アーカイブ

投稿者のアーカイブ

「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」の千日墓地編で使用したレジュメ

2013 年 8 月 18 日 Comments off

1149311_536898326381333_232407849_o

「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」の千日墓地編で使用したレジュメ。七墓巡りの資料として公開しておきます。

■8/12(月)18時よりcafé EARTHにて【大阪七墓巡り復活プロジェクト2013 七夜連続一墓巡り ④千日編】「舞踊家・木室陽一による舞踊ワークショップ」と千日まち歩き
http://www.facebook.com/events/209576585862450/

——————————————-

【悪所狂ひの身の果ては、角の芝居か?千日墓地か?】
~大阪七墓巡り復活プロジェクト 千日墓地のゲニウス・ロキ(地霊)を語る~

●大阪夏の陣で討ち死にした安井(成安)道頓
安井道頓は秀吉に仕え、大坂城の外壕を掘鑿に対する賞として城南の地を拝領。その後、豊臣家の許可を受けて私財を投じて水路開発に着手。ところが1615年(元和元年)の夏の陣で自分の堀川を埋め立てられる。道頓堀はすでに武士を引退していたが、なんと82歳の高齢で大坂城に立てこもり、城内で壮絶に討ち死に。いまの道頓堀川は戦後、幕府によって掘り返され、その名前は彼の功績(怨霊鎮め?)を讃えて「道頓堀」となづけられた。非常に「豊臣の匂い」「豊臣色」が強い土地で、そこに戎(えびす)を信仰する被差別民の河原者(芸能の民)が集まり、やがて芝居小屋(道頓堀五座)が生まれてきた。

●道頓堀川にかかる戎橋
戎橋は今宮戎神社への参詣道。現在は戎橋筋商店街になっている。戎神は日本古来の漂流神で、流れ者、芸能の民の神となった。人形を用いて戎信仰を広めた芸能民として「傀儡師」(くぐつし)たちがいて、これが「人形浄瑠璃」「文楽」「からくり芝居」となり、果ては「くいだおれ人形」(電気仕掛けのからくり人形)に通じる。

●道頓堀(芝居小屋)と千日前(墓地、死刑場)が産んだ近松門左衛門の「虚実皮膜論」
角座(道頓堀五座の中で最大の小屋)からは、小屋裏にあった千日墓地の罪人の晒し首が見えた。大坂の芝居は世話物で和事。江戸芝居のような英雄悪漢・傾城傾国の美女が大活劇を繰り広げる!という荒事ではない。主人公は何の変哲もない町衆で、金と色と欲と義理と人情の板ばさみで、犯してはならぬ罪咎に悩み、苦しみ、傷つけられ、最後は天網恢恢疎にして洩らさずの過酷な運命の裁きで千日前の獄門台へと涙涙に送られていく。大阪の町衆は角座で千日墓地の罪人たちのドラマに涙した。千日刑場は最高の演出であり、また裏を返せば、道頓堀の芝居は、千日の罪人たちに対する鎮魂劇であり、レクイエムだった。芝居なのか?真実なのか?わからない。「虚実の皮膜」(近松門左衛門)こそが、もっとも面白い。芝居小屋と刑場。道頓堀と千日前というまちは、そういう関係にある。

●近松門左衛門『曾根崎心中』のスピード感
『曽根崎心中』は、元禄16年4月7日(1703年5月22日)に遊女「はつ(21歳)」と手代「徳兵衛(25歳)」が露天神で情死した事件が題材。人形浄瑠璃『曽根崎心中』は一か月後の5月7日(6月20日)に道頓堀の竹本座で初演された。この生々しさ。まるでニュース番組のようなスピード感で、近松は関係者を片っ端から聞き取り調査、リサーチしている。近松は作家というよりは、一種のドキュメンタリスト、ジャーナリストといえる。

●千日墓地からお化け屋敷、見世物小屋に
千日墓地は明治2年(1869)に廃止され、土地は競売に。しかし、だれもこんな禍禍しい土地は買わない。ところがここを興行師(というよりも山師の類)が買い取って「お化け屋敷」(ちゃんとゴールできたら返金という宣伝が評判を呼んだ)を作り、大ヒット。そこから化け物屋敷→見世物小屋→フリークスのまちになった時代もある。これはしかし「ミナミの大火」(明治45年・1912年)によって灰燼と化し、その記憶も忘れ去られている。また千日前から初めての映画製作興行会社が誕生しているが、当時の洋物映画は怪物映画(フランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男、ミイラ男など)が主流だったことも忘れてはならない。

