お題目を一緒に唱えよう
去年の11/4早朝が父が倒れた日。まち歩きフォトスゴロクをやる予定だったが白河から急遽、大阪に蜻蛉返りした。福島県立博物館のみなさん、白河エマノンのみなさんにはその節は大変、お世話になりました。深く感謝しています。
父は11/4に倒れて、11/26に旅立ったが、この「生きているのか死んでいるのかよくわからない」状況の父の23日間は、自分の頭というか、精神というか、魂がまったく落ち着かなかった。常に微熱のような、フワフワした、地に足がつかない浮遊感覚。
こんなことをいうと随分と僕は父と仲が良かったように思う人もいるかもしれないが、全くそんなことはなく。15歳の時に僕はもう家を出てバイト三昧で、精神的には家とは断絶していて、正直、僕と父とは生き方も違えば、考え方も違い、趣味も特技も性格もまるであわない。一緒に酒を飲むなんて体験をしたこともない。いや、そもそもまともに面と向かって話をしたことがない。
それぐらい疎遠な、他人のような関係性であったのに、父の危篤と死が僕に与えた衝撃(?)は大きかった。だから世の中の普通の父・息子や、仲良しの父・息子はどれだけ大変であるか。考えてみれば、自分の存在の2分の1の出所がロストするわけで、こういうのは理屈ではなく、身体的に、霊的に、喪失感に襲われ、クルものがある。
古代中国では親が死ぬと3年間は喪に服したという。要するに3年間ぐらいは親の死によって日常生活に支障があるほどの精神変容が起こると考えた方がいい。僕は全くそんなことはないが、ふと涙が止まらないとか、いきなり泣き崩れる人がいても、そういうものだろうと思う。情緒不安定になって当然。
母はちなみにいまだに泣く。すぐ泣く。何かあったら泣く。二言目には「お父さんが生きていたら」といって泣く。まあ、しかし団地住まいでよかったなぁと思うのだが、父が死んでから団地内の「夫に先立たれた独居高齢女性コミュニティ・ネットワーク」(?)に迎えられて、あっちこっちでお茶したりしている。
古い団地は、もう独居の高齢女性だらけです。男の方がやっぱり先に死にますからな。それで父が死んだら、それまで全くお付き合いをしたことがない団地の高齢女性があちらこちらから大挙としてやってきて父の位牌に線香を上げ、それで一気に母の交友関係は広まった。こんときに「お見舞いです」というて、みんな同じ「むか新」の菓子をもってくるから、「むか新」は食べ飽きるぐらい食べました。それで母はみなさんと「仲間」になった。
父がいるうちは「あそこはまだ旦那が生きてるから…」と誰も交流しようとしないんですな。父が死んだら、あっというまに団地コミュニティの「主流派」「多数派」(団地では、もはや独身高齢女性が最大多数です)に飲み込まれてしまった。ある意味、派閥みたいなもんですわ。派閥。
中にはちょっと変な人もいて、初めて母とまともに話をしたのに、いきなり「香典なんぼもうた?」とか聞いてきた高齢女性もいました。うわあw
母はしかし長く霊友会の集いの場を仕切ったりしていたからベシャリがうまい。芸人みたいな切り返しをして、めちゃくちゃ社交的な人間だったりする。最近はその「傾聴力」「対話力」が高く評価されて、聞き役になり、団地の悩み相談係になったりしている。このあいだは「78歳のダンナに浮気された」という高齢女性の相談にのったという。※これがまた本当かどうかよくわからないらしい。なんせ高齢者だから勘違い、思い込み、被害妄想、ボケの可能性が否定できない…。
まあ、しかし団地は高齢男性少ないですから。生き残った高齢男性はモテモテやそうですな。齢70、80にしてモテ期到来。男性諸君、長生きせなあきまへんw
母のボヤキが面白かった。「霊友会やったらどんな悩みも最後は『お題目を一緒に唱えよう』で話が終わったけど団地の人はそれが使えないから困る」