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2023 年 6 月 のアーカイブ

なんばパークス9階。南海メモリアルギャラリー。

2023 年 6 月 17 日 Comments off

大阪まち歩き大学!なんばパークス9階。南海メモリアルギャラリー。

昔はなかったが、野村克也監督ことノムさんのコーナーができた。ノムさんが亡くなって、ご遺族が南海と和解するまで南海メモリアルギャラリーのどこにもノムさんの名前はなかった。ほんまに見事に名前、痕跡が不自然なまでに消されていて、あれはあれで見ものでしたが。噂によると南海はノムさんの名前をちゃんと刻もうとしたが、ノムさん側(夫人?)が許さなかったという。

僕は南海ホークスファンで、こどもの頃に被っていたギャップも南海のもの。地元、堺の子は南海ファン、近鉄ファンが多かった。阪急、阪神なんてのはキタの球団です。ぼくは、堺の子は、ミナミの球団を愛していた。

こどものころの刷り込みというのは凄い。南海ホークスはなくなり、しかし、いまだに、だからといって阪神タイガースファンにはなれない。南海ファンのまま。阪神、嫌いではないが、別に巨人も嫌いではないw ファンというのは南海ホークスだけ。

1988年に南海ホークスはダイエーホークスとなった。そこで我が野球ファン人生(?)も潰えたことになる。当時の僕は10歳。あまりに早い野球ファン人生(?)の幕引きであった。

僕はノムさんは南海の人というイメージがあり、だから好きだった。阪神の監督をやったときだけ、阪神を応援した。星野監督時代はとくに応援しなかったw

ノムさんは著書がこれまた抜群に面白い。「負けに不思議の負けなし」など名言すぎる。テスト生から三冠王。こんな野球人はいない。


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会津の男と、明石の男が、大阪名物を作った。

2023 年 6 月 17 日 Comments off

大阪まち歩き大学!本日もまち歩き。岸里から玉出まで。要するに旧勝間村。マニアックなまち歩きだが、おもろい。深い。

玉出には会津屋の本店がある。創業は、戦前は今里新地にあった。当初はラヂヲ焼の屋台だったとか。ラヂヲ焼はタコではなく牛のスジ肉を入れていた。ラヂヲがハイカラな時代。ラヂヲは時代の最先端の流行アイテムだった。その名前をとった。いまでいうなれば「スマホ焼」となるか。

タコ焼きは小麦粉で作る。小麦粉はメリケン粉ともいった。つまりアメリケン(アメリカ)の粉。お好み焼きなども、一銭洋食というが、西洋の醤油=洋醤(ソース)も使う。たこ焼きもお好み焼きも、じつは「西洋料理」「洋食」で、だから「ハイカラ」な食べ物だった。ハイカラな洋食なので、ハイカラなラヂヲ焼きの名前がつけられた。

今里の会津屋は、ある日、明石の男がやってきてラヂヲ焼きを食べ「なんや?大阪は牛かいな?明石はタコつことるで」と何気なくつぶやいたことで、たこ焼き発祥の店となった。

明石の男は謎で、名前などはわからない。場所が面白い。今里新地だから、明石の男もきたのだろう。今里新地は、昭和初期には松島、飛田を凌駕する最新の遊廓として繁栄を誇っていた。エロは強い。わざわざ明石の男が今里まで来る。

会津屋というのも意味深で。創業者は会津がルーツ。近代の会津は複雑な歴史を有している。どんな由縁があって大阪まできたのか。興味がそそられる。

会津の男と、明石の男が、大阪名物を作った。文化のダイナミズムというのはそういうもの。ミクスチャーから生まれる。ごった煮ですわ。


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トルク東大阪。古地図を用いてお地蔵さんを探してみよう!というプロジェクト。

2023 年 6 月 17 日 Comments off

トルク東大阪。古地図を用いてお地蔵さんを探してみよう!というプロジェクト。

旧村、集落の入口、出口、街道のクロッシング、二叉路、三叉路などには大体、お地蔵さんがいるので、古地図で旧村、集落、街道がわかれば、お地蔵さんも発見できる。それを六体発見して「マイ六地蔵」を探してみるw

新しい住宅地、戦後の開発では、お地蔵さんが勧請されない。お地蔵さんがいないということは地蔵盆もない。先祖も帰ってこない。死者がいない。祖霊がいない。

地蔵盆はこどもたちに「ご先祖さんが帰ってくるんやで」「いつも先祖さんが見てくれてるんやで」と教える死生観教育の場であると思うのだが、そういう自分という存在の中に流れる「イノチの連続性」が確認できない。

