ズボンが破れてまいました。あらら。ズボンって西洋人の格好というイメージですが、元々は、これ、紀元前からあって中央アジアの遊牧民の服装です。偉大なる発明で、馬に乗るのに着物(こちらは呉服ですな)では裾が絡げてえらいことになる。それでズボンのようなすっぽりと履く服が考案された。それがズリ落ちてくるので腹部で帯(ベルト)で留める。「胡服」といいます。胡というんは漢民族が遊牧民に対して用いた蔑称ですが、いろんな文化を産んで、それは日本にも到来してます。「胡麻」とか「胡瓜」とか「胡桃」とか。あと「胡坐」(あぐら)なんてのも遊牧民の座り方で、これはズボンだから可能だった。着物(呉服)だったらものが見えてまいますww 歴史的には胡服を発明したことで激しい馬の騎乗も可能となり、「騎兵」が産まれ、馬は群れて行動するので「集団戦法」という考え方も産まれ、これは世界の戦闘の歴史を変えました。まさに革命です。というわけでいまから心斎橋に胡服買いにいきますww
祖父は松尾橋梁。父は日本電機研究所。陸奥家の男は二代続けて理系エンジニア(ぼくだけ観光屋で文系ですww)やったんですが、祖父にしろ、父にしろ、土日となると電車にのって、ぼくを連れて行ったのが日本橋、新今宮、萩之茶屋界隈。要するに祖父も父も「ドロ市めぐり」が大好きで、子供の頃はドロ市こそがぼくの遊び場でした。ようわからん道具やパーツや機械があっちこっちに転がっていて、テキトーにあれやこれやいじるのが楽しかったですな。
そういえば、いっぺんドロ市の店先でネジを眺めていて(ネジにも大きいのやら小さいのやら長いのやら短いのやら、ようさんネジがあるんですわ)、あんまりにも熱心にネジを見ているので父親に「なんや?ネジほしいんか?こうたろ!」いうてネジを何本か買ってもらったことがありました。ネジだけ買ってどないすんねん?どないしようもない。しかし、ぼくは、ネジを眺めているだけでも楽しかった。あのネジ、どこにいったんやろか?いつのまにか、なくしてしもた。置いとけばよかったなぁ。
あのオモチャ箱をひっくり返したような輝かしいドロ市がなくなったのは、返す返すも残念。ぼくの中では、あれこそが「釜ヶ崎の光景」でした。汚いとか怖いとか、まるでない。むしろ、万華鏡のように、美しかった。
相撲の後援者のことを「タニマチ」といいますが、このタニマチは大阪の谷町筋の「谷町」のこと。谷町は寺町で文化度が高く、船場の旦那衆の別宅(愛人付きww)も多かった。相撲の力士だけに限らず歌舞伎、文楽といった芝居関係者、俳人、歌人、画家といった文人墨客を囲っていた。こういう「タニマチ気質」が大坂の百花繚乱の芸能文化を支えました。
それが無くなってしまったのが、明治維新以降の話で、近代日本に官僚統制システムが導入されてから。江戸時代、傘職人の橋本宗吉は才能が認められて江戸留学しましたが、その資金は大坂の町衆(タニマチ)が出しました。ところが明治時代になると、夏目漱石は英国留学しましたが、これは文部省が金を出しました。国家はタニマチから税金を搾取して疲弊させ、国家にとって、自分たちの都合のいい人材、アーティストにだけ、資本を注入する構造が出来上がった。これは終戦後の戦後体制でも同じで、それどころか、より強固に、徹底されたように見えます。もはや現代日本のアーティストで、官吏のヒモツキ(補助金、助成金)以外で生きているアーティストなんて、ほとんどいませんから(そういう毒にも薬にもならないアーティストは、正直、まったく、ぼくは面白くない)。
基本的にアートや文化を支えるのは、ぼくは官吏ではなくて、町衆であるべきだと思っています。というのも、官吏は税金という「他人の金」を預かっているだけなので、責任感がまったくないんですな。どれだけ税金を注入しようとも、ハンコを押した官吏は、まったく自分の懐具合が痛まない。さらに2年後、3年後、4年後には違う部署に移ってしまって、進行中のプロジェクトとは一切関係ナシ!となったりしますから、これまた無責任極まりないシステムです。しかし、町衆は自分たちの資本でタニマチをやるわけですから、後援するのも真剣に選択せざるを得ません。真剣だから、自然と自分たちの審美眼を磨きあげていく。大坂に西鶴や近松や上田秋成や蕪村といった、ほんまもんのアーティストが誕生してきたのは、ほんまもんのタニマチがいたからでこそ、です。