●土壇場   
人間の体の中で、一番重いものは頭。首を斬られると、まず頭が「ドタン!と落ちる。そのあとにゆっくりと力の抜けた首のない胴体が「バ!」っと伏せる。ドタンバは、つまり人間が首を斬られたさまを表すリアルな「擬音語」。

●大阪七墓巡りはなぜ「七つの墓」なのか?・・・妙見信仰
かつて千日刑場前には蓮登山自安寺があった。自安寺は、徳川中期の寛保2年(1742)に日蓮宗の門跡寺院(大本山本圀寺の末寺)で、慈光院日充上人(本圀寺歴代上人)が創建し、境内に本堂・妙見堂・鬼子母神堂・浄行菩薩堂・清正公神祇堂・秋山白雲霊神堂・法相日前大菩薩堂・絵馬堂・鎮守堂・三光堂・位牌堂・鐘楼堂および能勢妙見遥拝所を構えていた。「妙見信仰」というのは北極星、北斗七星に影響を受けた星辰信仰で、妙見菩薩はその中心に位置する北極星の象徴仏。北極星は北の空にあって位置が変わらない。「スターナビゲーター」であり、海の民や山の民にとって道しるべとなる有難い星だった。その北極星への信仰(妙見信仰)が、都市に入ったさいに、この世で道を誤った迷い人たちを導く星であり神仏であるという信仰へ変容した。道を誤った人たちというのが、すなわち罪人や流れ者たちで、それがゆえに千日前に妙見さんが安置されたと推測される。そう考えると「大阪七墓巡り」の「七つの墓」というのは、北極星を取り巻く北斗七星といえるのではないだろうか?なぜ無縁仏を供養する祭礼の「大阪七墓巡り」で「七」という数字が選ばれたのか?・・・この「七」という数字にも、当時の人々の宗教心が込められていると考えられる。実際のところは不明であるが、一考の余地はあるだろう。


カテゴリー: 雑感 タグ:

8/17ツイート

2013 年 8 月 17 日 Comments off

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 金澤が川の文化圏をよく残していて。男川の犀川と女川の浅野川がある。犀川はやっぱり室生犀星を産んでいて、浅野川は泉鏡花を産んでいる。大阪も淀川文化圏と大和川文化圏ってありますから。川こそは都市の血脈で、川を見ると都市がわかりますよね。

posted at 14:28:14

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai へーww おもろいww 新井白石だけ政治やってるやないですか。隅田川文化圏と神田川文化圏ってあるなあと。

posted at 14:21:26

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai ほんま、そうなるのが理想ですww 徐々に広まってきてますけどね。大阪七墓巡りの認知度は確実に上がってきてますね。やりだすひとも出てくると思います。そうなった時に、ぼくの役目は終わります。

posted at 14:17:32

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai よくみたら二代目の歌川広重で。父親の墓を参っていた。ほなら初代歌川広重でええやろう。ということで七墓巡りを終えました。という紀行文なんですな。まあ、このテキトーな感じがええなあとw

posted at 14:13:35

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 篁村の連載がなかなかオモロくて。七墓巡りをやろうと出発してしかし山東京伝は回向院でおもろくない。これはカウントするのをやめよう。そうなると六墓巡りになる。どうしようか?まあ、いいか。とりあえず歩いてみよう。で六墓巡りをしたら前から知り合いがくる

posted at 14:11:26

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 七墓の消滅についてはサリュスピにも書いたんですが、もうちょっと他の事例を知りたいですね。宗教ツーリズムは残るものと、残らないものがありますから。その違いはなんなのか??

posted at 13:59:05

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 新聞記者時代ですしねw 宗教心ではなく啓蒙心。近代は霊性を排して、理性こそ万能薬と歌いましたから。その時代感がよくでてますねw

posted at 09:24:58

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 篁村のセンスはいいと思いますよw 無難なのを選んでるなあともいえますがw

posted at 09:16:45

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 無縁大慈悲から逃れて、有名人の墓巡りでもいいか、と。大阪人メンタリティの弱者や敗者や死者を、どこまでも包み込むような母性愛の深さはいいのですが、溺れ死にますから。東京の英雄史観の七墓巡りのドライさを楽しみたいなとww

posted at 09:15:33

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai やっぱりそうなるのか…ってのが発見でしたw 東京七墓巡りは有名人の墓巡り。なんとも近代的発想で。わかりやすいですが、要するに英雄史観といえます。大阪七墓巡りの無縁大慈悲の精神はあまりないですね。

