鶴乃茶屋跡。見事に復活。よかった。
難波利三先生が直木賞を受賞した出世作『てんのじ村』。ちょっと読んだら止まらんようになってしもて一気に読破。やっぱええですなあ。名作。
解説が黒岩重吾先生で、これがまた味があります。あと表紙がよろしいでんな。初代通天閣。
通天閣は初代に限る。
「まちづくり」「まちおこし」というけれども、本当に、いまの日本に必要なのは「まちしずめ」や「まちこわし」やと思ってます。
なぜならば、まちも、人間と同じように、輪廻転生というか、サイクルしていくことが重要だから。人間が生・老・病・死するように、まちもまた生・老・病・死するんです。人間がそういう生き物であるのに、その人間が作るものが、未来永劫、永久不滅、永遠のものであるはずがない。
そう考えると、「まちおこし」の先には「まちしずめ」が必要だし、「まちづくり」の先には「まちこわし」が必要だということになってきます。そうやって、サイクル(死と再生)させることで、まちは、ほんとうのまちとなる。
人間の一生は短い。せいぜい100年。まちを作るひと(まちづくり、まちおこしをする人)は、じつは、その範囲で、まちを納めないといけない。井原西鶴いうところの「始末をつける」(最初と最後で帳尻を合わせる)ということが、人間の営みにとって、いっちゃん大事なことなんです。
伊勢神宮はわずか20年で遷宮します。この20年というサイクルを繰り返すことで、ひとを育て、技術を伝え、古代からの建築様式と伝統を堅持してきた。こういう知恵が近代モダニズムにはないんですな。近代モダニズムは、資本主義を信じ、経済成長を信じ、人口増加を信じ、科学技術を信じ、「千年都市」を夢見て、原発を作り、ついに崩壊してしまった。
生生流転するものが、生命の自然(じねん)。その流れに逆らって、まちづくり、まちおこしは出来ません。絶対に失敗します。
以上は自戒を込めて。
こどもの日原発全停止記念!ゆる~くトークショー!「余白ネットワークと大阪七墓めぐりの意外な関係!?」、本日夜8時から開催です。
詳細はこちらのリンクページで!
http://www.facebook.com/events/268052299958579/
昨日は空堀、谷町、高津、なんば、道頓堀、法善寺、千日前、日本橋、新世界、山王、飛田、釜ヶ崎のまち歩き。ちょこちょこガイドをしながら朝11時から夜8時まで。
ほんまはひとつのエリアで2時間、3時間は話せるネタがあるんですが、時間的にそれが出来ず、8割ぐらいスルー。ただ、いろんな大阪のまちがあることは解って頂けたかな~。
大阪の良さは、まちのバラエティ感。百花繚乱の面白さ。見る角度によってクルクル目まぐるしく変わる万華鏡都市。
赤瀬川源平。トマソン。超芸術。意味と無意味。井原西鶴。二万翁。俳句から浮世草紙へ。隙間。グラフィティ。バンクシー。落書き。市中の山居。マージン。直線の国境線。長谷川等伯。こどもの日。秋葉原の資本化。メイド喫茶。メイド喫茶の廃墟跡。メイド喫茶のデータベース化。ジャコメッティ。原発全停止。スーパームーン。雪舟。オダサクの光と闇。法善寺の柵。東京地下鉄図と大阪地下鉄図。皇居という余白。恩賜公園。女装。七墓。ブリコラージュ。折口信夫。まれびと。悪所。アジール。自由領域。カポエラ。枠外感。大阪人の過剰性。余白的。士農工商。心中と伊達騒動。遊び。梁塵秘抄。橋の下。余白ではなく余黒。暗黒舞踏と白塗り。石原都知事と橋下市長。竹島と独島。駆け込み寺。ブルックナー交響曲第5番と朝比奈隆。聖なる一回性。寺山修二と恐山。漫才の間。東京の沈黙と大阪の叫び。暗い有楽町とファシズム。
いろいろと出ました。話題飛びまくりww
http://www.facebook.com/events/268052299958579/
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近松門左衛門の名作『曾根崎心中』をモチーフにまち遊び。お初と徳兵衛が心中した日に、心中した道行をたどって、心中した場所(露天神)で、曾根崎心中の話を語ります。
えらい企画ですが、ガイド役は大阪あそ歩プロデューサーのむつさとし。ぼくですww よろしければご参加を~^^
http://www.facebook.com/events/305725692840784/
ぼくは中卒で、どうも一貫した、体系的な、組織化された学問的態度というものが身についていない。レヴィ・ストロースのこの部分、折口信夫のあの部分、ジャック・ラカンのそういうところ、ジェイン・ジェイコブズの例の提言、梅棹忠夫の大胆な仮説・・・といったように、自分が好きや!おもろいがな!興味深い!という好悪の、生理的体感の集合によって、勝手気ままに企画やらプロジェクトやらを構築するから、そこには真摯誠実なる学問的態度がない。寄せ集めの、つぎはぎだらけの、フランケンシュタインのような、独善と思い込みがあるだけ。
こういう人間のことを大阪では「いっちょかみ」といいますが、これは「いちびり」と並ぶ、典型的な大阪人的特筆で。昔の大阪のまちなかではこういう「いっちょかみ」の独善的人間が大勢集まって、じつはまったくお互いに噛み合わないロジックを展開して侃侃諤諤やっていたわけですが、そういう連中の学問のことを町衆は揶揄して「鵺学」(ぬえがく)といいました。鵺というのは頭は猿、足は虎、尾は蛇という伝説の妖怪・怪獣で、まぁ、フランケンシュタインの日本版ですわ。鵺みたいな、得体のしれない学問(学問というよりも趣味、道楽、酔狂ですが)をやっている。
AとBのロジックの断絶を「なんとなく」という反近代で飛び越える。ブリコラージュといえるし、モジュールともいえるし、この寄せ集めの隙間こそが「余白」ともいえますww それでいいのか?それでいいのだ!(バカボンパパ)
・・・というわけで「余白ネットワーク」の内田聖良ちゃんとトークイベントします。まったくもって、どういう展開になるかは不明ですが、ゆる~くやりたいと思ってますので、ちょっくら顔を出してやろうという方、ぜひとも来てみてください。
http://www.facebook.com/events/268052299958579/