世の中には「土のプロジェクト」と「風のプロジェクト」があるということ。たとえば「大阪七墓巡り復活プロジェクト」というのは、大阪以外の、他の地域や都市にもっていきようがない。江戸時代の大阪の町衆の祭礼という土地(トポス)に根差した物語性や歴史性に寄り添っているから、そこに必然や意味、意義がある。これは「土のプロジェクト」なわけです。
対して「まわしよみ新聞」のようなプロジェクトは、基本的に、どこにいっても通用します。別に大阪でなくても他地域、他都市でも実施、実行できる。実際に京都精華大学や立命館大学、福島のいわき市でもやっていただきました。ある種のフォーマット、様式(エトス)があるんですが、それに準じれば、どこでも、だれでも、いつでも実現可能な「風のプロジェクト」ということです。
「風土」というものは、この2つのプロジェクトの交錯から誕生するものです。トポスとエトスの混交。それこそが風土を作り、都市を作り、人間を作る。
正直な話を申せば、じつは大阪にはクリエイティブ拠点というのは、もう完全に飽和状態で、ありすぎるほどありまして、弱肉強食ではないですが、パイ(ユーザー)の奪い合いで、なかなか地域やまちに根付かない・・・という現状があります(これはべつに大阪に限らず、東京や神戸、名古屋、京都といった大都市圏には共通する問題やと思ってますが)。元々あったギャラリー、カフェ、店舗、コミュニティ・スペースのみならず、いまはシェアハウスや住み開きなんて拠点も続々できてきていますから、百花繚乱雨霰雨後の筍七転八倒状態。ハードウェアばかりが増えていて、関係者はそこを維持することに汲々としてしまい、各拠点で展開している知恵、ソフトウェア、ヒューマンウェア、クリエイティビティが、じつはなかなか生かしきれていないのではないか?という問題意識がありまして、そこから当プロジェクトが発足してます。要するに「みんな、けっこう、同じようなことで悩んでない?」「どないしたらええんやろうか?」「うちはこないしてるで」というような共有(シェア)から大阪のクリエイティブ・シーンの問題構造と、その現状打破の方法論が見えてくるのでは?ということです。みんな悩んでいることなんで、「そないに急に答えが見つかって、うまいこといくわけないがな」なんですが、それでもみんなで考えることで、なにか新しい動きがでてくるかも・・・ということでもあります。「あなたのお悩み、たちどころに解決してみせます!」というようなことではなく、「ちょっと一緒に考えてみませんか?」という共有(シェア)のネットワーク。また、ぼくは基本的には拠点を持たずに各拠点にプロジェクトを持ち込んで一緒にやりましょう!(例えば「まち歩き」や「まわしよみ新聞」)というネットワーカーとして動く人間なのですが、こういう存在が意外にも少ないということの問題提起でもあります。ハードウェア(拠点)を作る前に、既存の各拠点を盛り上げるネットワーカーを作ることができれば・・・そういう意味でもこのプロジェクトには期待してます。
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「まわしよみ新聞」についての考察。
①新聞購入者が増える
ネットニュースの情報ソースの元は、現状は「新聞記事」であることが大半です。市民メディアの記者やフリージャーナリストは記者クラブなどには入れず、行政、企業、その他の記者会見の場にすら、なかなか参加できません。結果としてネット上で取り上げられるニュース記事の取材者は大手の新聞記者であることが多い。ところがネットで無料でニュースを読まれると新聞社には資金が回りません。新聞社の経営が弱体化すると必然的に情報収集能力に支障を及ぼし、記者の質が低下して巡り巡ってネットニュースも劣化していきます。ボルチモア・サン紙の元記者デイビッド・サイモン氏はアメリカ国会でネット情報は既存メディアの情報をコピー&ペーストして、それに対し独自の意見を付け加えたものでしかなく、ネットブロガーや市民記者は寄生虫のようなものと指摘してます。これはかなり偏った意見ですが、「社会の公器」としての、健全なジャーナリズム、取材力を確保するためには、新聞を購読して新聞社に資金を回すという行為が本来、必要なわけで、「まわしよみ新聞」はそれを実践しています。ニュース記事をツイッターでつぶやいて無料で流布する・・・という行為とは異なるわけで、つまり新聞(ジャーナリズム)応援企画であるということです。
