奈良・大和郡山「こちくや金魚すくい道場」
奈良・大和郡山のこちくやさんにて金魚掬いレクチャー。たかが金魚と思うなかれ!
「金魚に逆らってはいけない。いつ掬われたかわからないぐらい、金魚の動きを利用して掬わなければならない。逃げるものは追いかけてはいけない」
これはもはや一個の哲学であります。金魚掬い、深い…。ちなみにぼくは一匹も捕まえられませんでしたorz
奈良・大和郡山のこちくやさんにて金魚掬いレクチャー。たかが金魚と思うなかれ!
「金魚に逆らってはいけない。いつ掬われたかわからないぐらい、金魚の動きを利用して掬わなければならない。逃げるものは追いかけてはいけない」
これはもはや一個の哲学であります。金魚掬い、深い…。ちなみにぼくは一匹も捕まえられませんでしたorz
神戸のトンカ書店さんでやった「直観讀みブックマーカーを作る会」にご参加いただいた上野さんが、ご自分でも「直観讀みブックマーカーの会」を実施してくれました!( ´ ▽ ` )
直観讀みブックマーカーは「まわしよみ新聞」と同じ「いつでも、どこでも、だれでもできるコモンズ・デザイン」で完全無料のオープンフリーソース。誰でも自由にやって構いませんし、やって欲しいというものなんで、ご興味ある方はぜひともやってみてください!ちなみに企画者は参加費をとって有料イベントにしていただいてもかまいません。準備する手間暇や会場使用料なども発生するでしょうし。有料イベントだからといってぼくから企画使用料の請求が来たりもしませんのでw
作り方と白紙のブックマーカーは公式サイトからダウンロードできます。何卒よろしくお願いしますm(_ _)m
■直観讀みブックマーカー公式サイト
http://tyokkannyomibookmarker.info/
今日の直観讀みの風景
初めましてさんがいたので、ニックネームを付け合ったりなんかして、リラックスしてからスタートしました。
訳わからずお越しになった方もおられましたが、とても喜んでいただき、最後には口を揃えて、「直観讀みすごいっ!」
いい時間を共有できました(^_^)v
「健康平均寿命」というのがあるそうですな。平均寿命は日本の場合は80歳近くありますが、誰の手も借りずに健康にいられる年齢はじつは70歳ぐらい。残り10年は看護婦か介護人か付添人かわかりませんが、誰かのお世話にならないと生きていけない。つまり健康に生活や仕事ができるとするならば70歳が区切りということです。
マラソン選手がいちばんしんどいのはスタート地点やゴール地点でもなく、折り返し地点といいます。マラソンは42.195キロ走らないといけない。最初は距離感がよくわからない。しかし折り返し地点に来ると、残りの距離感がわかる。いままで走って来た距離と同じだけ走れば、その先にゴールがあるということが否応なしにわかる。これがしんどい。いままで必死で走って来た。しかしようやく半分。この苦しさが同じだけ続くのか・・・。
ぼくはいま35歳で、これを倍にすると丁度70歳。健康平均寿命で考えれば、ぼくの人生はすでに折り返し地点に来ている。0歳から35歳まで生きてきて、その中でやったこと、やれたこと。それを考えると、自分の残り35年の後半生でやれることも、なんとなく分かってくる。35年間は短いというわけではない。しかし、長いというほどのものでもない。「人生のスケール」が体感としてわかってしまう。それが35歳という年齢らしい。
わかっていることは、ひとりでやれることはたかが知れているということ。仲間がいる。ネットワークを作らないといけない。そして、それはツリー状ではなく、不定形のアメーバのような、リゾーム状でないといけない。その入口には立っています。「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」などの「コモンズ・デザイン」は、そういう発想の実現です。今後はそれをより立体化させ、複雑化させ、高次元化させていく。それがぼくの来年以降の課題でしょうな。
