「もうあかん…」と淡路島アートセンターのみなさんが頭を抱えている現場を見てしまいました…。たぬきメディア「けもり」とか「瓦の音楽」とか「五斗長ウォーキングミュージアム」とかオモロイんでみんな是非とも淡路島に遊びに来てください〜!ww
■無責任編集たぬきメディア『けもり』
otanuki.wix.com/kemori
■「瓦の音楽 musik genteng」野村誠+やぶくみこ – YouTube
www.youtube.com/watch?v=zGUEnubcAHA
■ごっさ-五斗長-GOSSA
gossa-awaji.jp
九州まわしよみ新聞編集長メンバーの原口さんの投稿より。福岡県小郡市を中心に一回目は城山公園、二回目は浄土真宗の寺院、三回目は居酒屋、四回目はイオン…と週末になったら、いろんなところでまわしよみ新聞を実施展開中。ドサ廻りまわしよみ新聞編集長ですなw 次はどこでやりはるんか?期待してますw
まわしよみ新聞、北日本新聞さんに取り上げられました!^^ まわしよみ新聞編集長の村上さん、池田さんらのおかげで、北陸まわしよみ新聞ムーブメントが一気に盛り上がってます。すごいなぁ・・・。ほんまに、ありがとうございます~!m(_ _)m
駒川中野から針中野、西田辺まで。鷹合村、湯里村、中野村、田辺村を歩く。大阪の旧村・旧郷の名残。渋いまち歩きですww
まわしよみ新聞、北日本新聞さんに取り上げられました!^^ まわしよみ新聞編集長の村上さん、池田さんらのおかげで、北陸まわしよみ新聞ムーブメントが一気に盛り上がってます。すごいなぁ・・・。ほんまに、ありがとうございます~!m(_ _)m
「公共」とひとくくりにして言ってしまうが、本来、「公」(パブリック)と「共」(コモンズ)はちゃうんですな。公の主体は「官」であり、共の主体は「民」。
江戸時代は「士農工商」の絶対封建社会。商人=町衆は、いちばんの最下級の人間やった。まちを歩いていて前から武士が来る。町衆が刀に触れてしまうと、その場で「切捨御免」されても文句はいえなかった(江戸初期は特に。江戸中期になると、町人階級が力を持ってきて、そうした事情も変わってきますが)。
19世紀の江戸の人口は100万人。そのうち半分の50万人は武士。まさに「官のまち」といえる。対して大坂は30万都市。しかし9割以上が商人=町衆やった。「最下級の人間」「民草」が集まって作られたまちが大坂。要するに大坂には官がいなくて民しかいなかった。「公」やのうて「共」のまちやった。
江戸時代の大坂の「共」「民」の強さは町人たちが町を治めるために定めた「町式目(町会式目)」の条目数でわかります。江戸は50項目ほど。京都や奈良は200項目ほど。大坂の町式目の条目数は500項目もあって、江戸の10倍以上、京都や奈良の2倍以上あった。日本でいっちゃん自治意識が髙い都市が大坂やった。
面白いのが大坂には「軒親」(のきおや)なんて制度があったこと。朝、起きると、家の前(軒の下)に「捨て子」があった。こういう場合、どうすればいいか?現在なら役所(行政=官)に連絡しますな。江戸時代の大坂はちゃいます。捨てられていた家が捨て子の養育費の50パーセントを負担する。隣の家がそれぞれ20パーセントを負担し、向いの家が10パーセントを負担して、みんなで「軒親」となる。大体、その子を5歳ぐらいまで育てて、あとは丁稚奉公で商家にやってしまう。※画像は「軒親」の図。ヘタですんまへんw
捨て子というのも、だから貧しい家の前には置きまへん。天王寺屋、加島屋、加賀屋、住友、鴻池といった大坂を代表する大豪商の軒の前に捨てる。貧しいとかいろんな事情で、自分らでは子供を育てられないとなったら、そういうセーフティネットが当然のように機能していた。
大坂名物の「くいだおれ」というのも「共」の精神の発露です。大坂は水の都。橋も多い。浪華八百八橋。橋の建設費や維持管理費を負担したのも町人たち。幕府や藩が作った橋は「公儀橋」というが、大坂は「町橋」だらけ。橋はしかし津波や大雨や高潮で流される。朽ちていく。「杭」を何度も何度も作り直す。その費用が嵩む。「杭倒れ」しそうになるぐらいまちのために力を尽くす。これが大坂の町人の名物で誇りだった。
明治維新によって近代国民国家が作られ、あらゆる日本の都市は官主導となります。「地租改正」(入会山を官地か私地に編入する)や「村斬り」(違う共同体を合併したり分割したりする)などによって民(共)のシステムやルールを崩壊していく。それでも大阪は、まだかすかに民(共)の精神が残っているほうやと思ってますが・・・。また現在「公共」というとき、そこに「共」はありまへん。「共」は「公」に侵犯され、奴隷と化している。
「共」が「公」の奴隷になっている判り易い事例は日本のNPO法人。NPOは共的な組織といえます。しかし大部分のNPO法人が官(行政)の助成金、補助金に頼っている。税金が官(行政)を経由してから民(NPO法人)に渡るので、いつまでたってもはNPO法人は官の奴隷か下請けのような状態にある。官(公)は年々、メタボ化し、民(共)は先細る。「認定NPO法人制度」ができましたが、もっと民(共)を育てる仕組みが欲しい。※クラウドファンディングなんかにはちょっと期待してますが・・・。
今回の大阪都構想の住民投票の結果で、大阪の民(共)の精神は?と、それが気になってます。近代国民国家が産まれて150年。いろんな意味で官(行政)は制度疲労してます。「自分たちのまちのことは、自分たちでやろう」「自分たちでやるしかない」という自治精神が芽生えたら、それがいちばん長い眼で見て、ええことちゃうか?と思ってます。
3年前のこと。新しく大阪市長に就任したばかりの橋下市長に接見して「大阪あそ歩」の概要を説明すると「これこそがぼくが目指している理想の市民主体の政治の姿ですよ!」とえらく激賞され、それでいて予算はカットされましたw べつにそのことをまったく恨んでないし、予算がなくなり、あそ歩を卒業することで、ぼくは心置きなく新しい分野に挑戦することができましたから。橋下市長政権誕生がなければ、まわしよみ新聞も直観讀みブックマーカーも当事者研究スゴロクも、この世に産まれてません。そういう意味では橋下市長というのは自分の人生にいろんな影響を及ぼした人物で。その橋下市長政権の、この劇的な終わり方はなかなか感慨深しいものを感じてます。
ひとまず、大阪市民のみなさま、おつかれさまでした。大阪都構想とは一体なんやったんか?という総括は今後の課題でんな。