②自分の世界を広げる
インターネットは情報の検索性に優れていますが、自分の好きな、関心・興味のある情報ばかりを収集してしまって世界観を狭めてしまう、という弊害が起こりえます。それに対して新聞は自分の興味・関心の範囲外の記事も掲載されています。さらに「まわしよみ新聞」では参加者(他者)の興味・関心のある記事が提示されるわけで、「(同じ新聞を読んでいたのに)そんな記事があったのか?」と気付かされると、まさしく自分の世界観が揺さぶられ、見識が広がっていきます。
③他者を理解する
多種多様な記事が掲載されている新聞の中から、どんな記事を切り取るのか?ということで、その人となり、キャラクター、パーソナリティがわかります。初めて会った人同士でも、「まわしよみ新聞」に参加すると、お互いの共通の関心・興味などが発見でき、一気に親しくなります。会社・組織の新人研修や学校教育(実際に京都精華大学の授業でも実施しましたが大盛り上がりでした)、コミュニティ・センターの集会などのコミュニケーション・ツールとしても使えます。
④プレゼン力を養う
自分が切り取った記事の面白さを他者に伝えようとするさいに、ただ新聞を読み上げるだけでは、なかなか興味・関心を示してくれないときがあります。そこには記事の魅力を、実感を伝えるプレゼンテーションが必要になってきます。記事を提示するまえに「これは正直、ビックリしたねぇ・・・」なんていって期待を煽ってから記事を提示するとか、「これはいまいちなんやけど・・・」とブラフをかましながら提示するといったテクニックもあります。記事の内容ではなく「ビジュアル、写真が面白い」「(自分の)ひとこと、解釈がユニーク」といった場合もあります。それぞれの記事に応じた提示の仕方があって、これは一種のプレゼン合戦、カードバトルのようなもので、参加者は参加するに連れて自然とプレゼンテーション能力をつけていきます。
⑤新聞=パブリック・メディア(世論)を、まわしよみ新聞=コモンズ・メディア(世間)にする
「まわしよみ新聞」を作ると、新聞の一面トップ記事が切り取られずに、スルーされる・・・ということが、しばしば、頻繁に起こります。これは新聞とは主に「世論」を扱うメディアであるからです。「世論」というのはひとことでいえば、顔が見えません。誰が発信して、誰に伝えようとしていて、そうすることでなにが起こりえるのか?そういう関係性や因果関係が、まるで見えない情報発信は、よくよく考えると非常に不気味で、不安なものです。例えば「内閣支持率は20パーセントです」と書かれた記事を読んだときに、その言葉の意味するものの曖昧模糊さ、胡乱さったらありません。それで、その記事を読んだぼくらは、一体、なにを、どうすればいいのか?さっぱりわからないわけです。それに対して「まわしよみ新聞」は「世論」ではなく、「世間」を扱い、「世間」の中でメディアを構築しようという試みです。「世間」とは顔が見える関係性です。「この記事が好きだ」「これは嫌い」「意外と面白い」と参加者から聞くことで、「顔が見えない記事」でも「顔が見える記事」になります。参加者のAさんから「内閣支持率20パーセントらしい。おれはこの内閣、応援してるんやけどな」といわれながら記事を提示されると、じつに、すんなりと、その記事を消化できます。世論的(それは匿名的、無責任的、大衆的と置き換えることもできるでしょう)な記事が、その記事を切り取って提示する参加者の「顔」や「声」や「感情」や「意見」という「身体性」を通じることで、俄然、リアルな、生の情報となり、記事に血肉が通い始める。世論ではなくて、世間のメディアであること。これが「まわしよみ新聞」の醍醐味です。