「おおさか創造千鳥財団」のような財団がもっと出来て、町衆が文化、芸術を担うという当然の風潮がもっと盛んになってほしい。ほんまもんのアートには、ほんまもんのタニマチが必要です。
■おおさか創造千島財団
http://www.chishimatochi.info/found/
ええっと、こういうこというと、あれですけども、ぼくは基本的にはライトアップイベントとやらにはアンチな男ですww むしろ都市は全消灯せよ!冬の夜空の、銀色に輝く月や、満開の星のほうが、はるかに美しい。電気こそが科学文明の象徴でした。それを盲目に礼賛する時代は2011年3月11日で終わりました。時代は変わりつつある。レクイエムのライトダウンを。もう、そろそろ、ぼくらは、そういう知性を働かせてもいいはず。
江戸時代の大坂は町衆が何事も話し合いで決定した自治都市。「浪華八百八橋」といわれるほど橋が多い都市でしたが、そのうち公儀橋(幕府が作った橋)はわずか12で、町民が私財で橋や堀、道路を作り、町衆のものとしてシェアしたわけです。それが大坂商人の成功の証明であり、誇りであり、生きざまでした。天皇、将軍、お上、上様といった政治的権威・権力は通用せずに「王様は裸だ」と言い切るプラグマティズム、実質主義が大阪人の特質です。人間主義で見栄がないから「武士は食わねど高楊枝」的な痩せ我慢はなく、自分の中に明確な価値判断基準があって「美味しいもの」「楽しいもの」「面白いもの」「素晴らしいもの」を徹底的に追求する。人生の遊びを知っている。日本有数の芸能文化や食道楽を生んだのも、こうしたメンタリティが土壌にあります。
また驚くほどにロマンチストで恋愛至上主義者の一面があって、例えば江戸の武家社会では男女の心中沙汰は御法度でしたが、大坂では近松門左衛門の『曽根崎心中』『心中天の網島』など「心中もの」の文楽が大流行して、あちらこちらで情死事件が起きた。『冥途の飛脚』の忠平衛は、愛する梅川を身請けするために、天下の公金の封印を切った。世間、世俗、死をも超えて愛を貫く男の姿に、大坂の町衆は拍手喝采した。自分の価値を尊重してなにものにも縛られないだけに、いざ恋愛!となるとアホほど一直線になるのが大阪人的な恋愛像です。パブリックイメージでは「口が達者やから女口説くのうまい」とか「浮気もん」とか思われがちですが、ちゃいます。ほんまでっせww
9世紀、空海は留学生として入唐して密教の経典を入手、それをごっそりと日本にもってきました。密教はルーツを辿ればバラモン教で、仏教以前のインド土俗の宗教です。バラモン教には釈迦は登場しません。「宇宙とはいかなるものであるか?」という生命の根源的なものを問う宗教で、「曼荼羅(マンダラ)」(元はバラモン教のもので、ようわからん幾何学模様でしたが、仏教に取り入れられると、仏などが描かれるようになりました)は、そのシンボリックであり、図案化です。
宗教は先発のものは素朴で大雑把で大袈裟でテキトーで、後発はそのアンチテーゼとして登場するので理論武装してロジックが優先します。バラモン教も仏教、儒教よりもスケールは大きかったようですが、それだけ整合性はなく、カオスで、破綻していました。
そんなバラモン教が中国に渡ったときも、中国人は、あまり興味を覚えなかったようです。中国人は良くも悪くも現世的で合理主義者ですから、目に見える山川草木花鳥風月はこよなく愛しますが、「宇宙」なんてものを説く宗教には大して感心をもたなかった。体質に合わなかったんでしょう。一部の好事家が、趣味的に「これはなかなか面白い」なんて手慰みにしていただけで、空海の時代には完全に廃れていた。ところが、そのバラモン教を唐で発見した空海は「これはすごい!」とひとりで大興奮して、本当であれば20年間の唐留学の予定だったのを、わずか2年で切り上げて、日本に持ち帰りました。
