美山の陶工・鮫島訓石
鹿児島。日置市。美山。
僕の曽祖父・陸奥利宗の妻(曽祖母)はヲカという。旧姓は小山田ヲカで、この小山田家は薩摩藩の鉄砲師範役であった。ヲカには姉がいた。タカという。さすが鉄砲師範役の家の娘で「丘」やら「鷹」やら鉄砲に纏わる名前なのが少し面白い。
そのタカは実は美山の陶工・鮫島訓石に嫁ぎました。鮫島訓石は幕末、明治の人で特に白薩摩の名手として知られていて第五回内国勧業博覧会やシカゴ万博などにも白薩摩の名作を出品している。
鮫島訓石には弟子がいて、それが鮫島司、鮫島実という。もとは「崔さん」「何さん」という朝鮮系の人らしく鮫島訓石に薩摩焼を習い、鮫島の名前を頂いた。その鮫島実の息子で跡を継いだのが鮫島佐太郎さんという。
鮫島佐太郎さんも薩摩焼の名人、大家であったが郷土研究のようなこともしていたようで、いくつか美山のことを書いた本を残している。そのうちのひとつが『苗代川のくらし』。この本が欲しかったが、もちろん絶版で古本屋では数万円の値段がして、なかなかおいそれと買えるものではなかった。
ところが、この本が沈壽官窯の隣のカフェの本棚にあった。いくつか写真もあり、佐太郎窯の様子や鮫島流の黒薩摩などを見ることができた。
曽祖母の姉の嫁ぎ先だから鮫島訓石(鮫島家)と僕は直接的な血の繋がりがあるわけではない。遠い遠い親戚ということになるが全く交流もないし、いま鮫島訓石氏のご子孫がいるのかどうかもわからない。わからないが鮫島訓石の薩摩焼を継承した方(鮫島司、鮫島実、鮫島佐太郎)がいて、その関係者の著書が読めたのは望外の幸甚でした。
まさか美山に自分の親戚がいたとは…です。数年前までは全くわからなかった。父の死後、陸奥家の古い戸籍を遺品として受け取って調べた結果、いろいろとわかってきた。陸奥家ファミリーヒストリーですw