⑥誰でも参加できる(「アナログ的手法」による市民メディア)
「市民メディア」「市民ジャーナリズム」の必要性が叫ばれて久しいわけで、その実現としてデジタルツール、デジタルサービス(ブログやネットラジオ、動画投稿サイト)が隆盛を誇ってますが、しかし、そうしたサイトを覗き込むと、あまりにも膨大な数の情報ソースに頭がクラクラしてきます。この訳分からんぐらい巨大なデジタル情報量の嵐の中では、自分の意見や情報の発信など、ほぼ完全に、100%、黙殺されます。そうした中でも浮かび上がるような「良質な記事」を書けるような記者やブロガーを作ろう!プロの先生に講座をしてもらって勉強しよう!といったような動きもありますが、これまた正直、なかなか難しい。文字で情報を伝えるということは、それなりの技術やテクニック、修練が必要で、一朝一夕での習得は不可なものです。「語り」や「動画」でもまったく同じことがいえます。出来ないとはいいませんが、非常に困難。ニコ動で人気の動画には「プロの犯行」というタグがつきますが、実際に、字義通り、じつは「プロの反抗」であったりします。デジタルツールやデジタルサービスを上手に利用できて、さらに「ええ記事」「おもろい語り」「秀逸な動画」なんてのが作れるひとはいいんですが、大部分、大多数の市民はそうではない。しかし、そういう高いハードルを飛び越えられない人でも、情報発信する機会があっていいし、むしろ、そういう人たちの声をどういう風に拾い上げていくか?が現状の市民メディア、市民ジャーナリズムの課題です。それに対して「まわしよみ新聞」の参加者は記事を書きません。規正の記事、プロが書いた記事を選択するだけ。自分で「ええ」「おもしろい」「良質だ」と思った記事をハサミで切り取って、みんなの前で提示して、それを読み上げるだけ。さらに、みんなが提示した記事についてディスカッションして「これがいちばんよかった!おもろかった!」という記事をトップ記事として台紙の一面に張っていくだけです。そうやって「まわしよみ新聞」は出来上がりますが、これは新聞というパブリック・ニュースをモチーフにして、市民の場(コモンズ)が再編集するということで形成される市民メディアです。場の参加者のみにしか伝わりませんが、非常に発信力や伝播力は弱いかも知れませんが、しかし、誰にでも簡単に出来る「市民メディアの情報発信手段」ではあります。要するに徹底して「アナログ」なんですな。みんなを集めて場を作って、新聞を集めてチョキチョキして、みんなで記事の重要度、関心度の序列を決めて、それをスクラップにするだけですから。しかし、「デジタルな市民メディア」が多いなか、こういう「アナログな市民メディア」は非常に有用であると考えるし、社会全体が「多様な市民メディアの方法論」を持つことが、市民メディア全体の底上げに繋がり、市民社会の成熟に必要なことだろうと考えています。
⑦新聞によって「場=コモンズ」を作り、「ぼくらの新聞」にする
新聞の発祥は諸説ありますが、17世紀イギリスの「コーヒー・ハウス」から誕生したという説が有力です。コーヒーを飲みに集まる男性たちが夜通し、侃侃諤諤の政治談議をつづけ、「それは面白い!書き留めておこう。みんなに教えよう」という行為が、いつしか「新聞」という情報メディアへと結実したわけです。つまりコーヒー・ハウスという「場=コモンズ」から新聞が誕生したわけです。「まわしよみ新聞」は、じつはその逆で、参加者がいろんな新聞を持ち込んで、自分の興味本位の記事を切り抜いて、それを掲示して話し合うことで、「場=コモンズ」を創出しようという実験です。また元々、新聞というものは市民や町衆主体の、コモンズ的なメディアであったはずなんですが、それが巨大化し、いつのまにか官僚や国家、企業、資本家のメディアとして利用されていることへの、ちょっとした、ささやかな違和感の表明でもあります。「新聞をぼくらの手に取り戻す」。ひとことでいうと、そういうプロジェクトです。
