船場を焼いた大塩の乱(1837)の翌年に洪庵が船場・瓦町で適塾を開いてます。大塩焼けの焦土が復興する中で、適塾が出てきた。歴史いうんは、妙な符号をあわせますな。大塩は「知行合一」の陽明学者で、洪庵は「滴滴」なる蘭方医。まったく人間性も哲学、人生観もちがうんですが、なんとなく共通項を感じなくもありません。大塩は幕府に逆らって爆死して、洪庵は大坂を離れるのがいやで「討ち死にする所存」で江戸に召抱えられて客死した。「死にざま」が似てるせいかな?
色々と調べていて面白い、ユニークな男の存在を発見しました。天満の池田良輔。はじめは大塩平八郎の「洗心洞」で漢学を学んで、のちに洪庵の「適塾」に入って蘭学を学んで、医者になったという男です。大坂には、こういう人物もいたんですな。
文化13年生まれ(1816)で明治27年(1894)に79歳でなくなってます。洪庵の勧めで和歌山藩に仕えて、明治以降は陸軍省で西洋兵学や航海術などの翻訳を行ったとか。『法朗西文典案内』(1867)といった著作があるのもわかってます。フランス語の案内書でしょうかね?法名は「慈妙院孝英日法居士」。和歌山市東長町の正住寺に墓があるとか。
これは、いっぺん、いってみたいですな。
ちょっと大阪府庁に行く用事があって、ついでに大阪歴史博物館を通りました。画像は大阪歴史博物館の屋外に復元された高床式倉庫です。古墳時代(5世紀頃)に、大阪歴史博物館周辺に16棟もの建物が規則正しく建設されていて、古代の港湾施設の倉庫群だと考えられています。
この法円坂遺跡界隈は、その後、生玉森、前期難波宮、後期難波宮、石山、大坂本願寺、豊臣大坂城、徳川大坂城、陸軍兵器本部(砲兵工廠)、昭和大阪城・・・と変遷に次ぐ変遷を重ねていきます。まさに大阪の歴史がミルフィーユみたいに重層して積み上げられたところに、いま、大阪歴史博物館が建っている。
日本全国広しと言えども、こんなとこはありません。圧巻ですな。
NY名物のフラットアイロンビル(Flatiron Building:23rd Street bet.5th Ave. & Broadway)。1902年の建築。高さは285ft(87m)で階数は22階建て。完成当時はニューヨークでも最も高い建築物だったとか。ブロードウェイと5番街が交差するデルタ地帯に併せて設計されていて、最も細い部屋は1メートル弱ほど。
まちは路地、裏路地、小路、袋小路、細道、曲がり道、くねくね道、抜け道、四辻、六道、坂道、崖地、窪地などで構成されていて、複雑であれば複雑であるほど、面白く、楽しい。碁盤目のように理路整然と区画整理(ゾーニング)されたニュータウンには、個性もなにもなく。まったく、なんの興味も、魅力も、面白みもありません。
NYを歩いて思ったのは、NYはブロードウェイがあることで、随分と救われていること。大阪・船場にも、ああいう斜めの道が欲しいですな。歩道で、車通行禁止にするんです。パレードや出店もOK。大阪・船場のまちが、俄然、おもろなると思いますよ。船場にブロードウェイを作ろう!(笑)
NYとLVにいってきました。
写真はNYのTribute WTC Visitor Center。
http://www.tributewtc.org/index.php
いろいろと思うところがありましたが、言葉にできません。
なにかいえば、ウソになりそうです。
グラウンド・ゼロには新しい貿易センタービルが建つようで工事中でした。
救いのような。祈りのような。
ミニマムな、シンプルな、ライフを得ようと思うなら、そこには「見立て」が必要です。一握の砂を須弥山と見立て、苔石と枯庭を九山八海と見立てるような。
要するに利休の心眼。昔の日本人は、それが自然(じねん)にできていたんですが。
生は質素に。心は豊穣に。
大阪日日新聞の「澪標」のコラムです。
6月6日。「大阪あそ歩’10春」(http://www.osaka-asobo.jp/)が、ついに終了しました。最終的な集計はまだ出ていませんが、5月中旬時点で、すでに予約率百パーセントを超える参加申し込みを記録したそうで、中には、あまりにも予約申し込みが殺到したので、特別増便したコースなどもありました。想像以上の大盛況、大成功でフィナーレを迎えることができました。
また今春は天候不順で、何十年ぶりの大寒気や記録的な大雨にも襲われましたが、そんな中でも大阪あそ歩ガイドさん、サポーターさんからは「今日はやめよう」といった弱音は一切、聞きませんでした。あそ歩ガイドさん、サポーターさんの、自分たちのまちを案内することへの情熱に、頭が下がる日々でもありました。本当に感謝の念でいっぱいです。ありがとうございました。
さて、5月もほぼ毎日、まち歩きの現場に出ていましたが、いろんな参加者の声も聞きました。とくに印象的だったのが、大阪あそ歩に何度もご参加いただいたという旭区の女性です。子育てが終わって、夫が亡くなってから、あまり外に出ることがなくなって、しかし大阪あそ歩を知ってからは週1回は参加しているとのこと。「1人で参加して不安だったけど、お友達もできたし、大阪あそ歩は生きがいみたいなものです。秋も楽しみにしてます」とおしゃっていただいて、とてもうれしい言葉でした。
