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G・K・チェスタトン『正統とは何か?』

2011 年 11 月 14 日

堺の某地域新聞で堺のまちを紹介する連載を担当してるんですが、読者アンケート結果ではえらく好評だとか。嬉しい話ですが、これはみんな自分のまちを知らなさすぎる、ということの証左でもあります。そう考えると複雑ですな。

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新しい高層マンションの住人たちが、古くからある神社の祭礼の地車囃子の「夜練習がうるさい!」とクレームを入れる。マンションは住民の数も多く、民主主義では数が多いほうが強い。神社は対応に苦慮して、結局、マンションに頭を下げて謝罪する・・・こういう問題が日本全国どこでも展開してますが、これはそのまち、土地、コミュニティの文化、歴史、伝統などを、なんら勘案しようとしない「横の民主主義の悪弊」です。

この「横の民主主義」に対して、まち、土地、コミュニティが含有している文化、歴史、伝統などを・・・これは即ち、過去人=我々の祖先、先達、先人、死者たちの物語です・・・を尊重しようとすることを「縦の民主主義」といいます。

過去人たちはモノをいったり、投票したりすることはできませんが、過去人たちの思いや願いを推察して、現在進行系の問題、懸案を考えようとする。これは過去人のみならず、未来人(子孫、後輩、後進)への義務、責務を、深く考察しようという態度ともいえます。「空間的な民主主義」と「時間的な民主主義」ともいえますし、イギリスの小説家G・K・チェスタトンはこれを「生者の民主主義」と「死者の民主主義」と提唱してます。

現代日本民主主義は「横」「生者」「空間」ばかり尊重して、まるで「縦」「死者」「時間」を尊重しようとしない。「国債1000兆円を後代にツケとして残す」「数万年に渡って放射能汚染された土地を作ってしまう」なんて問題は、生者の奢り、傲慢以外のなにものでもなく。「横の民主主義」だけではなく、「縦の民主主義」を考えること。「縦」と「横」のバランス、調整、帳尻合せが、今後の我々の政治、まちづくりなどの緊急課題です。そのためにも、我々は「死者の物語」を、まち、土地、コミュニティの文化、歴史、伝統を、もっともっと深く知らなければいけない。(そのためのコミュニティ・ツーリズム=まち歩き=大阪あそ歩です。と声を大にして宣伝しておきます。笑)

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「伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」

G・K・チェスタトン『正統とは何か?』


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