⑧「新読」を、ちゃんと「新聞」にする=新聞メディアの原点回帰運動
「まわしよみ新聞」を作りながら、なぜ、このニュース記事が「一面記事」であらねばならぬのか?・・・と思うことがしばしばあります。一体、誰が、この記事をトップに選んでいるのか?この序列構造の不透明さに、胡乱さに、ブラックボックスに、どうにもこうにも首をかしげてしまう。これらの「一面記事」が、結果として大衆を操作する「世論」というものを構築するのだとすれば、こんなに恐ろしい話はないわけで。この匿名的な、仮面的な記事の序列は、一種の呪詛ともいえます。その危険性を、恐ろしさを、ぼくらは、やっぱり、ちゃんと認識しておかないといけない。それに対して「まわしよみ新聞」の一面記事は、場の関係性や人との対話によって序列が決まります。記事をひとつ切り取る。それを話し合う。そうすることで、その人の意見や想い、個性、センスが把握できるし、「他者」がわかる。人間と人間の関係性・・・つまり、「世間」というものの確かさに繋がっていく。そう考えると、新聞が「新読」ではなく「新聞」であるのは、非常に意味深いわけです。「新読」・・・つまり記事を、ただ単に「自分ひとりで読むだけ」であれば、それは単に「自己消化する情報媒体」に過ぎないわけです。しかし、本来、新聞というものは、やはり「新聞」と書かれているように、その記事は「他者の声」を介在して「聞く」ものです。そうすることで、ようやく、新聞はほんまもんの「新聞」たりえる。(実際にロンドンのカフェの侃々諤々の論議=「他者の声」の中から新聞が誕生したわけですから)新聞を、「新読」ではなくて、ちゃんと、「新聞」にすること。新聞に「他者の声」を介在させる。そうすることで、ぐっと新聞は、面白くなります。そう。つまり、「まわしよみ新聞」とは、新聞の原点回帰運動であるわけです。
⑨大阪発の市民メディア
現存する最古の「かわらばん」は「大坂夏の陣」。宮武外骨の伝説の「滑稽新聞」も大阪で誕生し、日本の四大新聞のうち朝日も産経も毎日も元は大阪発祥です。つまり新聞は大阪に非常にゆかりの深い情報メディアということです。「まわしよみ新聞」は、そんな400年に渡る大阪新聞文化の最先端を担っています。たぶん・・・。
福島県いわき市でアート・プロジェクト「田んぼの記憶」の田仲桂さんが菩提院で「まわしよみ新聞」をやってくれました!すごい面白そうですww
http://tsumugupjt.exblog.jp/16724800/
「まわしよみ新聞」は、「私」(プライベート)だけではなく、「公」(パブリック)でもない。「場」に集まった人たち=「共」(コモンズ)による事件性やニュース性、社会性を可視化するプロジェクトです。新聞を切り取って貼り付けるだけですが、この新聞を読むと、福島の人たちの、現在進行形の、リアルな、ナマの「声」が込められている。
また「どんな記事をきりとるか?どんなニュース記事に興味・関心があるか?」で、そのひとのキャラクター、パーソナリティもわかるわけで、コミュニケーション・ツールとしても最適です。会社のブレストや新人研修、地域コミュニティセンターの集会なんかでも実施すれば、いろんな広がりがでるでしょう。
なによりも新聞の切り抜き記事ひとつから、参加者の様々な話、物語、ドラマが展開するのがほんまにエキサイティングです。自分の興味・関心のないニュース、事件への回路が開く。いつのまにか固有化、固体化されてしまっている自分の世界の可能性が発見される。やってみると、この体験は衝撃です。ほんまに、おもろい。