「聴く」と「聞く」は違うという。
「聴く」というのは、漢字の成り立ちを見ると、耳+悳。この「悳」というのは「まっすぐ」というような意味で、要するに心を集中して聴くことを「聴く」というんですな。
では「聞く」とはなにか?これはじつは門の向こうから「聞こえてくるもの」を「聞く」といいます。じつは本人は聞きたくない。しかし、どうしても聞こえてくる。心に届いてくる。それが「聞く」なんですな。ちょっと怖い言葉です。
自分が聴きたいもの=「聴く」。他者から聞こえてくるもの=「聞く」。能動的なものが「聴く」であり、受動的なものが「聞く」といってもいいのかも知れません。
「如是我聞」とは、お釈迦さまの説法を、弟子たちが「聞いた」ものです。おそらく弟子たちは一心不乱に、熱心にお釈迦さまの説法を「聴いた」と思うんですな。しかし、お釈迦さまの言葉は「聞こえてきた」。自分が聴きたいと思った言葉(お釈迦さんに期待した言葉)ではなくて、お釈迦さまの言葉は、常に意外な言葉で、思わずハッとして、するすると自分の心の中に聞こえてきた。だから「如是我聴」ではなくて「如是我聞」なんだろうと思います。
應典院コモンズフェスタの24時間トークイベント「如是我聞」も、色んな言葉が飛び交います。その乱れ打ちの言葉の中から、ふと聴くではなくて、「聞こえてくる言葉」ってのがあります。その時は何げなくスルーしていても、後でボディーブローのように聞こえてくる言葉ってのもあります。
世の中に「聴く人」(自分が聴きたい言葉を聴きにいく人)は多い。しかし聞く体験(自分の中にはない、他者性に満ち溢れた言葉)は実は意外と少ない。人は、もっと聞いた方が良い。聞く体験をした方が良い。如是我聞。ぜひとも。
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■12/25(水)21時から26日(木)21時まで24時間トークイベント!應典院コモンズフェスタ2014企画「如是我聞vol.2~是の如く、我聞けり~」実施します!
http://www.facebook.com/events/475023722612560/
「まわしよみ新聞をやりたい!」と同時に「まわしよみ新聞をどうやって作るんですか?」というお問い合わせが増えてきました。そこで「第3回まわしよみ新聞編集長(ファシリテーター)養成講座」を実施します!
■1/29(水)19時よりEARTHにて「第3回まわしよみ新聞編集長(ファシリテーター)養成講座」開催!
http://www.facebook.com/events/246386662194707/
「なぜ、まわしよみ新聞をやっているのか?作るのか?」という「想い」の共有から、実際に参加者全員で「まわしよみ新聞」を作成しながら「まわしよみ新聞」の作成のコツ、場の運営のノウハウなどをお教えします。この講座を受けると「あなたも明日からまわしよみ新聞編集長(ファシリテーター)になれる!」というものです。受講者にはまわしよみ新聞実行委員会名義の公式の「修了証」も発行します。ご興味ある方はぜひともご参加してください!^^
■集合日時:1/29(水)19時~22時
■集合場所:釜ヶ崎の伝説の喫茶っぽいなにか「EARTH」
(西成区太子1-3-26)
https://www.facebook.com/pages/EARTH/411417968913437
■参加費:1000円+まわしよみたい新聞
■定員:10名
■講師:むつさとし(まわしよみ新聞オーナー)
※まわしよみ新聞とは?
