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サバイバーズ・ギルト

2023 年 2 月 14 日

尼崎にて。

阪神間には占い師、祈祷師、拝み屋が多い。民間の、単なる長屋や一軒家で、その手の仕事をしている人がいたりする。そして多くは家のどこにも占い師とか祈祷師とか拝み屋とは書いていない。知る人ぞ知るの口コミで「あの人の占いは当たる」とか「前世が見えるらしい」とかいわれて完全予約制、紹介制でやっていたりする。

話を聞いていくと、実は阪神淡路大震災の生き残りの人であったりする。どういうことか?

東日本大震災は津波の被害が甚大で、津波はライン(線)であったから、「ここまで波が押し寄せてきた」と目に見えてわかりやすい。それに対して阪神淡路大震災は直下型地震で、地面の安定性、地盤の具合なのか、全壊、半壊、一度損壊と一軒一軒、被害が違った。

周りは大した被害ではないのに、そこ一軒だけ全壊で潰れたというようなパターンがあれば、逆に周りは全壊なのに、そこ一軒だけなぜか不思議と壊れずに無事であった・・・というようなことも起こった。被害がまばらで、津波のラインのような「わかりやすい」ものではなかった。

回りの家は全員亡くなったのに、ひとりだけ生き残ったりした人は、なぜ自分だけが生き残ったのか?と考える。考えざるを得ないだろう。与えられた命。何かそこに意味があるのでは?なにか使命があるのでは?と思い込んでしまう。自分は天から、神仏から、選ばれた人間であると目覚める人、覚醒してしまう人がいてもおかしくない。

サバイバーズ・ギルトともいう。アメリカでは戦場帰還兵に多かったそうだ。生き残った者の罪悪感。義務感。責任感。使命感。

回りの人がほっておかないということもある。あの町内会は全壊したのに、○○さんの家だけは助かった。不思議だ。なにかあるに違いない。神さま仏さまから選ばれた人だ。あることないこと、いいふらす。周りの人も、みんなそういう目で見てしまう。そういう環境が、生き残った人を、またそういう気にさせる。

本人の体験。周りの環境。そういうものが積み重なると、おそらく、脳のどこかの回路が開いてしまうのだろう。いつまにか「見えてしまう」。自然と人の未来像、将来の姿、生き死にがわかったりする。

じつは人間には多かれ少なかれ、元々、そういう第六感や予知、感知能力、直観があるものだが、日常生活を送るには、そういう敏感すぎる能力は邪魔になってしまう。いつのまにか制御してしまっている。しかし直下型の大型地震という生き死にの体験によって、そのリミッターが外れてしまった。

危ないのは「リミッターが外れっぱなしの人」だが、こういう人は占い師や祈祷師、拝み屋などにはなれない。日常生活すら難しいだろう。しかし、中にはリミッターを開いたり、閉じたりができる人もいる。そういうタイプは優秀な占い師、祈祷師、拝み屋になれる。プロというのは「開く能力」ではなく「閉じる能力」を獲得した人のことをいう。

阪神間はだから、この手の占い師、祈祷師、拝み屋が多い。そして、その多くはひっそりとやっている。ボランティアも多い。この能力はお金をもらうものではないという。超越的な何者か?から自分に与えられた不可思議の力だから、他人のために使役するのだという。

「○○さんのアドバイス、助言で、救われた」という人も多い。人助けになっている。地震、震災は、いろんなドラマ、物語を生むが、サバイバーズ・ギルトもそのうちのひとつだろう。


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