NHK ニューステラス関西 「大阪の魅力再発見ツアー」
http://www.nhk.or.jp/osaka-news/index.html
大阪あそ歩がご紹介されました。感謝!
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「隣に住むおばちゃん、キライやねん」
これはぼくはええことや思います。隣に住むおばちゃんがどんな人かは知りませんが、発言者とおばちゃんが個人的な交流をした結果であり、その体感、実感ですから。
しかし、このおばちゃんが例えば大阪人で、そこから発言者が「大阪人にはろくな奴はおらん」といった時、これは途方にくれますな。これは実感が元になっていたとしても「概念」「イメージ」ですから。あなたは全大阪人と付き合ったり、交流があるのですか?ということになります。
「いや、おれは大阪に30年住んで、大阪人の知人も1000人ぐらいいる。その大阪人はやな奴ばかりやった」
そう言い張ったとしても、それでも矢張り個人的体感には限界があり、「大阪人」を語るには圧倒的に情報が足りません。どこかで論理の飛躍があり、決めつけがあり、思い込みがあります。固定観念という奴です。
概念やイメージ、固定観念を改めさせるというのは、とても難しいことです。それは結局、その人間の知性によります。
知性のある人間ほど、新しい事実や経験、体感に対して、概念やイメージ、固定観念を柔軟に変化させて物事に対処することができる。受け入れる事ができる。
知性のない人間ほど、過去に自分自身が作った概念やイメージ、固定観念に囚われる。新しい事実や経験、体感を受け入れる事ができずに、物事を理解できない。
概念に囚われない。自由な、柔軟な知性を。以上は自戒です。
大阪の面白さは「多様性のまち」であることです。大阪のまちは、ほんまに、それぞれ、カラーがちゃいます。
「なんでかな?」とぼくも考えたんですが、まず大阪いうんは、もともとは摂津国・河内国・和泉国と三国から形成されてるんですな。また、摂津、河内、和泉の漢字を見て貰うとわかりますが、これはすべて「水」「海」に関連する言葉です。大阪は西に海を抱いているわけで、海は交易の拠点です。大阪は港町で、大陸文化の玄関口であり、いろんな人種、文化が、大阪のまちを出入りしました。
それで、海以外の方向・・・北、東、南の山のほうは、京都(北都)、奈良(南都)、高野山、熊野と、政治都市や、宗教都市が集積してるんです。そのいずれにも影響されて、また影響を与えて、大阪という都市は発展してきました。
複合的で、多面的で、重層構造。ひとことで「大阪のまちとはこうです」ということはなかなかいえません。しかし、それがおもしろい。「大阪あそ歩’10春」のまち歩きでは、そこを楽しんでください。要するに、できれば1回だけではなくて、2回、3回、4回と、いろんなまちのまち歩きに参加してください。「百花繚乱のまち」のおもしろさがありますから。
昨日に引き続いて宣伝でした(笑)
http://www.osaka-asobo.jp/
いよいよ明日から「大阪あそ歩’10春」です。
http://www.osaka-asobo.jp/
大阪いうんは、戦災で焼けてもうて、また戦後の高度経済成長のイケイケドンドンの乱開発で、都市景観はボロボロです。奈良、京都の寺社仏閣、神戸の異人館のようなハードは残ってません。残念なことですが。
しかし蓄積された「物語」は、日本最大のキャパシティを誇る都市や思てます。そもそも大阪は、日本有数の歴史都市なんですわ。例えば奈良・平城京(710)、京都・平安京(794)よりも古いのが大阪・難波宮(645)です。歴史が長い。歴史が長いいうことは、物語が豊富いうことです。
実際に、難波宮の時代には、難波宮から南北に「難波大道」いう朱雀大路みたいなんが作られたんですが、いまもそのライン上に「大道町」いうんが残ってたりします。道路は跡形もありません。地名、町名が残ってる。ハードはないけど、ソフトとして語り継がれている。「物語」が伝わっている。
大阪あそ歩は、そういう大阪のまちに眠る物語を体感しよういう遊びなんですな。ハードウェアの観光やおまへん。ソフトウェアの観光。これは、だから、非常に高尚で、知的なゲームです。なによりもイマジネーションが必要です。大阪あそ歩を楽しめるお客さんというんは、だから、非常に知的レベルが高い(笑)
