四天王寺の北東(鬼門)に位置するのが五条宮
四天王寺の北東(鬼門)に位置するのが五条宮。ご祭神は聖徳太子の叔父にあたる敏達天皇という。この辺りの神社は四天王寺ゆかりのお宮さんが多い。四天王寺といえば聖徳太子。だから太子の親戚一同がご祭神として祀られていたりする。
例えば四天王寺七宮(四天王寺を守護するお宮さん。大江、上之宮、小儀、久保、土塔、堀越、河堀稲生)にもなっている大江神社は欽明天皇で、この人は聖徳太子の祖父である。「仏教公伝」はこの欽明天皇時代のことなので、仏教=四天王寺にも深く影響した人物といえるだろう。
また堀越神社と河堀稲生神社は太子の叔父である崇峻天皇がご祭神として祀られている。崇峻天皇は日本の正史に「暗殺された」と明記されている唯一の天皇で、だから「残念さま」「怨霊神=御霊さま」ともいえる。恨み辛み怒り苦しみ哀しみを残した神さまほど霊力が強い。災い転じて福と為すで四天王寺を守護してくれる。七宮にはもってこいのご祭神かもしれない。
ちなみに崇峻天皇を暗殺した人物は東漢駒。東漢(やまとのあや)はその名の通り、漢の国からやってきた渡来人系で後漢の霊帝の子孫と称していた。この辺は本当かどうかはわからないが日本に帰化した後は坂上氏となった。じつは東漢駒は征夷大将軍・坂上田村麻呂の先祖でもある。
あと四天王寺、太子関連の神社では元々、四天王寺があったという鵲森宮があり、こちらは用明天皇(父)がご祭神として祀られている。用明天皇は天皇の位についたが、即位後すぐに当時流行していた天然痘で夭折してしまった。
仏教伝来で、どんどんと大陸と日本の交流が増えるにつれて、じつは日本国中で伝染病が蔓延した。大陸から渡来人たち(僧侶)が来るということは未知の細菌、ウィルスと日本人が接触するということでもある。
それを何とかしようと太子が施薬院、療病院、敬田院、悲田院など「四箇院」を作り、これが四天王寺のはじまりともいうが、病原菌を広めるのも渡来人(僧侶)たちであったし、病気を治す仏教を広めるのも渡来人たちで、要するにマッチポンプといえなくもないw
五条宮の「五条」の由来が謎で、古代の首都・難波宮の時代の条里制の名残で五条の位置に当たるから…という説がある。実際に難波宮から四天王寺までは約3.2キロほどで、古代の一条は諸説あるが大体、650メートルというから五条に相当するといわれても、それほど不思議ではない。京都に五條天神社があり、これは五条の通りにあったというところから名づけられているらしいので、五条宮が難波宮の五条から来ている可能性は十分にありえるだろう。
僕が五条宮で気になっているのは「四天王寺七宮に入っていないこと」で、ご祭神が敏達天皇で位置としても四天王寺の鬼門に当たり、七宮に入っていても全くおかしくないように思うのだが、なぜか入っていない。謎です。
天和(1681~1684)年間の鳥居があったという古文献が残っている。また「玉手松」という松が有名であったらしい。いまは樹齢500年を超えるというイチョウがご神木として崇敬されている。