【いわき時空散走】四倉・大野・玉山ツアーの最後はサポーターの松本さんのご実家へw
じつは今回のいわき時空散走のツアー、植田・佐糠・金山ツアーはサポーターの正木りなさんのご実家に行き、小川郷ツアーはサポーターの櫛田さんのご実家に行き、全ツアーでサポーターさんの実家を訪問しております。そんなツアーがあっていいのか?いいんですw なんせコミュニティ・ツーリズム(地元観光、地産地消の観光)だから。
それで松本さんの地元の後輩のSさんが持ってきてくれたのがこちらのバラバラの石炭。ほんまはひとつの大きな石炭であったらしく、しかし、風化(?)して割れてしまった。じつは常磐炭鉱の浅貝炭鉱集落が閉山される時の最後の石炭とか。ラスト石炭。
そんな儀式が常にあるのかどうかは知りませんが浅貝炭鉱集落では閉山して山を降りることになった時に仲間たちで巨大な石炭を形見分けのようにして持ち帰ったとか。このラスト石炭はSさんの父が持っていたものだそうです。
どういう思いで山を降りたのか。泣けますな。ラスト石炭。
【いわき時空散走】11/26(日)は四倉・大野・玉山コース。2023年秋の3コースのラストでした。
思い返せば2023年1月にいきなりノレルさんに呼び出しされて、極寒(気温0度!)のいわき七浜海道70キロを有無を言わさず走らされて「どや!?」と感想を求められる…という無茶振りの一年のスタートでしたが、いろいろと紆余曲折を経て「いわき時空散走」というカタチでサイクル・コミュニティ・ツーリズムのプロジェクトがスタート。
その第一弾のリサーチが松本さんのご案内による大野・玉山でしたが、これがもうとんでもなく面白かった。そして大野・玉山でこんなに面白いサイクル・ツアーができるなら、いわきの彼方此方でも同じようなツアーが可能ではないか?と直観したんですな。そして植田・佐糠・金山コース、小川郷コースなどが出来上がっていった。
要するに四倉・大野・玉山コースは、いわき時空散走プロジェクトの記念すべき第一弾コースで、それがようやく実施できて、また参加者のみなさんが大いに楽しんでくれたようで、本当に感慨深しいものがありました。参加者にはわざわざ奈良県から来てくれた方もいました。奈良県?!
なにはともあれ事故もなく無事に終了し、また、いずれのコースも満員御礼で感謝しかありません。参加者のみなさん、関係者、サポーター、事務局のみなさん、本当にありがとうございました。感謝です。
【いわき時空散走】四倉・上仁井田にて。よこ川荘という旅館の前に諸橋良月、源良夫の顕彰碑。
民謡歌手、演歌歌手らしい。代表曲の『カラオケ人生』が気になる。覚えて歌いたいw
【いわき時空散走】四倉・上仁井田の海岸を歩いていて、やたらとでっかい銅像を発見。誰ですか?と近づいたら「木村守江先生之像」とあった。顕彰碑を読むと福島県知事らしい。
いわき・四倉出身の人で福島県知事がいたとは知らなかった。1964年から1976年まで知事であったらしく、この時代に福島第一原子力発電所が建設された。じつは前任の佐藤善一郎知事が誘致を正式決定し、木村知事はそれを継承したに過ぎないらしいが、それにしても功罪ある政治家であろう。
また県知事時代に土地開発の収賄容疑で検察庁に逮捕、有罪判決を受けるという前代未聞の汚職事件を起こし、それで政治生命が絶たれた。
政治家として引退した後は老人ホームの経営者となり、ゴルフ三昧、登山三昧の人生であったらしい。96歳の長命で亡くなっているが、1992年には「富士山高齢登拝者番付」で東の正横綱になったとか。よくわからない記録だが(誰が調べているのか?)悠々自適の晩年を送ったということだろう。
いわきにも多大な影響を及ぼしていて、14市町村を合併していわき市を「日本一広い市」にしたのも木村知事らしい。
行政改革で自治体をくっつけただけで「日本一」の称号を得てしまった…というのが、いわき市の妙な成功体験(?)のように語られる時がある。※都市の規模や実力、マーケットの価値などは広さよりも人口密集率で語る方が正確だろうと個人的には思う。
世の中には「日本一病」とか「日本三大病」みたいなものがある。ちゃんとした実質があればいいが、なんとなくムリヤリ捏造するようなところがあり、そういうことで自尊心(?)を肥大化させると、あまり碌なことがない。
僕が昔聞いて「はあ…」となったのが「堺の餃子の購入額が日本第三位」とかいうもの。「堺は宇都宮、浜松に続いて餃子の購入額は日本第三位!」やそうで、堺の役所の人が「堺餃子を食べよう!」みたいなことをやっていた。堺餃子て…。確かに餃子は好きやが…。
https://j-town.net/2018/04/11258541.html
【いわき時空散走】四倉の上仁井田にある「旅館なぎさ亭」に泊まる。玄関に草野心平の詩が掲げられていた。晩年、よく宿泊に来ていたらしい。三階に海が一望できる部屋があり、そこがお気に入りであったとか。しかし残念ながら東日本大震災の被害に遭い、旅館は新しく建替え(三階建てから二階建てに)となり、草野心平が愛した部屋は無くなってしまった。無念。
創業は百年ぐらい。今の若女将さんで4代目で美味しい朝食を頂き、そのあとに少し話を聞いたら、じつは当初は貸ボート家だったとか。貸ボート屋をやっているうちに常連客が泊りだし、もうそれなら旅館やるか…ということで旅館業を始めたとか。面白い。
美しい海岸が名物で、いま80代70代の地元の方が若い頃は、この辺りがデートスポットだったらしい。ここでプロポーズして結ばれたというご夫婦も多いとか。青春の思い出の旅館ということだろう。
若女将さんはインスタでノレルの活動をチェックしておられたそうで、なんと僕のことも知っていた。「四倉の山の方に何があるのか全然知らなかった。(マップを見て)初めてこんなにいろんなものがあると知りました」とお褒め頂いた。恐悦至極。ありがたいことです。またちゃんとマップが完成したら持っていきます。エレベーターや玄関に貼って欲しいなw
いわき時空散走の取り組みがいわき、四倉のみなさんの地域の掘り起こしに繋がれば本当に嬉しい。なぎさ亭は自転車ユーザーの泊り客も多いとか。是非ともいわき時空散走マップをみて走ってみてほしい。