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芝居小屋と刑場

2012 年 6 月 2 日

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江戸時代、千日前は墓地であり、死刑場でした。江戸でいえば小塚原のようなとこで、磔柱が立ち並んで、獄門台には見せしめのために罪人の首が並びました。焼き場の煙は絶えず、昼でも人が通るとこやなかったそうで、大体、明治初期まで、そういう光景が続きました。

千日前から少し北に向かうと、そこは所変わって道頓堀。ここは江戸時代は「道頓堀五座」というて、芝居小屋が並んでいました。船場の旦那衆が芸妓を連れて、道頓堀川戎橋を渡って、藤十郎の歌舞伎や近松の浄瑠璃を楽しみにやってきた。

ここで非常に興味深いことは、道頓堀で一番、大きな芝居小屋は角座ですが、この道頓堀角座の楽屋からは千日前獄門台の罪人のさらし首が見えたということ。

大坂の芝居は、世話物で和事です。江戸芝居のような英雄悪漢傾城傾国が大活劇を繰り広げる!という荒事はしまへん。主人公は何の変哲もない一庶民で、金と色と欲と義理と人情の板ばさみ。犯してはならぬ罪咎に悩み、苦しみ、傷つけられ、最後は天網恢恢疎にして洩らさずの過酷な運命の裁きで、千日前の獄門台へと涙涙に送られていく。

大坂庶民は、道頓堀角座で、罪人たちのドラマに涙しました。そして、その裏には、実際に千日前の獄門台が控えていて、芝居の主人公たち=哀れな罪人たちの末期が、リアルに、そこにあったんですな。ある意味、千日前刑場は最高の舞台演出であり、また裏を返せば、道頓堀の芝居は千日前の罪人たちに対する鎮魂劇であり、レクイエムだったわけです。

芝居なのか。真実なのか。わからない。虚実の皮膜こそが、もっとも面白い。芝居小屋と刑場。道頓堀と千日前というまちは、両隣りにあり、そういう関係です。大阪のアジールは、だから、恐ろしく、哀しく、美しい。

※画像は『好色入子枕』に所収されている「千日前墓場の亀屋忠兵衛刑死の図」


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