大阪あそ歩は、お一人さまでのご参加が非常に多いのですが、何度か大阪あそ歩に参加していると、自然と顔見知りが増えていきます。「このあいだ佃・大和田のまち歩きでご一緒でしたね?」というようなことから会話が弾み、また偶然、帰り道が一緒だったり、話をしているうちに(なにせ狭い大阪のことですから)共通の知人がいることに気づいたりして、どんどんと仲間や友人たちができていくようです。大阪あそ歩の参加者同士で、緩やかなコミュニティー(共同体)が形成されつつある。これも大阪あそ歩の素晴らしい効用といえます。
少し話を飛躍しますと、現代社会は核家族化や終身雇用の崩壊、東京一極集中化などによって、「血縁」「社縁」「地縁」が急速に瓦解しつつあります。「無縁社会」というような恐ろしい言葉がありますが、人が人とつながることがなくなって、人間が人間でなくなっていってます。他人のことなど関係ない。自分さえよければいいと欲望を肥大化させて、無責任な世の中になっている。
大阪あそ歩は、こうした無縁社会に対するアンチテーゼです。大阪あそ歩は、まちを舞台にして、そのまちの物語や歴史、ドラマを、みんなで「すごい」「おもしろい」と言い合いながら、「共有体感」(これが非常に大切なことです!)して、人間同士のつながりを作っていきますから。要するに大阪あそ歩は「好縁社会」(同好の仲間による共同体)を構築します。
大阪あそ歩によってガイドさん、サポーターさん、参加者の皆さんがお友達になって、新しいコミュニティー・ネットワークができていく。このネットワークの輪がどんどんと広がれば、近い将来、大阪のまちづくりの原動力、新しいセーフティーネットになりえると、ぼくは固く信じています。
住吉は大坂の核です。それは航海の神。住吉から、海から、大陸から、凡ゆるものが、大坂に齎されました。貿易、仏教、文化、物質、人物が、住吉大神の庇護の下に、大坂へと齎された。それが奈良や京都へと伝播して日本全国に広がっていった。
堺は日本最初の自治都市です。混沌混迷を極めた弱肉強食の戦国社会を生き抜くために考え出された商業主義コミュニティ。稚拙で、原始的なものでしたが、それでも「近代」へと繋がっていく、新しい秩序社会を例示して、それが大坂へと継承されていきました。
大坂のルーツを探ると「住吉」と「堺」に集約されていきます。ぼくは住吉生まれで堺育ち。もしかしたら大阪あそ歩のような仕事をするには、ええ環境に生まれ育ったかも・・・と思ってます。
京橋経済新聞さんに取材されました。ありがとうございます!感謝。
http://kyobashi.keizai.biz/headline/747/
大阪市内の各所を地元ガイド付きで巡るイベント「大阪あそ歩」で5月11日、都島のツアー「妖怪『ぬえ』が眠るまち・都島~鬼退治の勇将・渡辺綱伝説から鵺(ぬえ)塚まで~」が開催された。主催は「大阪あそ歩事務局」(大阪市中央区、TEL 06-6282-5930)。
大阪のまちの物語、ドラマ、面白さを知ってもらいたいという目的で昨年秋よりスタートした同イベント。「大阪はまちがほんまにおもしろい!」をキャッチフレーズに、今年の春は105コースのまち歩きを催行する。「105コースということもあって『平成の浪速百景』と銘打って開催。想像以上の人気で、予約率では100%を超えるほど」(大阪あそ歩アシスタントプロデューサー・陸奥賢さん)。
当日は、地下鉄都島駅をスタートし、都島神社、母恩寺、渡辺綱・駒つなぎの楠、都島和菓子・富久屋、なにわ刷毛・河合、鵺塚などを巡った。「羅生門の鬼退治で有名な勇将・渡辺綱の『駒つなぎの楠』や近衛天皇を苦しめていた鵺(ぬえ)の遺骸が流れ着いたという伝説が残る『鵺塚』など、都島にはミステリアスな物語が眠っている。その摩訶(まか)不思議な都島妖怪譚を巡るまち歩きを構成した」(陸奥さん)。当日の参加者は9人。それぞれがカメラ片手に地元ガイドの説明に耳を傾ける様子がうかがえた。
「歴史や妖怪ものが好きで、この都島ツアーに参加した。歴史的なことから現在の街のことまでいろいろ話を聞きながら散策でき、わたし一人ではなかなか行けないところも回れたのでとても良かった」と、西淀川区から参加した灰谷さん。他エリアのツアーも度々参加している阿倍野区在住の大滝さんは「スポットが駅からも近場で歩きやすかった。今回都島をこうして巡ってみて、全然知らなかったところもいろいろあるんだなと感じた」と感想を述べた。
「知っているようで知らないのが自分のまち。大阪のまちの面白さを多くの方に知ってもらいたい」と陸奥さん。「今後もコースは増えていく予定。今は春と秋を中心に催行しているが、通年化を模索したいと思っている」とも。今月18日には毛馬コース「水の底に消えた蕪村のふるさと・毛馬村~春風や 堤長うして 家遠し~」、同24日には網島コース「悪所くるひの身の果ては、南無網島の大長寺~『心中天の網島』の舞台を歩く~」を予定。
参加費は1,000円(コースによっては1,500円、2,000円などもあり)、所要時間=2~3時間(コース内容により異なる)。定員15人。