posted at 09:12:28

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■集合日時:11月15日(金)10時 ■集合場所:JR「両国駅」西口改札「力相撲像」前 ■参加費:カンパ ■定員:20名 ■11月15日(金)10時より東京七墓巡り復活プロジェクト~饗庭篁村の「七墓巡り」(讀賣新聞附録)をモチーフに~ www.facebook.com/events/3261263…

posted at 03:54:35

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

とりあえずこの順番で巡りたいと思います。歩けるところは歩きで、遠いところは公共交通機関を使います。東京の地理感覚がいまいちよくわからないので、時間は読めませんが、半日はかかるでしょう。一緒に巡ってあげるよ!という東京、関東圏の方、是非ともよろしくお願いします!m(_ _)m

posted at 03:54:11

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

饗庭篁村によれば「東京七墓巡り」に挙げられているのは以下の墓です。 ①山東京伝 ②鶴屋南北 ③阪東彦三郎 ④平賀源内 ⑤新井白石 ⑥葛飾北斎 ⑦十辺舎一句 ⑧歌川広重 ※当初は①でしたが歩いているうちに面白くないので・・・という理由で⑧を追加してます。

posted at 03:54:02

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

とくに江戸庶民の中に習俗として七墓巡りがあったというわけではなく、饗庭篁村の創作のようですが、東京という都市空間を墓地から眺めてみれば、一体、どのように見えるのか?大阪七墓巡りとの比較研究として、「東京七墓巡り」を実施したいと思います。

posted at 03:53:51

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

岡倉天心や陸羯南などと親交があり、幸田露伴によれば饗庭篁村と須藤南翠の2人こそは明治初期を代表する「二文星」「当時の小説壇の二巨星」と記しているほどの大小説家&劇作家です。

posted at 03:53:43

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「大阪七墓巡り復活プロジェクト」を色々と調べているうちに、東京版の「七墓巡り」の文献を見つけました。明治22年(1889)の讀賣新聞の附録に掲載されていた「七墓巡り」というシリーズがそれで、作者は当時、讀賣新聞の編集記者をやっていた「竹の屋主人」こと饗庭篁村(1855~1922)

posted at 03:53:29

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「東京七墓巡り」をやります。 ■11月15日(金)10時より東京七墓巡り復活プロジェクト~饗庭篁村の「七墓巡り」(讀賣新聞附録)をモチーフに~ www.facebook.com/events/3261263…

posted at 03:53:17


カテゴリー: 雑感 タグ:

8/16ツイート

2013 年 8 月 16 日 Comments off

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

大阪七墓巡りでお世話になった天才舞踊家・木室陽一さん。木室さんは瀬戸内海の中島に拠点を持っていて、その話が面白い。いろいろと喋っていて武者小路実篤の「新しき村」のことを思い出す。 www.atarashiki-mura.or.jp 「自治」のモデルとして。ちょっといってみたいなぁ。

posted at 21:45:46

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 今年は去年の答え合わせでしたから。まあ、そうだろうなあという感じでした。そしてじつは今からが本腰ですw いよいよ、地図化します。

posted at 17:55:46


カテゴリー: 雑感 タグ:

「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」無事に終了いたしました

2013 年 8 月 16 日 Comments off

大阪七墓巡り復活プロジェクト2013チラシサイト用

「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」無事に終了いたしました。2011年の1回目は巡礼のみ。2012年の2回目は巡礼+アーティストのパフォーマンス。3回目となる2013年は巡礼+アーティストのパフォーマンス+「参加者もパフォーマンスする」という様子を付け加えました。なんとなく「現代版大阪七墓巡り」として理想のスタイルに近づいたのですが、来年はできることなら「客体者」ではなくて「主体者」を作りたいと思ってます。できるかどうかわからんし、どういう風にやるか?はまったくの白紙なんですが・・・。

なにはともあれ、七墓の跡地で鎮魂と供養のパフォーマンスとワークショップをやっていただいた日常編集家兼DJ話芸家元のアサダワタルくん、ランドスケープ・アーティストかつ俳優かつ大学准教授のハナムラチカヒロさん、舞踊家・木室陽一さん、歌人の北夙川不可止伯爵、書家の田面遙華さん、ココルーム代表で詩業家の上田假奈代さん。「葬食」の場をお借りしたり、色々と仏教についてご教示いただく應典院の秋田光彦住職。日本全国にいて、じつに刺激的な企画や活動をしてはるAAF(アサヒ・アート・フェスティバル)のみなさま。そして、なによりも、この企画にご参加いただいたみなさまに。みなさんのおかげで、今年も大阪七墓巡りを楽しく実施することができました。本当にありがとうございましたm(_ _)m

