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大阪日日新聞が7月末で休刊に

2023 年 6 月 13 日

大阪日日新聞が7月末で休刊に。昔はコラムも書きましたし、大阪あそ歩やまわしよみ新聞も何度も取材されて記事にしてくれました。ありがとうございました。

新聞消滅時代。新聞ジャーナリズムの低下、崩壊によって何が起こるか?といえば議会政治の劣化と専横。どんな議員がいて、どんな議案が話し合われているのか?それを伝える人がいない。権力の監視が及ばないから民主主義が機能不全に陥り、死んでしまう。

ネットメディアは成長、拡大していますが、しかし残念ながら権力を監視するという、そういうジャーナリズムの本道、社会の公器たらんとする大義で動く人は少ない。それにお金を出す組織もなかなか見当たらない。

ネットメディアは新しいようで「動画再生回数(広告CMの視聴者数)がお金になる」という実に古い収益構造モデルだから、ゴシップ的なYouTuberが跳梁跋扈して、どうでもいいコンテンツを大量生産し、悪貨が良貨を駆逐するが如くの現状となっている。

こういうのは「不快感を覚える」といったボタンがないものか。動画再生回数ではなくて、その動画を見た人の評価(「いいねの数」と「不快感の数」で相殺する)で収益を換算するようにしないと、いつまで経っても良質なネットメディアは育たない。迷惑系YouTuberなどは、これは結局のところ、YouTubeの管理の不手際、責任問題であろう。

大阪の話に戻す。大阪の地方政治(維新政治)が異常なのは、大阪の地方新聞の権力監視が脆弱であることが大いに影響している。大阪日日新聞は過去に経営難に陥り、結果、鳥取県の新日本海新聞社が親会社になりましたが、しかし発行部数は1万部もいかないという哀しい現実がありました。

大阪は新聞のジャーナリズムがないのに、しかし準キー局という日本でも特異な位置の在阪テレビがある。在阪テレビ(準キー局)はキー局(東京)ほどの権力はないが、かといって地方局ほど弱い存在でもない。

大阪にいるとよくわかりますが、大阪出身で東京に一瞬だけ進出したけど定着せずに帰ってきた芸能人や、東京では人気が低迷したタレントなどが大阪の番組で活躍する…というパターンが非常に多い。大阪の準キー局は、そういう受け皿的なポジションにあり、結果として、どこか東京に対してルサンチマン的な雰囲気がある。そういう番組を大阪のおばちゃん、おじちゃん、高齢者がよくみていて、自然と洗脳されて、アンチ東京を昂進させる。

新聞は文字(ラング)のメディアであるから、それなりにロジカルで論理的なメディアですが、テレビは言葉(パロール)のメディアで、情感的、情緒的、感情的で非論理的な特性を持っている。テレビの中では声が大きいものが場を制します。

どれだけいっていることが非論理的で、破綻していようと構わない。相手の言葉を遮り、煙に巻き、重箱の隅を突き、針大棒小でもいいから極論をいって場を支配すれば、視聴者はそういうものかと思い込んでしまう。そういう詭弁的テクニックでテレビメディアを制したのが橋下氏でしょう。橋下氏が悪いのではなくて、テレビというのは、そういうメディアだということです。煽情型メディア。劇場型メディア。

地方新聞が弱いのに地方テレビが強いというのは非常に歪なメディア環境で、これが大阪の維新政治の躍進にも繋がっている。この特異なメディア状況がわからないと、大阪の政治状況がよくわからない。

大阪日日新聞の休刊で大阪の地方新聞は本当にもう消滅してしまう。新聞が強い地方は、地元の議会・議員にも見られているという緊張感があり、地方の政治を糺す作用が働いている。それがなくなってしまった大阪は、ますますおかしなことになっていくだろうが、歯止めがない。つらいことです。

ちなみに大阪あそ歩プロデューサー時代に大阪日日新聞のK記者さん(この人は大阪日日新聞の良心だといまだに尊敬しております)に取材され、その発行部数を聞いたときに「8000部です」といわれて、その余りの少なさに衝撃を覚え、それが僕に「大阪に地方新聞を作らないといけない!」という高邁なる志(?)を抱かせたキッカケでした。

その高邁なる志(?)が結実したのが、じつは、まわしよみ新聞であります。新聞社を作ったり、新聞記者になったり、新聞を発行することは資本がない僕にはできないが、新聞の読者は、新聞を自由に語り、切り取り、再編集することができる。だから、どんな新聞でもいいから新聞を購入し、読み、政治や経済、社会の出来事を話し合う場を作れば、こういう形でも権力の監視が成せるのでは?…と考えたわけです。17世紀イギリスのコーヒーハウスのような、町衆のメディアを作ろうと考えた。

なぜ大阪から、まわしよみ新聞がでてきたのか?生まれてきたのか?は、地方新聞の消滅という危機意識からだったということです。何が物事を動かすか、生み出すか、わからしまへんな。


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