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文字禍

2012 年 4 月 6 日

「文字」を手に入れたことで、ぼくらは堕落した。偉大なる口承文学の系譜。『古事記』を滔滔と語った稗田阿礼の神聖なる荘厳さは、もはや日本民族にはない。言葉には魂や霊が宿る。曰く言霊。この言霊の信仰は、中世よりも古代、古代よりも上古人に色濃くあった。稗田阿礼はすべての神々の名前を、先祖の記録を、いつなんどきでも口承で再現しえたに違いない。言葉をひとつでも間違えれば、神は神でなくなる。先祖は先祖の地位を失う。神や先祖と、我々をつなぐものは、ただ言霊だけだった。その名は一言一句も間違えることは許されない。また、そこには声色やメロディーや調子やリズムもあったに違いないのに、そうした言霊は「文字」によって代替されることによって、永遠に歴史の彼方にロストされてしまった。失われたものは、あまりに大きい。

「文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない」
中島淳『文字禍』より

文字は影。もちろん美しい影もあるけれども。


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