹」を製造、販売した会社で、江戸幕府にも専売を許可されたとか。
http://www.namariichi.co.jp/
http://www.namariichi.co.jp/company/history.html
また「鉛丹」は「朱色(赤色)」ですが、用途としては陶磁器の釉薬、漢方薬などに用いられていましたが、とくに朱色は「魔よけ」の色として神社仏閣に多く用いられました。現在でも世界遺産の厳島神社(広島県)、下鴨神社(京都市)などは、堺の鉛市が指定業者になっています。厳島神社や下鴨神社にいったさいは「堺の鉛市の鉛丹を使っているのか…」とマニアックに鑑賞して楽しんでください。
http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/index.html
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/home/
たかが絵の具なんですけども、色んな歴史やドラマが含まれています。絵の具なだけに「塗り込められている」といったほうがいいかな…って落語のサゲみたいになりました(笑) おそまつ。
【参考画像1】
「日本元祖 丹製造所」と書かれた鉛市のチラシ。幕末・明治のものです。
【参考画像2】
「住吉・堺豪商案内記」より。鉛市では「丹白」も製造、販売しておりました。要するに「白粉(おしろい)」です。堺は港町で乳守、栄橋、龍神といった色街も古くからありましたから。白粉などもようさん売れたみたいです。
※上記の画像はこちらから引用しました。
引札と『住吉・堺豪商案内記』