ホーム > 雑感 > 劇札はハイデガー曰くの「被投性」を楽しみ、笑い、遊ぶんですな。「状況」や「シチュエーション」や「世界」がカードとなって、自分の目の前に突如、現れる。理由なんてない。脈絡もない。雷のように出来事が、詩的に、垂直にやってくる。

劇札はハイデガー曰くの「被投性」を楽しみ、笑い、遊ぶんですな。「状況」や「シチュエーション」や「世界」がカードとなって、自分の目の前に突如、現れる。理由なんてない。脈絡もない。雷のように出来事が、詩的に、垂直にやってくる。

2017 年 4 月 2 日

劇札はハイデガー曰くの「被投性」を楽しみ、笑い、遊ぶんですな。「状況」や「シチュエーション」や「世界」がカードとなって、自分の目の前に突如、現れる。理由なんてない。脈絡もない。雷のように出来事が、詩的に、垂直にやってくる。

その無慈悲な、非情な世界に、どう自分の存在性を確立し、その可能性を広げられるか?世界内存在に気づき、「投企」できるか?が問われてくる。死(物語の終焉)に向かって。

昨日、劇札をやってて、この遊びは一体なんなのか?と思ってたんですが、ひとつ、わかりました。ものごっつう実存哲学的な遊び。いや、これは、深いw


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