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枚岡神社・直会

2009 年 9 月 2 日

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式内社(名神大)・河内国一宮・官幣大社・別表神社の枚岡神社。朔日祭ということで、中東宮司さまとの直会にご参加させていただきました。

枚岡神社は、社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)に天種子命(あめのたねこのみこと)が、神津岳に祖神・天児屋根神を祀ったのに始まるとか。この神津岳が平らな丘であったことから「平岡(枚岡)」という社名の語源にもなっているようです。

天児屋根神といえば中臣氏(のちの藤原氏)の氏神さまですが、しかし記紀神話によれば、神武天皇が東征したさいは、このあたりは天孫族ニギハヤヒが治めていた地帯でした。このニギハヤヒは物部氏の氏神さまですから、枚岡神社界隈は、元々は中臣氏ではなくて、物部氏の所領地であったかも知れません。物部氏が蘇我氏・中臣氏との争いで没落してから、その所領地を中臣氏が治めることになったのでしょう。ちなみに枚岡神社の所在地を見てもらうと一目瞭然ですが、ここは難波宮(上町台地の北端・現在の大阪城付近)と平城京の東西ライン上にある神社で、ここを押さえれば、難波と奈良を手中に入れたも同然という地政学上、非常に重要な地点になります。

「物部氏との争いに勝利しますように」という聖徳太子の戦勝祈願によって四天王寺が建立されたように(おそらく四天王寺以前の古墳=荒陵山も物部系の所有地だったと推測してます)、物部氏と蘇我氏の権力闘争は、古代大阪の都市形成に、非常に大きな痕跡、影響を与えています。


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