ブライアン・ウィルソンとの思い出
1961年デビューで現役最年長ロック・グループになっているのが「Beach Boys」(Beatlesは1962年デビューですでに解散。Rolling Stonesは現役ですが、1962年デビュー)。そのリーダーのブライアン・ウィルソンはロック史上最高の孤高の天才です。元々は「ペンデルトーンズ」というバンド名やったんですが、契約会社のキャピトルの意向で、勝手に「ビーチボーイズ」というバンド名に変更させられた。ここからすでにブライアン・ウィルソンの悲劇はスタートしていて、安易なバンド名で、安易なイメージ戦略を作られて、安易なサーフィン・ソングを大量生産することを求められた。そこに収まっていれば優秀な職人ライターとして平凡な一生を終えたかも知れませんが、ブライアンはそうではなくて、ガーシュウィンのようなアメリカを代表する偉大なる音楽家、芸術家になろうとした。
1950年代のロック・シーンはアメリカのエルヴィス・プレスリーの時代で、ところが1960年代は俗にいう「イングリッシュ・インベンション」。イギリスのビートルズが時代の寵児だった。アメリカのビーチボーイズは、イギリスのビートルズとお互いの音楽性、芸術性、創造性をぶつけ合って、熾烈な戦いを繰り広げる。おそらく70年近いロックの歴史の中でも、もっともエキサイティングでスリリングな瞬間がこの時代だろうと思います。ただビートルズにはレノン&マッカートニーという最強コンビに付け加え、さらにはジョージ・マーティンという敏腕プロデューサーがいたが、ビーチボーイズはブライアン・ウィルソンただ一人。「バンドリーダー兼シンガーソングライター兼プロデューサー」という孤立無援状況の中で、1967年、ついにブライアンは発狂する。スタジオに火をはなとうとしたり、キャピトル重役夫人をみて「悪魔がきた!」と絶叫したりして、『スマイル』という伝説の傑作アルバムの制作を中止。それからは自宅に引き込まって、ドラッグと過食症で、ぶくぶくに太っていった・・・。
ちなみに当時、完全におかしなってるブライアンの伝説の映像がこちらの「Surf’s Up」.。レナード・バーンスタインが司会をしていたテレビ番組のドキュメンタリーで、バーンスタインですらも「じつに奇妙で難解な曲だ・・・」と唸ったという傑作中の傑作です。下がそのロング・バージョン。
https://www.youtube.com/watch?v=e-ZjIdyWu-U
https://www.youtube.com/watch?v=s3TRns_zssM
ビーチボーイズとビートルズのもうひとつ決定的に違う点は、ビートルズは赤の他人の寄せ集まりなんですが、ビーチボーイズは「家族経営」であったこと。メンバーのほとんどが兄弟とか親戚。他者同士のビートルズはお互いメンバーが嫌になれば解散すればよかった。しかし家族経営のビーチボーイズは解散という手段を取ることができない。ファミリーバンド(だからでこその素晴らしいハーモニーバンドでもあるのですが)であることもブライアンの悲劇で、血族同士の争いというのは、まさしく血みどろの状況になる。ブライアンの次弟のデニスは男前で女関係が激しく、同じくビーチボーイズ・メンバーである従兄弟のマイク・ラブの非嫡出子のショーン・ラブと4度目の結婚をしようとして猛反対される・・・といった骨肉の争いエピソードなんかは、まさしくビーチボーイズ的現象といえます。
70年代、80年代のライブでは伝説の名演も多いが、じつはメンバー間は最悪の精神状態で、ライブ中に観客にわからんように、お互い、密かに嫌がらせしまくってたとか。ブライアンは完全におかしくなっていて、自分がいまどこにいるのかもわからない状況なのにライブに出されてキーボードの前に座らされる。メンバーがこの曲をやるぞ!と演奏しだすのに、ブライアンだけまったく別の曲を弾いている。メンドクサイのでキーボードの電源を抜かれて、単なる客寄せパンダ、お飾りとして扱われた。当時のライブ映像も残ってますが、ブライアンみてるとライブ中なのに、フラフラ歩きだしたりして、もう、ここまで来ると悲劇というか完全に喜劇です。泣いていいのか、笑っていいのかわからん・・・。
それからもブライアンはユージン・ランディという謎のセラピストに洗脳されたり、弟デニスが酒とドラッグにはまって溺死したりとか、いろいろと波瀾万丈エピソードが続くんですが、関係者の必死の努力で、1990年代ぐらいから徐々に復活。ぼくは1999年の「Imagination Tour」の日本公演(大阪フェスティバルホール)でブライアンに生サインをもらいました。いや、正確にはブライアンには会えてないんですが・・・。
どういうことか?といえば、ブライアンのアルバムの「magination」を買って応募すると、バックステージにご案内というキャンペーンを当時やっていて、ぼくはそれに当選したんですな。それで大阪公演が終わって、関係者に案内されて「ここでおまちください。ブライアンが来ますから」といわれて、当時21歳のぼく(うわぁ!自分で書いてて驚いたww あれから15年か・・・)は、もう感動でドキドキでコチコチで「なにをしゃべったらええんやろか・・・」と固まっていたら、いつまでたってもブライアンが来ない。関係者もそのうち「あれ?」ってなりだして、いろいろとバタバタと確認したら、ブライアン、いつのまにか逃げるようにホテルに帰っていったと・・・。関係者は平謝りで、ぼくも最初は「ええ!!?」ってなりましたが「ああ。そうか」と思って、諦めて、あっさり帰りました。要するにまだ精神状態、全開やないんやなと。ファンとしては辛かったですな。ライブは最高のパフォーマンスでしたが、ムリしたんやないやろか?と・・・。
後日、関係者からライブ・パンフが届いて、そこに小さく「brian wilson」とサインが書かれていて、このサインの小ささなんかも、ブライアンの微妙な精神状態を表している気がしましたな。ただ、ぼくは、まったくモノには拘らない人間なんですが、これは、ちょっとした、ぼくの宝物です。画像がそれで、「ライブ・パンフのサイン」と「ゲスト・シール」です。
・・・というわけで、十三・シアターセブンにて「ブライアン・ウィルソン ソングライター」やってます。ご興味ある方はぜひともw
http://brianwilson-movie.com/
http://www.theater-seven.com/2014/movie_brianwilson.html