でも大阪人は、もともと「形のないもん」を扱うんがうまいんですわ。大阪人が得意なもんはなんや?いうたら金融でっしゃろ?味覚でっしゃろ?笑いでっしゃろ?物語もそうです。大阪人にソフトを扱わせたら、そりゃあ、日本でいっちゃん、おもろいですわ。他都市に負けまへん。
大阪あそ歩は、そういう新しい観光です。いっぺん、参加してみてください。おもろいですから。ほまりますよ。ほんまに。
大阪日日新聞「澪標」のコラムです。
いよいよ「大阪あそ歩’10春」のホームページ(http://www.osaka-asobo.jp/)がオープンして予約受け付けを開始しました。4月10日から6月6日まで、大阪市内で105コースのまち歩きと、5プログラムのまち遊びを実施します。パンフも完成してJR、地下鉄、各私鉄の駅、大阪市の公共施設などで配布されますので、ぜひ手に取ってご覧ください。
さて、今回は、大阪あそ歩のまち歩きの中身についてお話しましょう。まず、大阪あそ歩のまち歩きには必ずコースマップが付きます。駅改札やバス停留所など、公共交通機関をスタート地点として、十数カ所のまち歩きスポットが、イラストと解説文で記されています。平均1コースは約2~3キロ程度で、徒歩約40分ほどの距離なのですが、大阪あそ歩では、このマップを片手に、ガイドさんの話を聞きながら、2時間から3時間ほどかけて、ぶらぶらと、まちを巡ります。
健康づくりのウオーキング企画などでは5キロ、15キロ、40キロ(!)をひたすら歩いたりしますが、大阪あそ歩は長距離は歩きません。またウオーキングは50人、100人、300人といった大人数の参加者を募集しますが、大阪あそ歩は15人定員です。
これはなぜか? といいますと、大阪あそ歩は「大阪のまちを体感する」ことを目的とするからです。大阪のまちの雰囲気を、色を、匂(にお)いを、音を、感じてほしい。そのためには、わずか2~3キロの距離を15人の少人数で、ガイドさんと一緒になって、じっくりと、ゆったりと、歩くことが必要になるわけです。しかし、こうすることで、確実に、まちの見え方が変わってきます。
残念ながら、いま、まちというのは、資本を消費するだけの空間になっています。例えばコンビニに行って商品をレジに差し出すと、「ピッ!」とバーコードを読み取られ、お金を差し出せば、一言も口を開かずに何でも買えてしまう。経済効率を最優先すると、まちに、人間らしい温かみが急速に失われていきます。
しかし大阪あそ歩では、まちに根付いた店を、まちのガイドさんと一緒に巡りますから、自然とそこに、ふれあいや交流、会話が生まれます。「なにしてんの?」「大阪あそ歩いうんでまち歩きのガイドしてんのや」「あ。そう。ところで○○、元気?」…。大阪あそ歩では、こうしたガイドさんとまちの方が、たわいのない会話を繰り広げるという光景が多々あるのですが、それを参加者が共有することで、まちの濃厚な物語が見えてくるのです。
まちというものは、本来は、こうした人間のふれあい(共同体=コミュニティー)で成立しているものなのですが、それが忘れ去られている現実があります。
しかし、大阪あそ歩に参加すると、まちに、コミュニティーに住む人々の息吹のようなものが感じとれて、そこが「おもしろい!」となるわけです。
このおもしろさは、なかなか言葉では伝えにくいものですが、一度、参加すると、それはもう病みつきになるぐらいおもしろいのです。
今日は廃仏毀釈の日です。正確には明治新政府が慶応4年3月13日(1868年4月5日)に出した「神仏判然令」。天皇の名の下に、神道を国教化しようという下準備で実施された愚行です。寺塔や伽藍、仏像、仏画、仏経典などを有無を言わさずに破却・焼却。とくに酷かったのが明治政府を主導した薩摩藩で、鹿児島にあった1616の寺院は、このとき、すべて破壊されて全滅した・・・といいますから恐ろしいですな。この世紀の蛮行のおかげで鹿児島県は、いま日本でももっとも文化財が少ない県です(ちなみに梅原猛氏などは「明治の廃仏毀釈がなければ現在の国宝は優に3倍はあったろう」と考察してます)。