大阪七墓巡り復活プロジェクト プロデューサー むつさとし拝


カテゴリー: 雑感 タグ:

釜ヶ崎夏祭慰霊祭

2013 年 8 月 15 日 Comments off

釜ヶ崎夏祭慰霊祭。浄土宗と浄土真宗の僧侶による読経の中、カソリック教会フランシスコ会の神父が死者の名前を読み上げながら、祈りの言葉を捧げる。最後は参列者全員で「ふるさと」を歌う。日本全国広しといえども、こんなコモンズの祭礼はないです。素晴らしい。

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

1151013_535510133186819_1674245201_n


カテゴリー: 雑感 タグ:

8/15ツイート

2013 年 8 月 15 日 Comments off

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■8/15(木)20時よりココルームにて【大阪七墓巡り復活プロジェクト2013 七夜連続一墓巡り ⑦飛田編】「詩業家・上田假奈代による詩のワークショップ」と飛田まち歩き www.facebook.com/events/3996556…

posted at 07:02:43

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

やります。南無無縁大慈悲。 ■8/15(木)8時よりJR福島駅より【大阪七墓巡り2013~真田山・陸軍墓地で玉音放送を聴き、釜ヶ崎夏祭りの慰霊祭で祈る~】 www.facebook.com/events/1723946…

posted at 07:02:34


カテゴリー: 雑感 タグ:

あと七墓は巡れるぜ!

2013 年 8 月 15 日 Comments off

朝8時から大阪七墓巡り。最高気温は36.0度。今年は真田山陸軍墓地もいったので実は八墓巡りでしたw 夕方からは釜ヶ崎夏祭慰霊祭にも参加し、さらに締めくくりとして詩業家・上田假奈代さんの鎮魂と供養の詩のワークショップ。終わったのが夜23時で結局、15時間にも及ぶ長大企画になりました。画像は終わった瞬間。釜ヶ崎の伝説の茶店earthにて。

「あと七墓は巡れるぜ!」

17783_535502506520915_1052306251_n


カテゴリー: 雑感 タグ:

釜ヶ崎夏祭慰霊祭

2013 年 8 月 15 日 Comments off

釜ヶ崎夏祭慰霊祭。浄土宗と浄土真宗の僧侶による読経の中、カソリック教会フランシスコ会の神父が死者の名前を読み上げながら、祈りの言葉を捧げる。最後は参列者全員で「ふるさと」を歌う。日本全国広しといえども、こんなコモンズの祭礼はないです。素晴らしい。

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

1151013_535510133186819_1674245201_n


カテゴリー: 雑感 タグ:

耳無芳一の気分

2013 年 8 月 14 日 Comments off

「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」蒲生墓地編。書家・田面遙華さんの指導で、明日の12時間にも及ぶ七墓巡礼のための法衣をみんなで作成中。

耳無芳一の気分がわかりました…。

■8/15(木)8時よりJR福島駅より【大阪七墓巡り2013~真田山・陸軍墓地で玉音放送を聴き、釜ヶ崎夏祭りの慰霊祭で祈る~】
http://www.facebook.com/events/172394669609419

1185829_535026746568491_363432569_n


カテゴリー: 雑感 タグ:

8/14ツイート

2013 年 8 月 14 日 Comments off

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 梅田は近松と心中。南濱は行基伝説と火葬。葭原は補陀落渡海。蒲生は夏の陣とアパッチ。小橋は冥途の飛脚。千日は虚実皮膜論。飛田は太子と大塩ですかね。物語や性格はめっちゃあるんですがw

posted at 11:26:22

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 長すぎましたww 死にそうですww

posted at 03:28:32

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 向島はありそうですねw 大体、街道とかコミュニティの境界線上にある天神さんは厄病退散系で、コミュニティのまんなかにある天神さんは天候祈念系ではないか?と思います。まちの入口出口で厄病退散を願うし、まちの中央、中心部分で天候を祈りますから。

posted at 03:28:05

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 蚕+馬でおしらさまなんで。やっぱりこの2つの親和性は高いですねぇ。「天皇騎馬民族説」って古い話ですが(現在ではあまり支持者もいないようですが)、ぼくは「天皇蚕民族説」はあると思ってますw

posted at 03:25:06

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

@kishiikyoukai 牛カフェww 牛小屋、馬小屋でおかいこさまを飼ってたみたいですけどね。牛馬は体温が高いので小屋が温まってそれがおかいこさまの生育環境によかったとか。1階で牛馬、2階でおかいこさまを飼うのがスタンダードらしいです。しかしEARTH店長が許すかどうか…。

posted at 03:22:01


カテゴリー: 雑感 タグ: