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2009 年 4 月 のアーカイブ

大阪・聖天山(標高14メートル)登頂!

2009 年 4 月 30 日 Comments off

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聖天山は大阪の山です。大阪あそ歩の陰陽師 安倍晴明のふるさと・阿倍野を往く~上町台地のロマンを求めて~で登りました。

標高14メートルですが、ちゃんと登頂証明書を発行しています。いちびってまんなぁ(笑)


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ブログ、はじめました

2009 年 4 月 24 日 Comments off

AllAboutのブログサービスが終了するということなので、新しくブログを作ることにしました。過去の記事も編集してあげていこうと思います。

皆さん、よろしくお願いします。


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関西の動画よ~みて 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

2009 年 4 月 22 日 Comments off

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http://osaka.yomiuri.co.jp/movie/topics/mv90422a.htm

大阪市内の隠れた名所、旧跡などを巡る町歩きイベント「大阪あそ歩’09春」がスタートしました。同市などが設立した「大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会」が、市内の“隠れスポット”を地域に詳しい市民ガイドの案内で紹介し、新たな観光資源として掘り起こそうと企画しました。初回は約30人が参加し、天王寺区内の約2キロを歩き回りました。京都・清水寺にそっくりに造営された「有栖山清水寺」など、参加者は興味深そうに散策していました。5月31日まで。
http://www.osaka-asobo.jp/


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NHK ニューステラス関西 「大阪あそ歩がスタート」

2009 年 4 月 20 日 Comments off

http://www.nhk.or.jp/newsterrace/schedule/index.html#wed

ニューステラス関西▽大阪あそ歩がスタート
チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2009年 4月22日(水)
放送時間 :午後6:10~午後7:00(50分)

「大阪あそ歩がスタート」
たこ焼きやお笑いだけではない、大阪の知られざる魅力を探る「大阪あそ歩」がこの春、本格的にスタート。およそ2時間、大阪の街を歩き、その歴史や人情に触れてもらおうという企画。四天王寺などの寺院やレトロな街並み…。3年間でのべ300コースを地元のボランティアの人たちが案内します。独特の文化がぎっしりつまった大阪を紹介します。


取材されました。感謝。4月22日放映です。ぜひ皆さん、見てください。


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行者山~剣尾山~横尾山

2009 年 4 月 15 日 Comments off

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いろいろと思うところがあって、山に登ってきました。
北摂の名山・剣尾山(能勢町 標高784メートル)です。
http://www.town-of-nose.jp/index.html

眺望が素晴らしい。感動しました。
大阪の山もええもんですね。


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【報道発表資料】「まち歩き」ガイドツアー 「大阪あそ歩(ぼ)’09春」のオープニングセレモニーを開催します!

2009 年 4 月 13 日 Comments off

【報道発表資料】「まち歩き」ガイドツアー 「大阪あそ歩(ぼ)’09春」のオープニングセレモニーを開催します!
http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/yutoritomidori/0000033613.html

大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会(会長:長藤一博・(財)大阪観光コンベンション協会理事)では、「大阪あそ歩(ぼ)’09春」(平成21年3月3日情報提供済み)の出発式を平成21年4月19日(日)9時45分より天王寺公園水上ステージにおいて開催します。

今回、「大阪あそ歩」市民ガイドがいよいよデビューすることとなり、出発式では、ガイドさんが司会を担当します。また、幼稚園児たちの合唱に見送られ、天王寺コース「夕陽燦燦の坂のまちを歩く」に参加される方々が出発し、「大阪あそ歩’09春」の第一歩を飾ります。

「大阪あそ歩’09春」では、この出発式をかわきりに、5月31日(日)まで、ガイドさんと一緒にまちあるきを楽しむ「まち歩きコース」として市内23エリア・25コース、また、様々な大阪文化を体験できる「まち遊びコース」として5プログラムを開催します。

今後、「大阪は‘まち’がほんまにおもしろい」をキャッチフレーズに、「大阪あそ歩」のユニフォームを着た市民ガイドの方々が、訪れる方々に「自分のまち『大阪』はええとこや」と自信をもってご紹介する様々な活動を、それぞれの地域で展開します。


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『俳聖芭蕉と俳魔支考』(角川選書 堀切 実 著)

2009 年 4 月 11 日 Comments off

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松尾芭蕉と、その弟子・各務支考についての評伝です。芭蕉については言わずもがなですが、弟子の支考となると、あまり人口に膾炙していません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%84%E5%8B%99%E6%94%AF%E8%80%83

支考は芭蕉とは21歳差で、親子ほどの年の差があって、芭蕉の弟子として過ごしたのは、わずか4、5年足らずだそうですが、芭蕉の大坂での最後を看取ったり、また遺書を代筆したりと、短いながらも濃厚な年月を供にして、蕉門十哲(芭蕉の10人の弟子)にも名前が挙がっています。芭蕉の臨終の様相を小説化した芥川龍之介の名作「枯野抄」の中では