オールフリー&オープンソースで「いつでも、どこでも、だれでもできる」が合言葉!「コモンズ・デザイン」(共的空間設計)によって開発された大阪・釜ヶ崎生まれの新しい市民メディアの「エトス」(型)です。
http://www.mawashiyomishinbun.info/
中国の歴代王朝は、皆、北方の騎馬民族を恐怖しました。始皇帝は万里の長城を築いて中原に閉じこもったし、劉邦は宿敵・項羽を倒して漢帝国を樹立させたのちに匈奴遠征に出て大敗北を喫して取り囲まれ、屈辱的な講和を結ぶことになりました。
古代中国で唯一、匈奴遠征に成功したのが前漢・武帝時代の武将・霍去病(かくきょへい)。去病は成りあがりの家のお坊ちゃま育ちで、まだ20歳にも満たない若者ですが、匈奴遠征にやたらと強くて連戦連勝した。しかし、じつは「孫呉の兵法」も知らないということを武帝は知って、「去病は孫呉の兵法も知らないのに匈奴に勝っている。この上、孫呉の兵法を知ればまさに鬼神となるだろう」と孫呉の兵法書の陣中に送った。しかし去病は「匈奴と戦うのに忙しすぎて兵法書を読んでるひまがありません」と読むのを断った。
去病の状況を思えば、おそらくは読まなくて正解だったろうと思うんですな。「孫呉の兵法」というのは、中原における戦争の教科書であり、ルールブックですが、教科書やルールブックはそれを読んだ人間同士にしか通用しないですから。中国大陸の、中原の覇者が、しかし異民族遠征に出ると悉く敗北したのは、要するに相手が「孫呉の兵法」という「常識」や「ルール」(それは中原でしか通用しない)から外れていた異民族であったからです。「空城の計」(わざと城の門をあけて罠がしかけられているように見せかける計略)なんてやっても、異民族には伝わりません。あっというまに攻められて滅ぼされたことでしょうw
去病は「孫呉の兵法」を知らなかった。しかし実は知らないからでこそ、匈奴に勝利することができた。教科書やルールや常識という「狭い料簡」がないですから。ただ目の前の匈奴に即した戦い方を考えて、必死になって実践しただけ。それが去病の強さの秘密でした。世の中に蔓延している「教科書」や「ルール」や「常識」といったような「狭い料簡」ではなくて、真実を見ることの大事さ。リアリストたることの重要さ。なまじっか「孫呉の兵法」を勉強して実行に移したりしたら、去病は匈奴に大敗北していたことでしょう。
同じようなタイプの武将が日本にもいます。源義経。義経もまともな兵法を知らない。「鹿がこの崖を降りてるんだから馬だって降りられるはず!」と鵯越から逆落しで奇襲する。このリアリスト。だから無類に強かった。こういう社会変革するようなリノベーションの天才は、大学や会社組織からはでませんな。アウトサイダーから出てくる。いまの時代でいえば、ニートの中からそういう天才が出てくるのでは?と個人的には期待してるんですが・・・。
■ニートの若者、過去最多
http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/18/neet_survey_n_3458889.html
茶人・丿貫(へちかん)がある日、友人の利休を早朝の茶会に誘った。利休が丿貫の庵にいくと東屋から煙が出ている。さらに露路に赴くと何やら地面の色が違う。しかし利休は平然と露路を歩く。すると色が違う地面はじつは落とし穴で、利休は穴に落ちて泥塗れになる。途端に丿貫がでてきて「なんでこんなところに落とし穴が!?御召し物が汚れましたな。ひとまず朝風呂へ」とそそくさと利休を風呂に入れる。そして利休が風呂から出てきて喉が渇いたところで、丿貫が極上の茶を入れて持ってくる・・・。伝説の域を出ないですが、こういう物語が巷間に伝えられているところが茶道の面白さでしょう。