空海の天才はここからで、空海はバラモン教を勉強しながら、その聡明すぎる頭脳で、見事に自分流に再構築して、完全完璧な宗教「真言密教」として完成させました。空海の真言密教には、一切、破綻がなく、隙間がありません。大雑把なバラモン教を圧縮、凝縮して、宝石のような結晶体(=真言密教)にしてしまった。宇宙を説くマクロのバラモン教から、一輪の蓮花のようなミクロの真言密教へ・・・それが空海のライフワーク、仕事でした。
また、空海は真言密教を日本全国の庶民に齎すなんてことには、さほど熱心ではありませんでした。宗教は分布しようと思うと、信者を獲得していこうとすると、どんどんと方便(ウソ)が必要になっていき、教義もダラダラしたものになっていきます。親鸞上人は信者を獲得していくために「結婚しても魚食べても悪人でもOKでっせ!」なんてことをいって庶民を教化していきましたが、空海はそういうスタイルは取りませんでした。あくまでも純粋さにこだわった。
その代わりに空海は、紀州の山奥にある、蓮の花が開いたような山上盆地に、自分の理想の、見事な壇上伽藍を作り上げた。それが高度1000メートル以上の雲の上に、空中浮遊の、天空に漂うような、宗教都市「高野山」です。じっさいに高野山は、比叡山焼き討ちのように権力者に焼かれたことがなく(秀吉は焼き討ちしようとしましたが木食応其上人との話し合いで簡単に決着しました)、米軍の空襲にも遭いませんでした。どこか世界から超越した、隔絶した宗教といえます。
要するに、真言密教は、選ばれた者だけの、天才の宗教といえます。普通の庶民には真言密教はようわかりません(笑)しかし「小規模でもいいから、完全無欠の世界を作り上げよう」という空海のベクトルは、じつは非常に日本的だと思っています。利休の茶室や龍安寺の枯山水にも通じる日本的なベクトル。
キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、大抵の世界の宗教は、マクロに拡大していきます。それがゆえに衝突する。しかし空海の真言密教はミクロに展開していった。こういうベクトルの宗教があることは、世界にとって、ひとつの救済になりうるのでは?と思ってます。ま、ひとことでいうと大乗仏教ではなくて「小乗仏教の可能性」と、そういうことなのかもしれませんが(笑)
なんとなく高野山にいきたい。そんな夜。
「大阪はまるで町人の世界で、何も武家というものはない。従って砲術をやろうという者もなければ原書を取り調べようという者もありはせぬ。それゆえ緒方の書生が幾年勉強して何ほどエライ学者になっても、頓と実際の仕事に縁がない」
「自分の身の行末のみを考えて、どうしたらば立身ができるだろうか、どうしたらば金が手に入るだろうか、立派な家に住むことができるだろうか、どうすればうまいものを食い、いい着物を着られるだろうかというようなことにばかり心を引かれて、あくせく勉強するということでは、けっして真の勉強はできないだろうと思う」
「一歩進めて当時の書生のこころの底を叩いてみれば、自ずからなる楽しみがある。これを一言すれば、西洋の日進の者を読むことは日本国中の人にできないことだ、自分たちの仲間に限ってこのようなことができる」
福沢諭吉『福翁自伝』より
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大阪は確かに商業都市でしたが、だからといって大阪人が拝金主義者か?というと、それは明確に違います。というのも、お金というのは抽象的に思えて、じつは非常にわかりやすい。数字ですから。100万円よりも1000万円のほうが良い。しかし、では、お金があればいいのか?お金で人生すべてが割り切れるか?というとそうではないわけです。生きるということはもっと複雑怪奇で、金というロジックで割り切れない物事が往々にしてある。大阪は商業が発達しましたが、金の世界にまみれているからでこそ、誰よりも早く「資本の限界性」にも気づくわけです。
「大豪商の淀屋、住友、鴻池でもままならぬことが人生にはある」「人生の本当の価値、醍醐味は、金銭に絡んだ世界にはない」 そう考えて、むしろ一銭の金にもならないことに、人生を費やす人が数多く出てきてもおかしくない。むしろ大部分の大阪人は、金儲けよりも、遊び、享楽、趣味、道楽などに夢中になりました。実際に木村蒹葭堂は石ころ集めに夢中になり、山片蟠桃は無神論『夢の代』を書きました。これ、一銭の金にもなっとりません。
