【熊本県】津奈木町にて。広報誌まわしよみ新聞完成!
熊本・津奈木町と新潟・阿賀町の広報誌+熊本日日新聞+西日本新聞でまわしよみ新聞を作る。
『広報つなぎ』『広報あが』の比較がやっぱり面白かったw これは西田 卓司さんことニッシーに広報誌を送ってもらいました。おおきにニッシー!
地域広報誌を交換してのまわしよみ新聞はいろいろと可能性を感じております。良い地域交流、地方交流、まちづくりのプロジェクトになる。いろんな地域でもやってみたいなあ。
熊本県。津奈木町。奇石。重盤岩。
「まちなかコース」「海コース」「山コース」と3つのまち歩きフォトスゴロクを完成させましたが、そのうちの「まちなかコース」をみんなで体感してみようということで津奈木町まち歩きへ。
「まちのシンボルでもある重盤岩は登っときましょう!」ということでつなぎ美術館からモノレールに乗って頂上まで。高さ約80メートルほどですが、絶景かな絶景かな。見晴らしがいい。津奈木のまちなかが一望できる。
驚いたのが国旗が掲揚されていること。戦前からあるらしい。屋外で野晒しだから旗はすぐ汚れる。そうなると旗を新調するのは津奈木町役場の新人、若手やそうで命綱をつけながら国旗を替えるとか。どんなハードな仕事やねんww
高所恐怖症の人(ぼく)には到底ムリでしょうなあ…。
鹿児島を歩く。天文館界隈。ザビエル公園。
堺にもザビエル公園がありますが、こちらは鹿児島のザビエル公園。明治時代にザビエル来日を記念して教会ができ、空襲で焼失し、戦後に公園として整備されたという。ザビエルが当地を訪れた…ということではないらしい。
ザビエル公園は、あと山口県にもある。堺のザビエル公園。鹿児島のザビエル公園。山口のザビエル公園。これを日本三大ザビエル公園といいます。ウソです。勝手に命名しました。
鹿児島。城山墓地。西郷どんの墓。25年ぶりの再訪。
桜島がようみえる。
鹿児島。西郷隆盛生誕の地。スポット公園のように整備されていて、隣には西郷従道の生誕の碑もある。大きさが違いすぎる。
近くには大久保利通の生誕の地もあり、そちらはなんと駐車場であった。西郷と大久保の人気の差を感じる…。
西郷どんが人気者すぎてつらいが、近代日本を形作ったのは間違いなく西郷どんではなくて大久保利通。プロシア(ドイツ)のビスマルクをモデルに官僚統制による中央集権国家を強いて、それが現在まで機能している。
すでに大久保モデルは完全に時代遅れで限界、破綻寸前で、もはや現代日本の社会閉塞の病原、宿痾のようになっているが、しかし国家百年の大計ではあった。
こんな大政治家はもう出てこんでしょうな。世界は環境主義を尊重するグローバリズムと、地方自治、都市自治を軸にするローカリズムに分権化されていく。「国家」が解体されていく時代ですから。
鹿児島市。城山。西郷洞窟。西南の役の最後、西郷どんはここの洞窟の中で人生最後の5日間を過ごした。
西郷軍は500名足らず。官軍は3万名。勝敗はすでに明らかだが、総攻撃の前夜に官軍は銃撃をやめた。ウソのように静まり返る夜で、翌朝、総攻撃をする、その前触れだと西郷側にも伝わる。西郷たちはすべての食料、酒を分かち合って、ささやかな宴席を囲んだ。
このとき、官軍の軍楽隊が西郷軍に向けて、ショパンの『葬送行進曲』とヘンデルの『見よ、勇者は帰る』の2曲を演奏したという。暗い洞窟の中で西郷はその曲を聴いて何を思ったか。
いまは観光名所。洞窟の周りは市街地化して、バスも来るし、温泉もあるし、「おみやげセンターせごどん」とかいうお土産屋さんもあるし、「最GO-KIDS保育園」(西郷キッズ?)なんて保育園まであった。
鹿児島市。甲突川沿いを歩くと、あちらこちらに歴史案内板がある。NHK大河ドラマの『西郷どん』効果らしい。
近年は川沿いに「維新ふるさと館」というハコモノもできたようで、そこに至る道程に、これでもか!と、どこもかしこも同じような「西郷どん万歳!」「明治維新万歳!」「薩摩藩万歳!」みたいな案内板があるので正直みててイヤになってくるw
史跡案内、石碑とかは、その現場にあるのがいい。あまり縁もゆかりもない川沿いにワンサカと史跡案内板を作られても正直、ピンと来ない。
案内板の中で少し気になったのが薩摩焼の案内。これは僕の曽祖父母に関連する。
曽祖父・陸奥利宗の妻は薩摩藩士で鉄砲師範役の小山田家の娘ヲカ。このヲカにはタカという姉がいた。さすが鉄砲師範役の一族で「鷹」とか「岡」とかなんとなく鉄砲撃ちに関連がありそうな名前で笑う。
それで、じつは、このタカが嫁いだのが薩摩焼の苗代川窯の陶工の鮫島訓石だった。要するに曽祖父・陸奥利宗の義理の兄です。
この鮫島訓石は有名な沈壽官一族(白薩摩系)と並ぶほどの薩摩焼の名手だったそうで、とくに黒薩摩の評価がいまでも高いとか。
また訓石の作品は大阪・新世界で開かれた第5回内国勧業博覧会(1903)に出品されていて「古銅紋彫刻花瓶」などが記録にある。当時の代金は300円。現在の価値でいえば約600万円ぐらい。逸品ですな。
苗代川陶工は秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮陶工の一族。司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』の舞台でも有名です。
いまも苗代川には鮫島佐太郎窯(鮫島訓石の弟子筋)が現役で活動しているとか。いっぺん現地に行ってみたいんですが…。今回は行けなかった。市内を歩き回っただけで終了でした。