陸奥家は元々、何宗であったのか?よくわからない。
陸奥家は元々、何宗であったのか?よくわからない。
僕の祖父・陸奥文夫(次男坊だった)は若い頃は無茶苦茶をしていたそうで、曾祖父・陸奥利宗の怒りを買い、実家からは勘当されており、交流が断絶している。
おかげで祖父・文夫はまだ経歴がわかるが、曾祖父・利宗の経歴はよくわからない。陸奥家は宇和島伊達藩の流れで、利宗は藩の飛び地があった高知県吾川郡池川村で生まれ、その後、鹿児島、北海道、東京と転々としている。妻が鹿児島藩士の鉄砲師範役・小山田家の娘で、そうした由縁で明治新政府(薩摩藩は勝ち組だったので)の仕事に携わったのかも知れない。
要するに官僚かなにかであったのでは?と思われるが詳細は不明で、ただ晩年は三重県の宇治山田にいた。宇治山田では代議士?名士?であったらしく、伊勢の赤福のスポンサーだったという。祖父・文夫がこどもの頃に赤福にいくと「むつのボンがきた」というので赤福食べ放題だったらしいが、これも本当かどうかサッパリわからない。
結局、陸奥家の先祖は宇和島伊達藩だから四国で、江戸時代の陸奥家の菩提寺、墓などはおそらくは四国の方にあると思われる。
陸奥家の戸籍は、いろいろと母(霊友会は先祖供養を大切にするので虱潰しに調べた時期がある)が調べたので、曾曾曾祖父・藤吾(5代前、明治時代)が高知県吾川郡池川村(現在は仁淀川町)に、曾曾祖父・万太郎(4代前、大正時代)が高知県高岡郡越智町が出生地ということはわかっている。
一度、陸奥家の先祖の菩提寺がわからないか?とそのあたりをリサーチしてみたいが、そこそこ寺院も多いので取っ掛かりがなかった。
ところが今回の父の葬儀のことで、母と話をしていたら、祖母・陸奥ヨシエの位牌が出てきた。これは夫である祖父・文夫がお願いしたもので、上の梵字が真言宗か天台宗の戒名に使われるものだというのがわかった。
祖父・文夫は真言宗か天台宗に帰依していたか、陸奥家の本来の宗旨は真言宗か天台宗であった可能性が出てきました。まあ、祖父は無宗教で、葬式の時に、適当に真言宗か天台宗のお坊さんにきてもらって戒名をつけただけ…という可能性もありますがw
陸奥藤吾の出生地の仁淀川町(池川村)には真言宗寺院もあるようです。そこにいけば、もしかしたら、陸奥家の先祖の墓もあるかもしれません。過去帳とか。時期をみて現地リサーチしてみたいものです。