茶道の極意は「おもてなし」。「表がない」という言葉の意味するところは、じつは「裏がない」ということです。事前の打ち合わせや談合や示し合わせが一切ない。そもそも茶道を発展させた堺のまちは、鉄砲や武器武具を売って儲けた「死の商人のまち」です。「裏」(事前の打ち合わせや談合、スパイ活動、戦争の情報など)は当然あって然りの世界だったでしょう。しかし、こういった血塗られた世界には、なかなか常人の神経では安住していることはできません。だからでこそ堺の死の商人たちは、「表」を無くし、「裏」を無くすことで、「一期一会」の奇跡を結実させようとした。赤裸々に自らの本心を提示して、他者との邂逅に全力を尽くすことで、なんとか「人間の心」を取り戻そうとした。裏社会の商人だからでこその逆転の発想と、限界的な美学が伺えます。
本心を提示するということは、受け取り手にも峻烈な緊張感を産みだします。「招く人」(丿貫)だけではなくて「招かれる人」(利休)も相手の本心を察しないといけない。事実、利休は「煙」や「地面の色」を見て「風呂上がりの茶ほど美味なる一杯はない。その一杯を飲ませたいがゆえに、丿貫は徹夜で落とし穴を掘って朝風呂を用意して待っていたのだろう・・・」と丿貫の本心を瞬時に見抜いたんですな。そして、わざと素知らぬ風で、落とし穴に落ちた。
また、丿貫が落とし穴を掘ったのは「最近の利休は増長している」という警告の意図もあったように思うんですな。利休は秀吉や三成とどんどんと対立していく。丿貫は「利休よ。そのままでは、いつか落とし穴に落ちるぞ」と諌めようとしたのではないか?と。「おもてなし」というのは、ただ相手が楽しかったとか面白かったとか、そういう体裁の良い結果を求めるのではなくて、それが真実、必要なことであるならば、時には客を泥塗れにして痛い思いさせることだって厭わない、厳しい精神や態度を指すと思うんですな。利休は、そういう丿貫の想いを受け止めながら、無言(本心には本心でしか答えられない。言葉は無用の世界です。態度で示すしかない)で穴に落ちたのではないか?
「秘密保護法」とか「裏ありまくり」の法律が制定される世の中で「おもてなし」が流行語になるというのも、ある種、強烈なブラックジョークやな・・・なんて気がしてた昨今やったんですが、さらにタイムリー(?)にも利休の映画をやるそうで。曰く『利休にたずねよ』。直木賞受賞作品の映画化とか。ちょっと気になってます。利休役が海老蔵(かっこよすぎる)で、そこがちょっと微妙なんですがw
「利休」とは「利を休む」と書きます。死の商人は、利を否定することで「茶道」「一期一会」「おもてなし」「わびさび」などの文化を生んだ。新しい価値観を切り開くには、まず自己否定が必要ということなんでしょう。なんでもかんでも資本に換算されて行き詰っている世の中。ちょっと利を休んでみましょう。そこから新しい美学が生まれてくるかも知れない。
http://www.rikyu-movie.jp/
昨日はぼくは神戸・灘の古本屋「ワールドエンズ・ガーデン」さんにて「直観讀みブックマーカー」でしたが、「釜ヶ崎の伝説の喫茶店っぽいなにか EARTH」では講談師な好男子・旭堂南陽さんによる「まわしよみ新聞講談」でした。参加者の主婦っぽいなにか・江里口さんのレポートではめちゃくちゃ大盛り上がりしたとか。画像みてもそんな感じです。ええですな~。開発者冥利ですww
ぼくは組織がキライで、苦手で、それで基本的には1人で活動しているんですが、しかし自分の活動を広げたいとなると一人ではどうしても弱くて、組織化せざるをえない。一体どないしたらええんやろか・・・?とずっと悩んだ結果、思いついたのが自分のメソッドをオープンソース化してしまうということでした。要するに「いつでも、どこでも、だれでもできるぐらい、簡単で面白いメソッドを開発すればいいんや!」と。そうやって産まれたのがコモンズ・デザインという発想であり、「まわしよみ新聞」です。つまり「まわしよみ新聞」が産まれた背景には、組織が作れないアスペルガーの深い苦しみと悩みがあったということですw