人間は結局、環境の生物だから。「今だけ。金だけ。自分だけ」という考え方は、お地蔵さんがいないような生活環境などが影響するかもしれない。

自分よりも大きい存在。形而上の、超自然的な、超越的なもの。そこへの「祈り」や「願い」の場があること。結構、そういうことは人間の成長に大事なことだと思う。


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大阪日日新聞が7月末で休刊に

2023 年 6 月 13 日 Comments off

大阪日日新聞が7月末で休刊に。昔はコラムも書きましたし、大阪あそ歩やまわしよみ新聞も何度も取材されて記事にしてくれました。ありがとうございました。

新聞消滅時代。新聞ジャーナリズムの低下、崩壊によって何が起こるか?といえば議会政治の劣化と専横。どんな議員がいて、どんな議案が話し合われているのか?それを伝える人がいない。権力の監視が及ばないから民主主義が機能不全に陥り、死んでしまう。

ネットメディアは成長、拡大していますが、しかし残念ながら権力を監視するという、そういうジャーナリズムの本道、社会の公器たらんとする大義で動く人は少ない。それにお金を出す組織もなかなか見当たらない。

ネットメディアは新しいようで「動画再生回数(広告CMの視聴者数)がお金になる」という実に古い収益構造モデルだから、ゴシップ的なYouTuberが跳梁跋扈して、どうでもいいコンテンツを大量生産し、悪貨が良貨を駆逐するが如くの現状となっている。

こういうのは「不快感を覚える」といったボタンがないものか。動画再生回数ではなくて、その動画を見た人の評価(「いいねの数」と「不快感の数」で相殺する)で収益を換算するようにしないと、いつまで経っても良質なネットメディアは育たない。迷惑系YouTuberなどは、これは結局のところ、YouTubeの管理の不手際、責任問題であろう。

大阪の話に戻す。大阪の地方政治(維新政治)が異常なのは、大阪の地方新聞の権力監視が脆弱であることが大いに影響している。大阪日日新聞は過去に経営難に陥り、結果、鳥取県の新日本海新聞社が親会社になりましたが、しかし発行部数は1万部もいかないという哀しい現実がありました。

大阪は新聞のジャーナリズムがないのに、しかし準キー局という日本でも特異な位置の在阪テレビがある。在阪テレビ(準キー局)はキー局(東京)ほどの権力はないが、かといって地方局ほど弱い存在でもない。

大阪にいるとよくわかりますが、大阪出身で東京に一瞬だけ進出したけど定着せずに帰ってきた芸能人や、東京では人気が低迷したタレントなどが大阪の番組で活躍する…というパターンが非常に多い。大阪の準キー局は、そういう受け皿的なポジションにあり、結果として、どこか東京に対してルサンチマン的な雰囲気がある。そういう番組を大阪のおばちゃん、おじちゃん、高齢者がよくみていて、自然と洗脳されて、アンチ東京を昂進させる。

新聞は文字(ラング)のメディアであるから、それなりにロジカルで論理的なメディアですが、テレビは言葉(パロール)のメディアで、情感的、情緒的、感情的で非論理的な特性を持っている。テレビの中では声が大きいものが場を制します。

どれだけいっていることが非論理的で、破綻していようと構わない。相手の言葉を遮り、煙に巻き、重箱の隅を突き、針大棒小でもいいから極論をいって場を支配すれば、視聴者はそういうものかと思い込んでしまう。そういう詭弁的テクニックでテレビメディアを制したのが橋下氏でしょう。橋下氏が悪いのではなくて、テレビというのは、そういうメディアだということです。煽情型メディア。劇場型メディア。

地方新聞が弱いのに地方テレビが強いというのは非常に歪なメディア環境で、これが大阪の維新政治の躍進にも繋がっている。この特異なメディア状況がわからないと、大阪の政治状況がよくわからない。

大阪日日新聞の休刊で大阪の地方新聞は本当にもう消滅してしまう。新聞が強い地方は、地元の議会・議員にも見られているという緊張感があり、地方の政治を糺す作用が働いている。それがなくなってしまった大阪は、ますますおかしなことになっていくだろうが、歯止めがない。つらいことです。

ちなみに大阪あそ歩プロデューサー時代に大阪日日新聞のK記者さん(この人は大阪日日新聞の良心だといまだに尊敬しております)に取材され、その発行部数を聞いたときに「8000部です」といわれて、その余りの少なさに衝撃を覚え、それが僕に「大阪に地方新聞を作らないといけない!」という高邁なる志(?)を抱かせたキッカケでした。

その高邁なる志(?)が結実したのが、じつは、まわしよみ新聞であります。新聞社を作ったり、新聞記者になったり、新聞を発行することは資本がない僕にはできないが、新聞の読者は、新聞を自由に語り、切り取り、再編集することができる。だから、どんな新聞でもいいから新聞を購入し、読み、政治や経済、社会の出来事を話し合う場を作れば、こういう形でも権力の監視が成せるのでは?…と考えたわけです。17世紀イギリスのコーヒーハウスのような、町衆のメディアを作ろうと考えた。

なぜ大阪から、まわしよみ新聞がでてきたのか?生まれてきたのか?は、地方新聞の消滅という危機意識からだったということです。何が物事を動かすか、生み出すか、わからしまへんな。


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