大阪は「日本最大の宗教都市」です。
2005年度に文化庁が発行した「宗教年鑑」によると、日本全国の都道府県で、もっとも寺社の数が多いのは愛知県(4844)ですが、2位にランクインするのがじつは大阪府(3402)。3位にランクインするのが兵庫県(3319)で、町のあちこちに寺社が立ち並んでいるイメージの京都府が、実は5位(3102)で大阪、兵庫のほうが寺社の数が多いことは、あまり知られていない事実です。
さらに「都道府県の面積比」で考えれば兵庫県(3319寺院 県面積8393km²)、愛知県(4844寺院 県面積5162km²)、京都府(3102寺院 府面積4612km²)、大阪府(3402寺院 府面積1896km²)・・・兵庫や愛知、京都の広大な面積と比べると、いかに大阪が狭い府面積のわりに、寺社の数が突出しているのかが、よう解ります。ぼくが 「日本最大の宗教都市は大阪である!」と熱弁しても、あながち過言でも虚言でもないわけです(笑)
寺院で開催される最も大きな宗教祭事のひとつが「盂蘭盆会」(お盆)。これは先祖や、自分より先に死んでしまった人たち(無縁仏を含めて)を敬い、慈しみ、感謝しようというもの。得てして大阪人というと「阪神」「粉もん」「お笑い」好きのコテコテのラテン民族、「安けりゃなんでもいい」の拝金主義といった妙なパブリック・イメージがあるようですが、実はとても敬虔で、真摯で、誠実な、慎み深い、宗教民族なのだと僕は思っています。
画像は四天王寺さんの盂蘭盆会万燈供養会。
昨日は「大阪七墓参り」ご参加ありがとうございました。しかし、6時から11時半までで、大幅にタイムスケジュールが遅れました。ほんとうにごめんなさい。
大阪七墓参りは、「都市民俗学」ではなくて「都市民俗を継承する」という、日本の民俗学史上に、かつてなかった、エポックメイキングな出来事でした。学問として、民俗学をやる人は世の中にいっぱいいます。村の祭りを調べたり、寄り合いを見たりという人は。しかし柳田も折口も宮本さんも、基本的には「傍観者」であって「当事者」ではないんです。死体解剖みたいな民俗学は、ぼくは興味がなくて、ぼくらこそが主役となって、生きている都市民俗をやれるなず、と思ったし、やりたかった。その願いは適いました。ほんとうにありがとうございました。
七墓参りは、大阪が産んだ都市文化、都市遊戯として、これからもやっていきます。そのうち肝試しでも、デートコースにでも、なればいい!と本気で思ってます。フォロワーが生まれて、みんなが銘々にやりだせば、成功です。庶民ってそういうもんです。自由で、雑多で、カオスで、面白い。「おれならこういう風に七墓を参るぜ!」みたいな余裕と遊びが生まれてほしい。じつに大阪的です。
とりとめのないメッセージになりました。とにかく無事に終わってよかったと思ってます。また大阪のまちを舞台にした遊びをいろいろと企画していきますので、よろしければ、ご参加ください。あ。こんなに歩くことは、もうないと思います。来年の七墓参りまでは(笑)
むつさとし拝
太平洋戦争前夜。アメリカと戦争をするかどうか?という会議の話。
総理大臣兼陸軍大将の東條英機があまりにも勇ましいので、当時の海軍大将の嶋田繁太郎は「いまの海軍の鉄量ではとてもじゃないがアメリカとは戦争なんてできない!」と抗弁しました。すると東条は「では陸軍の鉄の分を半分回せばいいのか?」。ここで嶋田は躊躇しました。もしここで「それでもできない」といえば東条のことだから「では海軍に鉄を使わせるのは無駄である!膠着している中国戦線を打破するために、すべての鉄を陸軍に回す!」と言い出しかねない…。
多少、鉄の配給が増えたくらいで、アメリカに勝てるわけがないということは、嶋田には当然の如くに判っていたんですが、海軍大将として「陸軍に負けてなるものか」という海軍の面子、組織利益が最優先してしまい、それが結果として陸軍は大陸で、海軍は太平洋で…という二面戦争を展開することになりました。自分たちの省益のみを考えて、国家を蔑ろにして無謀な戦争を拡大し続けて、ついには亡国に至る。官僚が暴走すると、国は滅びるという典型的な一例です。
「官僚は自分が所属する省庁の利益だけを追い求め、国全体のバランスを考えない」「省益のためなら国益すら軽んじる」…これ、別に太平洋戦争の話に留まりません。戦後日本もまったく同じことでした。「道路を作らないと!」「ダムを作れ!」「空港がいるぞ!」「新幹線だ!」「コメを守れ!」「労働者保護だ!」「医療保険だ!」「中小企業第一!」「大企業優遇!」と、各省庁が各省庁の論理で国家予算のブンどりに躍起になった結果、国家予算の総額では到底足りなくなって、国債を発行して、発行して、発行して、いまや空前絶後の、未曾有の国債発行総額900兆円です。