当時の侍は儒教を学びました。これは侍階級の規律、道徳のためで、立身出世の狙いもありました。じつは侍のほうが、功利的なんですな。ところが大阪の商人階級のあいだで流行ったのは、例えば「天文学」と「蘭学」です。星を見ても、まるでご飯の種にならない。また「国際社会の中で英語を習う」のではないです。「鎖国状態なのにオランダ語を学んだ」から凄い。オランダ語の習得に、何の意義も意味もない。ただただ、文字や言葉の響きが面白かっただけ。
大阪の町衆が寄付を募って作った私塾「懐徳堂」は、世間からは「鵺学」と呼ばれました。鵺は伝説上の怪獣で頭は猿、足は虎、尾は蛇。要するに「意味不明な学問」をやる場所として有名だったわけです。それが喜ばれた。尊ばれた。成立した。学問するということが、遊びで、趣味で、道楽だったわけです。
大阪人が拝金主義者というのは大間違いで、それは元禄バブルの時代で終わりました(象徴的事件が淀屋の闕所事件です)。それを通り越したところに、大阪文化の「粋」(すい)があったわけで、それを読み取らないと、大阪という都市の懐の深さ、凄さはわかりません。冒頭の福沢諭吉の自伝『福翁自伝』は、緒方洪庵の適塾時代を回想したものですが、これが「粋」の文化の真髄ではないか、とぼくは思ってます。目的なしの勉強。ナンセンス。そこに賭ける、意味不明なまでの情熱。
浪花が産んだ「粋」(すい)という都市文化は、その根底にナンセンスというか、無常というか、虚無というか、ブラックホールが横たわってますから、その情熱は、とどまるところを知りません。いきつくさきは「酔狂」(すいきょう)です。最期は狂うしかない。男と女はみんな恋愛に狂って「心中」する。恐ろしい世界。
江戸は「粋」(いき)という都市文化を産みましたが、「粋狂」(いききょう)という言葉はありません。ちゃんと納めるんですな。粋(いき)という文化は。破れない。綻ばない。狂わない。要するに「切腹」こそが、ぼくは粋(いき)の文化の最たるものだと思ってます。
あ。あと「粋」(すい)に憧れたのが太宰治で、「粋」(いき)に憧れたのが三島由紀夫やないかと、ふと思ったり。近代人にはムリなんですよ。心中も。切腹も。その証明が、このふたりの死なんでしょう。
『鉄人28号』にはこんなシーンがあります。敵がミサイルを撃つんですが、鉄人28号にきかない。そうすると敵のボスが叫ぶんですな。「鉄人を狙うな!鉄人周辺のビルを撃って壊せ!」
どういうことか?というと、鉄人はリモコンで動くわけですが、主人公・正太郎は鉄人の近くのビルから鉄人を操っている。そのビルを破壊して、正太郎を木っ端微塵にしてしまえば、鉄人など、ただの鉄クズ!というわけです。これは「敵のボスながら、なんて頭がいいのだろう・・・」と、子供の頃に『鉄人28号』を読んで衝撃を覚えたシーンです。世間の少年漫画の敵というのは、もっと愚かで、頭が悪いですから。こういう「工夫」「計略」「戦術」がない。
『バビル2世』では、主人公・浩一と、悪の帝王のヨミは、じつは宇宙人バビルの子孫で、ともにバビルの塔の後継者なんですな。ヨミは超能力を使えるし、じつは3つの僕(しもべ。ロプロス、ポセイドン、ロデム)を自由自在に操ることもできる。浩一と、ヨミが、お互いに3つの僕に命令して操って・・・ヨミが操るロデムが浩一を襲うと、それをポセイドンが助けて、またロプロスがポセイドンに襲い掛かると、ロデムがそれを救うといった白熱のバトルを展開!・・・というのは、これはもう、少年漫画史上に残る超能力バトルの名シーンでした。敵と味方が入り乱れて、手に汗にぎるほど面白い。
横山光輝御大の作品は、サスペンスというか、ひねりというか、一癖あるというか、ありきたりの熱血少年格闘漫画ではなくて、じつに高度で、知的で、「大人」なマンガでした。のちに横山光輝御大が歴史マンガの金字塔、権謀術数の宝庫である『三国志』を描き、それが大ベストセラーになるのも、むべなるかな。