支考が枕もとへ進みよつた。が、この皮肉屋を以て知られた東花坊には周囲の感情に誘ひこまれて、徒(いたづら)に涙を落すやうな繊弱な神経はなかつたらしい。彼は何時もの通り浅黒い顔に、何時もの通り人を莫迦(ばか)にしたやうな容子を浮べて、更に又何時もの通り妙に横風に構へながら、無造作に師匠の唇へ水を塗つた。しかし彼と雖(いへど)もこの場合、勿論多少の感慨があつた事は争はれない。「野ざらしを心に風のしむ身かな」――師匠は四五日前に、「かねては草を敷き、土を枕にして死ぬ自分と思つたが、かう云ふ美しい蒲団の上で、往生の素懐を遂げる事が出来るのは、何よりも悦ばしい」と繰返して自分たちに、礼を云はれた事がある。が、実は枯野のただ中も、この花屋の裏座敷も、大した相違がある訳ではない。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/72_14932.html

というように、非情冷徹な理論家(ある意味、夏目漱石の葬式に赴いた、芥川龍之介自身の投影と見ることもできます)として描かれていますが、「古池や蛙飛び込む水の音」を、蕉風開眼の句としてクローズアップしたり、芭蕉の忌日に合わせて、日本全国各地で盛大な句会を催して句碑を建てたりと、蕉風の伝播に多大な功績を残しました。卓越したイベント・プロデュース能力があった人物で、とくに芭蕉の33回忌のさいに編纂された追悼句集「三千化」では、12ヶ国、44ヶ所、1200余名もの俳人が応じたといわれています。また誰よりも早くに加賀千代女の才能を発見して、世に出る機会を作ったのも支考でした。

芭蕉に会う前は、雲水で、粋狂の人でもあり、正徳元年(1711)には、自分の「終焉記」を書いて「自分はすでに死んだ」と佯死(ようし)宣言を行い、しかも自分への追善句集「阿誰話(たそのわ)」をいけしゃあしゃあと上梓したりと、かなり世間を食ったようなことをしています。これもまた、自分と蕉門のブランドを確立するためのパフォーマンスで、その結果、芭蕉は「俳聖」とまで呼ばれて神格化していきますが、その一方で、支考は「芭蕉を売り歩く男」「俳魔」などと呼ばれて、貶められる一因にもなりました。

ただ、蕉門経営の辣腕家としての支考は食えない男なのですが、支考の俳句自体は、えらく若々しく、瑞々しい感性を感じて、このギャップが面白いんですわ。例を挙げると

菅笠を 着て鏡見る 茶摘哉

茶摘み娘が、菅笠をかぶって、鑑を見る。なんてことない田舎の日常光景の一齣なんですが、さりげない娘心を読み取って、どこかモダンなセンスを感じます。

出女の 口紅おしむ 西瓜哉

出女(でおんな)というのは私娼のことだそうですが、これも口紅の「赤」と、西瓜の「緑」という色の対比が鮮やかで、感心を覚えた句です。西瓜というのは文字通り、西洋の瓜で、16世紀頃に日本に渡来して、庶民の口に入るようになったのは江戸中期。支考の時代にはハイカラな食べ物でもありました。じつは芭蕉の死後、江戸を中心に活動したシティ派の宝井其角に対抗して、支考は主に地方を行脚して「田舎蕉門」を確立するのですが、こういう平易なわかりやすい言葉で、かつハイカラな句というのは、田舎の俳人たちには大いに受けただろうな、と思います。

しかし、支考の作品で、ぼくが一番、興味を覚えたのはこの句です。

しかられて 次の間に出る 寒さ哉

これは芭蕉の死の前日に作られた句だそうです。支考が夜通しで病床の芭蕉を看病して、ところが病人特有の勘気に触れたんでしょう。芭蕉に罵倒されて支考がしゅんとして隣座敷に出たわけで、そのとき感じた「寒さ」を歌ったものです。これは叱られて寒さを覚えたのではなくて、誰もいない隣座敷に移って、ふと芭蕉が死んでいなくなることへの予感を感じ、支考の我が道の将来への不安、未来への寒さを感じた心境句とぼくは捉えました。

後世に「俳魔」とまで呼ばれた俗っぽさはここにはなく、素直かつ純朴無垢な青年俳人・支考の姿が垣間見えます。多面的で、振幅のある人物で、それだけに色々と誤解も多いのでは?という気がしてます。毀誉褒貶激しいのですが、もうちょっと正当に評価されてもいいと思います。


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大阪の教科書

2009 年 4 月 10 日 Comments off

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http://www.osaka-kentei.com/index.html
http://www.osaka-kentei.com/text/index.html

大阪検定に限らず、京都検定でも奈良検定でも江戸検定でも、「ご当地検定」には色々と懸念に思うところがあります。何よりも僕が危惧を覚えるのが検定によって、まちを「公式化」「定型化」してしまうことです。