ほんまはこういう事態に陥ったときは、国民から選ばれた政治家が「金が足らんのや!ええ加減にせえ!」とブレーキ役を担わないといけないんですが、官僚に取り込まれて「族議員化」してしまい、一緒になって「金を出せ!国債を発行しろ!」と旗降ってたんだから、いかんともしがたいです。官僚の手先になるんだったら政治家の存在意義はありません。
なにはともあれ「日本の病理=官僚統制国家体制」は、戦前も戦後も、じつはまったく変わっていないということです。1945年のヒロシマ、ナガサキの悲劇は、日本の戦前の軍事官僚の暴走が招いた結果でしたが、ぼくは、2011年のフクシマの悲劇だって、日本の戦後の経済官僚の暴走が招いた結果というように感じています。
今日は8月15日。終戦記念日。われわれは、あの戦争から、なにを学んだのか?なにを学ばなければいけないのか?もう一度、ちゃんと、改めて、マジメに、誠実に、向き合いたいと思ってます。合掌。
阪神電車いうんは、文字通り大阪と神戸を結ぶ電車です。都市と都市とを結ぶ、当たり前の、当然の、大衆の需要にお答えした電車です。現実的で堅実でリアル。足。交通機関。
対する阪急いうんは元は「箕面有馬鉄道」。箕面の滝と有馬温泉を結ぶ電車からスタートしました。滝も温泉も風光明媚な景勝地。人間なんて住んでません。猿しかいなかった。これ、ほんまです。そんなところに鉄道を通して電車を走らせた。
やったのは阪急創業者の小林一三。当時の鉄道経営のセオリーから言えば常識外れ。横紙破りです。しかし小林一三はやった。田舎に鉄道を走らせ、同時に駅周辺の土地を買い漁り(なんせ田舎だから安い)そこに新興住宅を開発して「サラリーマンでも月賦払いでマイホームが持てまっせ!」とやった。これが当たったんですな。俗に言う郊外都市構想。または田園都市構想。住むとこ(職場)と働くとこ(住居)を分けた。職住分離のはじまり。
さらに小林一三は、何もない新興土地では面白くないと、エンターテイメント施設を人工的に作り上げることを思いつきます。そこではじめたのが宝塚少女歌劇団。これは大阪ミナミ、宗右衛門町の芸妓学校がヒントでした。これまた大ヒットして、やがて東京宝塚→東宝が出来て映画興行の世界にも進出していきます。
小林一三曰く「乗客は電車が創造する」。乗客がいるとこに電車を走らせるのではなく、まず電車を走らせ、その後、そこに乗客を載せるために、あの手この手のまちづくりに着手する。逆転の発想ですな。
阪急電車はだから、良いようにいえば夢があります。憧れがあります。新興住宅。マイホーム。週末には家族団欒で明るく楽しい宝塚歌劇へ。東宝映画へ。しかし悪いようにいえば地に足がついてないんですな。生活がない。フワフワしてる。リアルじゃない。妙な浮遊感に包まれている。それが阪急電車の特徴です。
神戸ってまちは、そんな性格差、思想差のある阪神電車と阪急電車が東西を併走している。その面白さがあります。落差。ギャップ。これは大阪や京都、東京、他都市には、なかなか見受けられません。
まちを歩くことは、まちの土霊を呼び起こします。神道では「あらればしり」(阿良礼走)というのですが。大地を歩いて、踏みしめて、ときには踊って、土地の霊を呼び起こして鎮魂する。だからまち歩きは「まち起し」でありますが、また「まち鎮め」でもあります。「まち起し」をする人はようさんいますが「まち鎮め」の重要性は誰もいわない。ほんまは「まち起し」と「まち鎮め」がワンセットにならないと「まちづくり」は成功しないんです。少なくとも、ぼくはそういう思いでまち歩きをやってます。
清浄な良水は神水として崇められ、讃えられますが、不浄な悪水は忌避されます。日本人の、古代神道の、ケガレの思想はそういうところからきていますが、それが徹底しているのが、じつはモンゴルだったりします。
というのもモンゴル人は湿地帯を徹底して嫌うんですな。湿地帯は細菌が多い。病原菌が多い。だから近づかない。沈殿し、滞留することを、彼らは好まない。一箇所に留まらない。澱まない。馬に乗って、移動式の居住(ゲル)で、草原を転々と移動していく。ゲルにはなんと人間の生活スタイルの基本であるトイレに類する装置すらないそうです。大小をしたらそこは既に汚れる。もう次に移動していく。(ちなみに人糞は、牧畜犬が食べます。だから結局、なにも汚れない)
こうして彼らは遊牧民という生活スタイルを完成させました。彼らが生活して立ち去ったあと、大地には、なにも残らない。じつに綺麗なもんやそうです。残さないこと。汚さないことを徹底した生き方。