「まわしよみ新聞」、ぜひ日本全国でやってほしいですねぇ。
トークイベント「摂津国の基層にある文化交流」より。
傀儡師の人形は「人間ではない何か」であるわけで、つまり偶像性や匿名性を獲得することで人間は神や仏や鬼や悪魔を召還できるんですな。そして近代社会は人間のつながりや関係性を断ち切る社会で、偶像性、匿名性に満ち満ちているので、じつは神や仏、鬼、悪魔、妖怪が跳梁跋扈する時代であること。それだけにそれらを見破る、敏感に察知する「霊性」(理性や知性、感性ではなく)が必要であること。そして霊性を獲得、修練するのは「場」(トポス)や「型」(エートス)であること。まとめると、そういう話になりました。伯爵とぼくとでマシンガントーク炸裂しまくり・・・で聞いてる方は大変やったんちゃうかな?と思いますがww
ちなみに黒い円は、「具体」の巨匠・松谷武判氏の作品「岩肌(蓬莱峡)/オブジェS/オブジェ緑/球体/円と球」です。これまたスゴイ「場」でしたww
■西宮船坂ビエンナーレ2012
http://funasaka-art.com/
西宮今津高校にて特別授業。高校生に「えべっさん信仰と傀儡師との関係性、人形浄瑠璃の変遷」などを教える。
えらい熱心に聴いてくれました。嬉しかったですなw
釈徹宗師とまつもとのりこさんとぼく。険しい顔をしているのは、熱弁をふるったわけではなくて、正座が長すぎて、足がしびれて、もうマヂ限界で、それをごまかそうと必死に喋っていたからですww
http://www.facebook.com/events/282690375179409/
今回、大阪大学で講義していて、いろいろと発見がありましたが、学術関係者の立場からすると、まだ我が国には観光学というものがちゃんと確立されていない・・・という強烈な危機意識をもってはるというのがぼくの中でのひとつの驚きでした。なんでも1967年に立教大学が観光学部を設立したそうですが、これはもとは「ホテル講座」だったとか。国立大学では2007年にようやく和歌山大学で観光学部が設立。そのあいだはほとんど、なんの動きもなかったそうで、これは観光学関係者にとっては「空白の40年」といわれているとか。ちゃんとした学問体系としての観光の在り様というものを、(一部の有識者を除いて)あまり誰も考えてこなかったということです。
これは結局のところ、観光を単なる「産業」として捉えてきたことの弊害です。長らく日本の企業や行政は観光とは「余暇の消化」や「非日常感を味わう機会である」などと考えて、金儲けやのために盛んに奨励してきたわけですな。田中角栄の『日本列島改造論』よろしく、ゴルフ場、海水浴場、遊園地、博覧会場、ハコモノ施設を作って、その場(トポス)の風土・地脈・文脈をまったく無視した愚かしいリゾート開発、都市開発で、自分たちのかけがえのない「まち」や「ふるさと」を粉砕してきたわけです。
しかし観光というものは、産業とか金儲けの道具という狭い範疇に留まるものでは毛頭なく、じつは自分たちのアイデンティティや都市や社会、コミュニティ、文化、文明の確認作業であり、さらにいえば人間存在の、生命の根源的行為であり、内発的欲求だということです。極論をいえば「ひとは観光することで、ひとになる」ということです。オーストラリア先住民族のアボリジニたちは「ドリームタイム」という彼らの神話を再現する観光をすることによって、子供から若者となり、人間になっていく。彼らはこれを「5万年前からやっている」といいます。釈迦も孔子もキリストも空海も芭蕉もランボーも柳田も折口もストロースも、みんな観光して悩んで大きくなった(@野坂昭如。古いww)。それほど観光というものは意義深いものということです。