元来「まち」というのは、いろんな物語を包括しているものです。伝説や伝承、民衆信仰、異説や異論、ドラマ、怪談、妖怪譚、都市伝説、ミステリーを持っている。大阪なんかはその宝庫ですわ。日本でいっちゃん、わけわからんもんが多い都市です(笑)それが大阪のまちの面白さ、醍醐味なんですが、ご当地検定は資料主義ですので、そういう眉唾なものは基本的に排除されてしまいます。これは一歩間違えれば、まちの文化の封殺につながりかねない可能性を秘めています。

「大阪あそ歩」では「あなたのまちを語ってください」とガイドさんにはお願いしています。そうすると、都島は「妖怪(ぬえ)が眠るまち」になり、今里は「神武天皇が通ったまち」になり、寺田町は「西国巡礼のまち」になりました。http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/07_01.html
http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/08_01.html
http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/15_01.html

こんな奇妙奇天烈な物語は大阪検定には出てこないでしょう。なんの資料もないですから。まちの人が想像を逞しくして勝手にいってるだけ。しかし、この意味不明な、わけのわからん大阪のまちの物語を、そのまま許容して、共有して楽しもうやないか、というのが大阪あそ歩の精神です。異説も異論も曖昧模糊も有耶無耶も、そこには、まちの人の「想い」が込められているのだから否定できません。

学者・先生・専門家が監修する大阪検定と、市民が語る大阪あそ歩は180度ちがうベクトルにあります。俯瞰的、客観的に考えると、大阪のまちの公式化=大阪検定と、そのカウンターカルチャーとなる大阪あそ歩が同時期に始まったのは、まちへの視点を多面的、多角的にして中和剤になって良いのかな?という気もしてますが。要はバランスの問題です。大阪検定を受けた方は、是非とも大阪あそ歩にも参加してください(笑)

公式と非公式。正と反。モノフォニー(単旋律音楽)とポリフォニー(複旋律音楽)。大阪検定と大阪あそ歩は、もしかしたら、そういう位置づけにあるのかも知れません。


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仏誕会

2009 年 4 月 8 日 Comments off

「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」 一休宗純

今日は仏誕会でした。ぼくは抹香臭い人間で、こういう祭りがあると殊勝な気持ちになります。根が単純なんです。それで仏心に目覚めたというわけではないのですが最近つくづく思うのは慈悲の難しさ。人を許すこと・・・ではなくて自分の罪を認め、許しを乞うこと。慈悲深くなることではなくて慈悲を請うこと。

たとえばキリストは本当に「許した人」であるか? むしろ「許しを乞うた人」ではないのか?「十字架のキリスト」は罪人の刻印であり、全身全霊をかけて何もかもをなげうって神の慈悲にすがった姿ではないのか?だからでこそ人の心をこんなにも打つのではないか?・・・ん?仏誕会やというのに、いつのまにかキリストの話になってまいましたな。

まんまんちゃん、ああん。


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寺田町 源ヶ橋温泉(銭湯建築初!国指定登録有形文化財)

2009 年 4 月 5 日 Comments off

大阪のまちを歩いていると、時折、興味深いものを見つけるんですが、最近、ぼくの中でヒットしたのが、大阪は寺田町にある源ヶ橋温泉。

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「温泉」という名前がついていますが、じつは昔ながらの「銭湯」で、創業は昭和12年(1937)という老舗。この銭湯、何が凄いか?というと、黄土色の瓦の小屋根の上に、なんと「自由の女神」の彫刻が2体、左右対称で飾られていて、大屋根の上には「金のシャチホコ」まで飾られています。当時では破格の8万円という建築費をかけて、宮大工が3年がかりで作った和洋折衷の建物です。

「一体、なんで自由の女神を屋根に?」と思って、色々と調べてみると、銭湯は「入浴」するものだから「ニューヨーク」の象徴の自由の女神を装飾したのだとか。「オバマ大統領当選に浮かれ騒ぐ小浜市」に匹敵するような駄洒落センスに脱帽です。また男湯側には「南山寿」(なんざんじゅ)という石碑が立っていて、これは源ヶ橋温泉の創業者の誕生祝いに、当時の大阪市長(関一市長?)が贈ったものだそうです。大阪市長も源ヶ橋温泉の駄洒落センスを認めた(?)のかも知れません。

この自由の女神には、また面白いエピソードがあって、太平洋戦争の最中に「さすがに敵国の女神を飾るのはいかんで」と問題になったそうで、兵隊が女神像を外しに来たそうですが、あまりにも屋根の土台がしっかりしていて、何をしても外れなかったので「……しゃあない」と、そのままにして去ったそうです。ほんまかいな?と疑ってしまうようなエピソードですが、個人的に、こういう大阪人のアバウトな対応は嫌いではありません。ちなみに、この源ヶ橋温泉は、「昭和モダニズムの特徴を残す洋風意匠と市民文化的意義」を評価されて、銭湯建築としては我が国初の登録有形文化財にもなっています。

大阪のまち歩きの面白さは、こうした何気ない日常風景の中にあります。ガイドブックに載っている名所旧跡スポット巡りもいいですが、ときには無目的に歩いたりして、「大阪のまち」そのものを体験してみてください。ちょっとしたところに、意外な「おもろいもん」が転がってますから。


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