昭和・平成の名曲シリーズ⑩木村弓『いつも何度でも』
昭和・平成の名曲シリーズ⑩木村弓『いつも何度でも』
『鬼滅の刃』は読んでないからようわかりまへんw 『千と千尋の神隠し』はおもろかった。名作。
※今日も明日も仕事(まち歩き)がキャンセルになり、やるせない陸奥はギターを弾いております。
昭和・平成の名曲シリーズ⑩木村弓『いつも何度でも』
『鬼滅の刃』は読んでないからようわかりまへんw 『千と千尋の神隠し』はおもろかった。名作。
※今日も明日も仕事(まち歩き)がキャンセルになり、やるせない陸奥はギターを弾いております。
僕の叔母(母の姉)の墓です。清子ちゃん(健生院妙清育徳童女)は生後2ヶ月、ヒサヨちゃん(健生院妙久育徳童女)が生後1歳3ヶ月で夭折しました。
母方(綿野家)の祖母と祖父は、2人の子供を次々と亡くし、心痛から日蓮系在家教団の霊友会に入会。近所の人に霊友会の信者がいたんですな。「あんた、ちゃんと先祖供養してるか?」という霊友会の定番の殺し文句(?)にやられてしまう。
祖母は和歌山の山奥の出身で、使用人に育てられたというぐらいの大地主のお嬢様でしたが、祖父とは戦後、駆け落ち同然で結婚して堺に来ていたので、長く自分の実家の墓参りをしていなかった。そこを突かれたわけです。そして霊友会に入って、すぐに生まれたのが僕の母です。
祖父なども熱心な霊友会信者で、霊友会の「集い」があると、開始時間の1時間前には会場にやってきて最前列で座っていたような人だった。読経の声も大きかったそうで。誰よりも大声。
母は若い頃に霊友会の事務所で働いたことがあり、その時に祖父は「真っ先に会場に来ている人」として霊友会の事務所でも有名人やったそうで、随分と恥ずかしい思いをしたとか。なんとなく僕も真っ先に会場入りしていた祖父の姿は、朧げながらも記憶がある。
そんな祖父、祖母は母(その後、2人の弟も生まれた)が無事に育ったのは霊友会信仰(先祖供養)のおかげと信じ込み、母はだから子供の頃から「あんたは霊友会の子や」といわれて育ち、熱狂的篤信者に。そんな母に育てられた僕が、しかし「3代目の失敗」で、反抗期の頃からアンチ霊友会、反宗教な人間になってしまうw
僕は一族郎党(みんな霊友会信者ですから)を敵に回して、10代後半からは徹底した宗教嫌いからヒューマニティを信じる近代文学にハマり、近代知性の権化、近代理性の信奉者みたいになるんですが、20代、30代と社会に出ると、いろんな挫折や苦労や失敗から丸くなりまして(体形も)。
世の中にでれば自分の知性、理性を超えた何かによって人生が浮舟のように流転するわけで。振り返れば自分の愚かしい、アホらしい、情けない人生を、何とかサバイブさせてきたのは、霊友会信仰(ぼくも12歳ぐらいまでは熱心にお経を読んだり、山に修行いったり、霊友会活動をしてましたから)などを経て、自分の中に血肉化、身体化、内在化されていた直観力やら霊性のようなもののおかげやないか?・・・と思ったりしてます(錯覚もしれませんが)。
実際、いま死生観光とか大阪七墓巡り復活プロジェクトなんてのをやっているのも、こうした僕の生来のスピリチュアリティが作用していて、そのマトリックスは、母→祖父母→夭折した2人の叔母に帰結していく。
綿野家の死と再生の物語なんでしょうな。この2人の叔母の、若すぎる、哀しい死が、自分(や綿野家)のスピリチュアリティの源泉となっている。ナラティブ(物語)が発動して、続いている。
そう考えると、人間は、なかなか、死にません。こうして、死を越えて繋がっていく。南無妙法蓮華経。合掌。
※会ったこともない、夭折した叔母の存在を感じ取れるのも、墓がちゃんと作られたおかげ。死者に向かって合掌できる場(墓)があることは非常にありがたい。スピリチュアル・ケアですな。
メロンパンは大まかに分けて2種類ある。メロンの皮に似せたメロンパンと、メロンの味に似せたメロンパンと。
メロンの皮に似せたメロンパンは味はそれほどメロンではない。
メロンの味に似せたパンはメロンクリームを入れ込んで、要するにメロンクリームのパンだったりする。
兎角に人の世は住みにくい(漱石)