これはしかし弱点とか不可能性から、新しい物事は産まれてくるということでもあります。知恵は常に現場の困窮者から産まれてくる。だからでこそ社会的弱者の皆さんも世の中には絶対的に必要な存在です。社会そのものをリノベーションするためにも。
ご参加いただいた皆さん、本当にありがとうございました~!^^
奈良・大和郡山の町家「箱本館」にて金魚の細工物。大和郡山は金魚発祥の地。粋ですな。
大和郡山の人物といえば豊臣秀長や筒井順慶やら柳沢吉保などの名前は挙がるんですが、そこに大和の画家にして粋人の柳里恭が失念されているのが非常に残念。柳里恭の『ひとりね』は色本として秀逸です。
「余、十三の時に唐学を学び、いま二十一の暮までに覚えし学問、惚れし太夫の下帯(下着)ととりかえたし」
「人間などは学問をするためにうまれてきたのではあるまい。ととさまとかかさまとがおもしろがってうまれたのが拙者であり、拙者たるもの、色に離れることができぬのは当然」
名言ですなあ。しかも、これを書いたのが里恭21歳の時というから驚かされます。
京の画家・池大雅がある日、吉野の桜を見物したいと旅に出た。ところが旅費が少ない。大和郡山に友人の柳里恭がいることを思い出して訪問する。里恭は金ぐらい貸すが、その代わり三日間、話し相手になってくれという。大雅は喜んで話し相手になる。ところが三日どころか十日になっても離してくれない。さすがの大雅も音を上げる。
大雅「ええ加減、離してくれ!花が散って花見ができないではないか?!」
里恭「花なら来年でも咲くではないか」
大雅、さすがに逃げるように里恭の家を飛び出した。京の画家と奈良の画家の違いのようでもある。愉快愉快。こういう人物を、奈良の人は、大和郡山の人は忘れてはいけません。もったいない。
「真理は女性である」
「すべての哲学者は、彼らがドグマテイカー (教条主義者)であったかぎり、この女性をうまく理解できなかったのではないかという疑いも、もっともなことではなかろうか?これまで彼らが真理に近づく際にとった常套的なやりまえである恐るべき厳粛さ、無様な厚かましさは、女性というやつを手なずけるには実に拙劣な、不似合いなやりくちではなかったか?女性が手なずけられなどしなかったのは、きまりきったことだ」
以上2つはニーチェの名著『善悪の彼岸』から。「應典院コモンズフェスタ2014」企画の「数学の演奏会」に参加して思い出したのは、このニーチェの言葉でした。
ニーチェは西欧社会のアポロン的原理(男性性、光、理性、合理、抑制、計算性)の重視傾向(これが結局はニヒリズムを産む)を批判して、ディオニュソス的原理(女性性、闇、狂気、熱狂、悦惚、無節操)の復権を叫びました。数学もアポロン的原理を優先させながら、20世紀に入ってからはヒルベルトプログラムやアルゴリズムやチューリングマシンといった素晴らしい数学的偉業を生んでいるが、しかし、じつはいまだに数学は「1」という数字の数学的証明すら果たせていない。「1」は人間の身体の実感や直観から由来していて、仮に地球人とはまったく違う脳神経システムを持った宇宙人がやってきて「1とは一体なにかね?」と問われると、地球の数学者は答えに窮していまう。
「1」は実感や直観に由来している。だから天才的数学者・岡潔は「数学は情緒なり」の名言を生んだ。要するに数学の始原には人間の「情緒」があり、「生理」があり、ニーチェがいうところのディオニュソス的原理が必要不可欠・・・ということなんでしょう。
ぼくは祖父(松尾橋梁)、父(日本電機研究所)ともにエンジニアで、3代目はなぜか観光家をやってますが、じつは数学的思考が得意な一族だと思っていてww 「数学の演奏会」。森田さんはサブマシンガンのような早口のトークイベントで聞いていて大変でしたが、いろいろと勉強になって、面白かったです。
以下の画像は應典院コモンズフェスタのfacebookページより。