大阪名物!「往来安全」の行燈~大坂町衆の自治精神の象徴~


大坂名物「往来安全」の行燈です。

江戸時代の大坂市中では、町人たちが自分たちでお金を出して、軒先にこうした「往来安全」の行燈を掲げたそうです。この行燈のおかげで、文字通り、夜中でも安全に町中を往来できました。これは江戸や京都にもない風習で、大坂名物でした。日本国中の都市の人間が、この行灯に驚いた。

つまり、大坂の町衆の、自治精神の象徴たるものが、この「往来安全」の行灯だったということです。自分たちで、自分たちのまちを作る、守るということ。その代わり、大坂庶民の多くは長屋に住み、地子銀(税金)を納めませんでした。

じつは当時は「屋敷持ち」が地子銀を納める義務があったんですが、大坂庶民は、金を持っていても、わざと長屋に住んで地子銀を払わなかったそうです。いろいろと諸説はありますが、大坂三郷30万人のうち、9割が長屋住まいだったといいますから、凄まじいですな。みんな節税の鬼でした(笑)

しかし、その代わりに、長屋住まいでも町人として認定されたそうで(普通は借家人として町会などには所属できませんでした)「町内式目」をちゃんと守っていました。お上のいうことには逆らいましたが、町会から「往来安全の行燈を出しなさい」といわれたら、借家人でも、自分の金を投じて、軒下に行燈を掲げたんです。

幕府に金は払わない。その代わり、自分たちで、まちを管理する。幕府にゴチャゴチャいわれんでも、自由にまちを作り、生活を楽しみ、遊びを謳歌したのが江戸時代の大坂でした。

ぼくは、現代の大阪を、まちを本当によくしようと思うなら、かつての江戸時代の大坂に倣うのが、いっちゃんええと思ってます。何故なら、まちに住むものが、まちのことを1番よく知っているから。まちを愛しているから。責任があるから。減税、無税にして、市民に、自治で、都市を、自分たちのコミュニティを管理させる。こうすれば行政コストも大幅に少なくできます。江戸時代、30万都市の大坂を、わずか1500人程度の武士で取り締まっていました。

いまは時代の過渡期とみています。いずれ、市民が、まちを、取り戻すでしょう。取り戻さないといけません。


2010年 11月 24日
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