ビジネス的観点や経済学だけではなく(いまだにほとんどの大学の観光学は「経営」「産業」「サービス」「流通」「商業」といった色合いの大学・学部・学科が多いです)、社会学、人類学、民俗学、芸術、哲学、宗教学によっても観光を捉える必要があるということです。そうしたアプローチは2000年代に入って、ようやく本格化してきたというのが現状で、まだまだ現在進行形なんだとか。どうも観光関係者(企業人、行政マン)の多くが「大阪あそ歩」や「まち歩き」現象を色んな意味でカンチガイしていて、これは一体どういうこと?と長らく疑問に思っていたんですが、問題の根は深いですな…。逆に考えれば観光学の研究や可能性の追求はこれから…ということで、そういう意味でいえば楽しみということなのかも知れませんが。
本日はまち歩きリーダー養成講座「大阪あそ歩塾2012」。初めて大阪大学中之島センターで講師として登壇しましたw
さらに昼食食べようとセンター2階のカフェにいったら劇作家の平田オリザさんがいてビックリしました。オリザさんも今日はセンターで講師をしてはったとか。オリザさんと同時刻、同場所で、講師してると考えると、じつに妙な感じでしたな・・・。
http://www.osaka-asobo.jp/news#88
大阪日日新聞さんの「大阪あそ歩観光庁長官表彰受賞」を伝える記事です。感謝!
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121003/20121003017.html
市民がガイドを務め、大阪のまち歩きを楽しみながら参加者が歴史や文化に親しむ「大阪あそ歩」を主催する「大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会」が、本年度の観光庁長官表彰を受賞した。まち歩き事業の受賞は初めて。ガイド役の市民からも喜びの声が上がっている。事務局は受賞を記念した参加無料のまち歩きを企画しており、参加を呼び掛けている。
同協議会は現在、大阪市、大阪商工会議所、大阪観光コンベンション協会、大阪あそ歩委員会で構成。大阪あそ歩は歴史や地域の人らとの出会いを楽しむ「まち歩き」と、食や芸能などの大阪の伝統を体験する「まち遊び」があり、2008年秋にスタートした。「これまでに1万人以上が参加し、『まち歩き』だけで300コース、その規模は日本一」(同協議会)。
今回の観光庁長官表彰は、市民が観光客を案内する大阪観光の新しいスタイルとして大阪あそ歩を定着させ、観光振興と地域の活性化に貢献したことが受賞理由だ。1日に東京で表彰式があり、大阪あそ歩委員会の茶谷幸治代表理事(66)が、井手憲文観光庁長官から賞状を受け取った。
茶谷代表理事は「まち歩きは地味な取り組みだが今、全国でブーム。トップランナーとして、われわれのやってきたことが評価されてうれしい」と声を弾ませる。
イベント企画会社代表、古書店主、元教師、主婦…。大阪あそ歩を支える市民ガイドは現在200人を超え、その経歴もさまざまだ。
大阪あそ歩のスタート時からガイドを務めコリアタウンなどを案内する足代健二郎さん(69)は、「大阪あそ歩で、自分たちの地域以外で活動する人たちとの交流の輪が広がった」とし、「一人で何コースも参加するリピーターも多い。熱心に話を聞いてもらいやりがいがある。これからも盛り上げていきたい」と、受賞を喜んでいる。
イベント企画会社代表で、住吉大社かいわいをガイドする山田重昭さん(48)は「大阪あそ歩は決して派手ではないが、少しずつファンを獲得してきた。一度はまると、癖になるのが魅力」とし、「参加者が説明を聞いて終わりという受け身ではなく、地域で何かしらの体験ができる仕掛けをもっと盛り込んでいければ」と、今後を見据える。
大阪あそ歩委員会プロデューサー、陸奥賢さん(34)は「大阪のまちのポテンシャルが認められた。今後も皆さんと活動していきたい。ぜひ大阪あそ歩に参加してもらえれば」と呼び掛けている。