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会津の男と、明石の男が、大阪名物を作った。

2023 年 6 月 17 日

大阪まち歩き大学!本日もまち歩き。岸里から玉出まで。要するに旧勝間村。マニアックなまち歩きだが、おもろい。深い。

玉出には会津屋の本店がある。創業は、戦前は今里新地にあった。当初はラヂヲ焼の屋台だったとか。ラヂヲ焼はタコではなく牛のスジ肉を入れていた。ラヂヲがハイカラな時代。ラヂヲは時代の最先端の流行アイテムだった。その名前をとった。いまでいうなれば「スマホ焼」となるか。

タコ焼きは小麦粉で作る。小麦粉はメリケン粉ともいった。つまりアメリケン(アメリカ)の粉。お好み焼きなども、一銭洋食というが、西洋の醤油=洋醤(ソース)も使う。たこ焼きもお好み焼きも、じつは「西洋料理」「洋食」で、だから「ハイカラ」な食べ物だった。ハイカラな洋食なので、ハイカラなラヂヲ焼きの名前がつけられた。

今里の会津屋は、ある日、明石の男がやってきてラヂヲ焼きを食べ「なんや?大阪は牛かいな?明石はタコつことるで」と何気なくつぶやいたことで、たこ焼き発祥の店となった。

明石の男は謎で、名前などはわからない。場所が面白い。今里新地だから、明石の男もきたのだろう。今里新地は、昭和初期には松島、飛田を凌駕する最新の遊廓として繁栄を誇っていた。エロは強い。わざわざ明石の男が今里まで来る。

会津屋というのも意味深で。創業者は会津がルーツ。近代の会津は複雑な歴史を有している。どんな由縁があって大阪まできたのか。興味がそそられる。

会津の男と、明石の男が、大阪名物を作った。文化のダイナミズムというのはそういうもの。ミクスチャーから生まれる。ごった煮ですわ。


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