堺大魚夜市
六月晦日は夏越の祓えであるが、昔は住吉大社の夏祭りもその時期に行われていた。現在は7月末から8月1日。要するに旧暦から新暦に移行して1ヶ月ズレた。
住吉さんの祭礼行列、神輿などが住吉から堺・宿院までやってくるが、堺の大浜では住吉さんの御祭礼だからということで堺はもちろんのこと、大阪湾、淡路島、小豆島、明石、瀬戸内、西日本各地から漁民たちがやってきて住吉大神への供物として新鮮な魚などを捧げたらしい。
しかし、そんなに大勢の漁民たちがやってきて魚をもってきても余りに大量なので捌ききれない。そこで供物の魚類はその後、「おさがり」として堺の町衆に売られることになった。新鮮な魚が安く手に入るということで「堺大魚夜市」は有名になり、堺の名物行事となった。
この堺大魚夜市が、いつから始まったのか?はよくわからないが伝承としては鎌倉時代ぐらいから始まったという。800年以上続く市場、祭礼ということになるが、まぁ、しかし、この辺のことは本当かどうかはよくわからない。なんせ堺の人(僕も含めて)はすぐ話を盛るというか大袈裟だから…w
堺大魚夜市は、だから「お祓い市」とも呼ばれた。夏越の祓えにあわせてやるから、お祓いの市というわけで、また魚市ではタコがよく商われたので「タコ市」とも呼ばれたとか。タコは「お祓いタコ」と呼ばれて縁起物でもあった。
面白いのが「夜市」であることで、これは夏の暑い盛りにやるものだから、自然と日が暮れた夜にやるほうが魚も傷まなくていいということだろう。また夜通し市をやるものだから堺の町衆の人たちは魚市の威勢のいい掛け声を聞きながら浜辺でゴロゴロ、朝まで寝たりしてたらしい。あんまりにもみんなが浜辺で寝ているものだから「堺の外寝」といって、それがまた名物でもあった。
もちろん若い男女が夜中にでてきてゴロゴロしてるわけで、だから浜辺のあちらこちらで風紀が乱れまくったりしたw いや、むしろ、それがメインかつ目的で、みんな堺大魚夜市に集まってきたといっても過言ではない。妓楼の女性も多かったようで商売繁盛すぎて過労で倒れたなんて話もある。
いまの世の中では到底ありえない公序良俗に反する堺の名物風俗行事であったが、こういうのはやはり戦時中に統制された。太平洋戦争中は堺大魚夜市は禁止されて、魚類の商いも国がコントロールする。公定価格が決められ、商い量も決められ、しかし堺の漁民たちは闇の魚商売をやって、それで当局に捕まったりしている。一般のマーケットには出回らないが一部の高級料亭などに魚を卸していたらしい。国のいうことなんか聞かない。自治都市・堺、万歳!w
この堺大魚夜市は戦後も続くが1960年代ぐらいから国の政策方針もあって堺の浜辺は工業地帯と化していく。『万葉集』にも歌われた白砂青松の美しい堺の浜辺が、どんどんとコンクリートの護岸に固められ、消滅していった。無念。
浜辺消滅に伴い、堺大魚夜市も、その存在意義が失われていく。海も見えない大浜公園の中で続けられたがアイデンティティ・ロストしてしまったので、どうにも盛り上がらない。結果として堺大魚夜市は1974年に中止となって、代わりに始まったのが「堺まつり(南蛮行列)」だったりする。この堺まつりも、いろいろとネタ話はあるんですが、まぁ、そのいろいろは割愛しましてw
結局、堺大魚夜市は一時期は中止だったんですが、いや、しかし堺の古くからの名物行事であるし…という声も多く出てきて、その後、また復活して現在も大浜公園で続けられております。
僕も若い頃は、ちょこちょこ遊びにいってました。ちょっと背伸びした中学生、高校生が浴衣きてやってきて楽しくやっております。時代の変遷と共に中身が変容してきておりますが、こういう祭礼があるのは珍しいし大切なことではないかと思います。
■堺大魚夜市
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