モンゴルといえば成吉思汗。かれもまた、巨大な中華文明の宮殿を手に入れても、そこに住もうとも思わなかったとか。政治は致し方なく宮殿で行い、夜にはゲルに帰っていったんですな。
だから墓すら不明です。世界最大の帝国を築き上げた英雄の墓が判らない!じつに摩訶不思議な面妖な話です。痕跡がない。わずか800年前の遺跡がわからない。最初からないんかも知れませんな。作らなかった。
世界中の考古学者が成吉思汗の墓を探し出そうと努力しているんですが、愚かしい行為に思えます。彼らは草原に死ぬから、墓なんかいらないんでしょう。生きてきた痕跡を残さない。ただ流れていく。草原が墓です。究極のエコロジカルな生き方だといえるし、無の哲学の実践者ともいえます。
モンゴルは資本主義国家の基準では、発展途上国に分類されます。どこが発展途上国なものか。もうすでに彼らは、彼らなりの完成された哲学、社会、文明を作り上げてますわ。彼らに資本主義の、近代の毒を盛る必要はありません。むしろ混迷する世界こそがモンゴル的方法論を見習うべきでしょう。
なにが大切か。正解か。それを気付かせてくれる。教えてくれる、可能性の国だとぼくは思ってます。
江戸幕府は大都市や戦略上、重要な都市を天領にしました。大坂も堺も長崎も天領なんですが、面白いのが田舎の、武蔵国多摩地区が天領であったこと。なんでおもろいか?というと、この多摩から、あの新撰組が出てくる。近藤勇も土方歳三も多摩の人なんですな。
武蔵国は江戸に近いので、大きい譜代はおきません。旗本、御家人といった小さい侍集団ばっかりが統治して、しかも分割に継ぐ分割、飛び地に次ぐ飛び地で、わけわからん土地やったんですな。統治しようにもややこしいので、天領を作って、幕府役人も少なくして、農民たちの自治にまかされた。すると農民たちのあいだに剣術がはやりました。武士の剣術ではない、農民の剣術。
武士いうんは、面子を大事にしますが、農民いうんは、痛いのがいやww とにかく、死にたくない。だから、非常に実戦的で、姑息で、いきなり足元を狙うような「卑怯な剣術」をやったんですな。それが新撰組を幕末最強の暗殺集団にしていったわけです。
武士いうても大抵は、主君として譜代大名がいて、将軍は、さらにその上の存在。忠誠するのは大名であって、将軍やなかった。戊辰戦争で、ほとんどの幕府軍は、あっというまに散り散りに負けてます。将軍のために戦えいうても聞かんかった。給料くれるんは、大名ですからな。その辺のことをようくわかってたんが、勝海舟とか大村益次郎。幕僚の海舟はそんなもんあんた幕府軍が官軍なんかに勝てますかいな(なぜか大坂弁)といって、官軍の大村益次郎はせいぜい2000の兵士でも幕府軍なんかに負けるわけがない。絶対に勝つと言い放った。
その点、新撰組は必死になって幕府のために、滅亡するまで戦ったわけですが、これは彼らが天領の民であったからといえます。農民ですけども、天領だから「我々は幕府直属の農民(武士)だ」というような意識が強くあったんですな。そういう意味では、非常に哀れな農民たちでした。
天領はおもろいです。というか、「自治が強い土地」は面白いんです。コミュニティに個性が出てくるから。おもろいまち歩きコースができるとこは、大体、そういう土地柄です。
ミニマムな、シンプルな、ライフを得ようと思うなら、そこには「見立て」が必要です。
一握の砂を須弥山と見立て
苔石と枯庭を九山八海と見立てるような。
要するに利休の心眼。
昔の日本人は、それが自然(じねん)にできていたんですが。
生は質素に。
心は豊穣に。
大阪あそ歩は長崎さるくに影響されています。長崎が「まち歩き」という手段を採用したのは実に先進的なことで、長崎人をぼくはパイオニアとして、深く尊敬してます。
「歩く」という漢字は「少し止まる」と書きます。まち歩きとは、まちを歩いて(少し止まって)考える。思う。話す。感じる。そういう時間をもつことです。これがいかに大切なことか。まちは、ぼくらの人生、ライフそのものなんですから。ところが、大部分の日本人は、まだそのことにまったく気付いていない。
長崎は、66年前の今日に、まちをロストしました。一瞬のうちに、なにもかもが蒸発して消えてなくなるという、信じられない、痛ましい体験をしました。まちとはなにか?を考えたでしょうし、誰よりも、まちの大切さを知っている。長崎さるくは、そういうまちの物語から生まれてきたと、ぼくは思ってます。
今日は長崎原爆投下日。長崎のまちを歩けませんが、大阪から、静かに、祈りたいと思ってます。
東北は北上川が抜群に面白い。縄文文化の南進と、弥生文化の北進の衝突地域。その醸成が平泉の黄金信仰、宮沢賢治のイーハトーブの遠景となる。土地の力ですなぁ。