アーカイブ

2008 年 1 月 3 日 のアーカイブ

初詣・金岡神社

2008 年 1 月 3 日 Comments off

0  

初詣で金岡神社にいってきました。ぼくが住んでいる堺・新金岡地区の氏神さまです。
http://www.kanaokajinjya.com/1p.html

金岡神社は平安時代初期の仁和年間(885年頃)に住吉大神をお祀りして創建されたそうです。その後、 一条天皇の御代(986年頃)に勅命によって画聖・巨勢金岡卿を合祀し、金岡神社と称するようになりました。境内地は「日本最古の国道」といわれる竹ノ内街道に面しています。

金岡卿は大和絵の大家として有名で、芥川龍之介の「地獄変」などにも名前が出てきますが、平安京の禁苑(皇族のみが入れる庭園)「神泉苑」のプロデューサーなんかもやってまして、金岡卿のプロデュース時代(868~872年)に神泉苑で始まったのが、「祇園御霊会」(869年)…現在の日本三大祭「祇園祭」です。要するに金岡卿は「祇園祭の仕掛け人」といえるかも知れません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E5%8B%A2%E9%87%91%E5%B2%A1
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/schedule/02.html

「なんで堺に絵の神様の神社が?」と思いますが、ヒントは「竹内街道」にあります。金岡神社は竹内街道の通り道にありますが、この竹内街道は別名「丹比道」(たんぴみち)と呼ばれていました。「丹比」というのは、水銀とか鉛とかの鉱山資源のことで、「丹波」「丹後」「丹羽」「丹生」など日本全国に「丹」という字がつく地名は多いのですが、これらはその地域に鉱山資源があったか、または鉱山資源を発掘する一族が住んでいたのでは?と推察できます。それで竹内街道は堺から奈良・二上山へのルートとなっていて、この二上山というのが、1400万年前までは火山でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%8A%E5%B1%B1_%28%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E3%83%BB%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%29

火山の噴火は恐ろしいものですが、地中深くにあって到底、発掘できないような鉱物資源が、マグマとともに地上に噴出してきます。鉛、銅、銀、鉄、金などの宝庫で、死火山になれば、文字通り「お宝の山」となるわけです。港町・堺から奈良・二上山のルートを「丹比道」といったのは、そうした鉱山資源の運搬ルートであったからと考えられます。丹比道は「鉄の道」といってもいいわけで、実際に古代の堺には鉱山資源の加工に長けた「河内鋳物師」(かわちいもじ)という技術者集団がいて、奈良・東大寺の大仏鋳造などにも貢献しました。堺が中世に鉄砲産業の一大生産地になって、また江戸時代からは包丁産業、近代には自転車産業が盛んになるのも、こうした鉱山資源の街道ルートと、卓越した工人集団が生息していたことが大いに関係しています。古代の金属加工の技と伝統が、時代によって変遷しながらも、現代にまで脈々と生きているわけです。

それで「丹」という漢字を三省堂提供「大辞林 第二版」で調べるとこう書かれています。

(1)硫黄と水銀との化合した赤土。また、その色。辰砂。 (2)鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作ったもの。鉛の酸化物。黄色をおびた赤色で絵の具や薬用とする。鉛丹(えんたん)。 (3)薬のこと。特に不老不死の薬。「―を煉り、真を修し/読本・弓張月(続)」  (4)(1)(2)のような黄赤色。

ここで注目して欲しいのが(2)の「鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作ったもの。鉛の酸化物。黄色をおびた赤色で絵の具や薬用とする。鉛丹(えんたん)。」という部分。じつは丹というのは鉱物ですが「絵の具(鉛丹)」にもなるんですな。丹比道は丹(絵の具)が行き来する道で、そこに絵描きを生業とする一族が出てきたとしても何ら不思議ではありません。俗に「河内絵師」と呼ばれているのですが、そうした絵描き一族の中から生まれた天才が巨勢金岡卿であったというわけです。

ちなみに堺には「鉛市」という会社があって、会社沿革によると創業は応永2年(1395年)で、600年以上もの歴史を有する老舗企業だそうです。泉州・堺の鉛屋市兵衛という人が、明の人から「鉛丹」の製法を学んだことが始まりやそうで、日本で始めて「鉛丹」を製造、販売した会社で、江戸幕府にも専売を許可されたとか。
http://www.namariichi.co.jp/
http://www.namariichi.co.jp/company/history.html

また「鉛丹」は「朱色(赤色)」ですが、用途としては陶磁器の釉薬、漢方薬などに用いられていましたが、とくに朱色は「魔よけ」の色として神社仏閣に多く用いられました。現在でも世界遺産の厳島神社(広島県)、下鴨神社(京都市)などは、堺の鉛市が指定業者になっています。厳島神社や下鴨神社にいったさいは「堺の鉛市の鉛丹を使っているのか…」とマニアックに鑑賞して楽しんでください。
http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/index.html
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/home/

たかが絵の具なんですけども、色んな歴史やドラマが含まれています。絵の具なだけに「塗り込められている」といったほうがいいかな…って落語のサゲみたいになりました(笑) おそまつ。

【参考画像1】
11
「日本元祖 丹製造所」と書かれた鉛市のチラシ。幕末・明治のものです。

【参考画像2】
21
「住吉・堺豪商案内記」より。鉛市では「丹白」も製造、販売しておりました。要するに「白粉(おしろい)」です。堺は港町で乳守、栄橋、龍神といった色街も古くからありましたから。白粉などもようさん売れたみたいです。

※上記の画像はこちらから引用しました。
引札と『住吉・堺豪商案内記』


カテゴリー: 雑感 タグ: