泉北ニュータウンと旧村エリアを歩いて
堺市の資料から。泉北ニュータウンの将来人口予測。
1990年代は16万人が、いまは11万人。これが2030年には10万人を切り、2045年には5万8000人。高齢者比率は54%。老人、高齢者だらけのニュータウンになる。ニュータウンという名のオールドタウン。冗談みたいなほんとの話。
泉北ニュータウンは「田園都市構想」のある種の理想形、完成形のはずだった。しかし、経緯を見ていると、残念ながら、100年持たなかった。人間の営みの場として、サスティナブルではなかった。対して旧村エリアを歩くと、300年、400年の歴史を有する旧村も多い。人間の営みが定着している。少なくともニュータウンよりは長持ちしているように思う。
泉北まち歩きでニュータウンと旧村を交互に歩くと(そういうルートにしている)、それぞれの場の構造の違いがよくわかる。まずニュータウンは車中心主義で、歩く構造になってない。旧村は車では移動しづらい。曲がりくねった道、細道が多い。車がない、人(徒歩移動)が中心の時代に作られたから、当然、そうなる。
旧村エリアの曲がりくねった道や細道を歩いていて気付くのは、地蔵さんや稲荷神、道祖神、よくわからない石像などがゴロゴロあること。泉北はだんじり小屋なども多い。歩いていて、そちこちに、そうした信仰の痕跡、宗教性、スピリチュアリティを感じる。こうした信仰、宗教性がニュータウンにはない。まったく、ない。
ニュータウンは「便利」を基軸に作れられた。「駅から徒歩〇分」にスーパーがあり、病院があり、公園があり、学校があり、家がある。生活に便利で、効率よく、必要な施設が、配置される。
しかし、その必要の中に、どうも「宗教」はなかった。地蔵や稲荷、道祖神、寺社仏閣などは前近代的なもので、非合理で、不条理で、なくてもいいもの。近代都市の計画者の頭の中には、こうした宗教的な事柄は人間の営みに必要なものとして認知されなかったらしい。だから近代の都市計画に、地蔵や稲荷などは配置されない。(※正確には戦後の都市計画にない。戦前にはあった。戦前に作られた大阪・下寺住宅=軍艦アパートには、地蔵や稲荷が配置され、建て替えられた今も団地の一角に地蔵や稲荷が残って祀られている)。
本来、そうした宗教的なものには「祭礼」が付随する。地蔵があれば地蔵盆ができるし、寺社仏閣の春祭、夏祭、秋祭には、だんじりなども曳かれる。神輿も担がれる。なんで、そんなことをするのか?やっているのか?よくわからない、前近代的で、非合理で、不条理なものだが、それがあるがゆえに、場(旧村)に物語が生まれ、地元や地域を意識して、「ふるさと化」していく。自分の人生と場がミクスチャーされていく。
経済的合理性は「代替可能なもの」ということです。「駅から徒歩10分のスーパー」は「駅から徒歩5分のスーパー」に勝てない。「便利」を基軸にした設計では、より便利なものに、あっというまに取って代わられる。ニュータウンの人口が減っていくのは、「便利」を基軸に作られたから。ニュータウンよりも「より便利な場」があれば、当然、人はそちらに移ることになる。
不条理で、非合理で、意味不明な祭は「代替不可能なもの」で。「だんじりを曳く」「神輿を担ぐ」「盆踊りを踊る」といった体験は、他の体験に置き換えられない。そこでしか、できない。そこでしか味わえないから、その場から離れない。そういう場の経験があるから、ニュータウンは100年持たないのに、旧村は100年200年300年と続いていったりする。
「祭礼の日には逃亡中の指名手配犯も帰ってくる」というのは、日本全国各地にある都市伝説の類ですが、宗教や祭事という非合理で不条理で非言語的で説明がつかないものこそが、人間存在の核の部分を担っていたりする。それがないと、人間は、生きているとはいえない。生きていることは論理、近代的知性を超える。
ポスト・モダンの、サステイナブルなニュータウンがあるとすれば、まず神さま、仏さまを勧請する。地蔵を作る。稲荷を作る。祭(※)を作る。そういう知恵がいるのかも知れない。
「不条理を設計せよ」とかいうと、パラドックスやなぁw
※ニュータウンではイベントは多い。しかし祭礼はない。祭礼の中心には神さま、仏さま、死者、祖霊がいる。イベントにはそんな存在が中心にはない。イベントの中心にあるものは「資本」や「集客」であり、結局「経済的合理性」といえます。