寺院密集地域の奈良でも激しい廃仏毀釈運動が巻き起こりました。有名なのが奈良の興福寺の廃仏毀釈の話。興福寺といえば、藤原氏の氏寺で南都六宗・法相宗の大本山。これが明治新政府から送られてきた「今日から仏教は廃止。僧侶はクビ。春日大社の神官になれ」という、たった一通の手紙によって、みんな春日大社の神官に鞍替えしてしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA
いまユネスコの世界遺産認定で、国宝の五重塔も、一時期は25円で売られました。こんなのを買ってどうするのか?というと、なんと「薪」にするため。事実、興福寺の僧侶たちは、自分たちが長年、拝んでいた仏像を薪にして風呂を沸かして「仏風呂」なんていってたそうです。幸いなことに買い手が出なかったので五重塔は薪になることはなかったのですが、他の寺院は悉く「仏風呂」にされてしまい、ボロボロになった興福寺境内は、いま奈良公園です。あの鹿が群れをなしている広大な奈良公園は、廃仏毀釈によって崩壊した興福寺境内跡を整備して出来たものです。
兵隊に囲まれて信仰を捨てろといわれたわけでもなく、僧侶が殺されたわけでもなく、たった一通の政府の手紙で、自分たちの信仰対象である仏を捨てた興福寺。なんとも奇奇怪怪、摩訶不思議な話ですが、そういう風にして数多くの奈良の名刹・古刹が自滅してます。結局、明治新政府の権威・権力に奈良人は弱かったんでしょう。これは奈良人の性向かも知れません。
こういう廃仏毀釈に対して「アホちゃうか」と反逆したのが大阪人でした。大阪は日本仏教最初の官寺・四天王寺や蓮如上人ゆかりの大坂本願寺の歴史と伝統を有している日本でも有数の仏教都市で、かつ、お上のいうことには基本的にアンチテーゼですから(笑)中には住吉大社の神宮寺(※1)のように廃仏された例もあったようですが、それでも大阪人の多くは廃仏毀釈を鼻で笑いました。その証拠として大阪府は現在、日本で2番目に寺院が多い都道府県です(1位は愛知県4111。大阪府は2993で2位。3位は兵庫県2854。4位は東京都2672。5位は京都府2643。奈良は19位で1415)。大阪府は非常に狭い都道府県(愛知県は大阪府の2.7倍の大きさ。兵庫県は大阪府の4.6倍の大きさ)なので、面積比で考えれば「大阪こそが日本最大の仏教都市である」といっても何ら過言ではありません。
実際に、大阪のまちを歩いていて、ちょっとした路地裏に入ると唐突に、小さなお寺がひょっこりと顔を出します。廃仏毀釈や戦災を超えて、まちに根付いている。地蔵、祠なんかも非常に多いです。ぼくなんかは大阪のまちの面白さは寺の数の多さ、その多様性にあると思ってます。もっともっと、大阪の寺は着目されてええと思いますな。
(※1)島津藩の始祖・島津忠久公(父・源頼朝 母・丹後局)は住吉大社の境内で生まれ、また関ヶ原で負けて敵中突破をした島津義弘を無事に鹿児島まで船で送ったのも住吉と堺の町衆でした。江戸時代では参勤交代の折には、島津の歴代藩主は必ず住吉大社に参拝していて、住吉と薩摩は非常に縁が深い。住吉大社が神宮寺を廃仏毀釈したのも明治政府(薩摩)との特別の仲があったからでは?とぼくは推測してます。
兵庫・大輪田泊の岩椋です。兵庫津を開拓した平清盛時代のものか・・・と思いきや、なんと古墳時代のものとか。大輪田泊は天然の良港だったそうで、古代から栄えていたんですな。三韓、大陸、大和朝廷とを結んだ交易では、こうした岩椋で船を結びました。
面白いのが、大和田泊の「泊」(とまり)という言葉で、じつは「泊」というのは自然港のことだそうです。人為で改修した場合は「津」(つ)といいます。こういう「泊」というのは古代の大坂にはありません。難波津も、住吉津も、桑津も、猪飼津も、玉津も、敷津も、磯歯津も、木津も、すべて古代の大坂人や渡来人たちが、自らの力で改修した人工港でした。大阪というまちは、淀川、大和川という二大暴れ川を有してますから、有史以来、ずっと港の開発、改良の繰り返しの歴史でした。悪戦苦闘して港町、水都としての繁栄を築いたわけです。
兵庫、神戸は、そういう意味では非常に恵まれていました。しかし恵まれていたが故に、「港を整備していく」という重要性が、いまいち解らなかったのかも知れません。とくに戦後の関西国際空港の神戸港誘致反対と、その後の急転直下の神戸空港開港と失敗は、その歴史の哀しい証左ではないか?という気もしています。関西経済全体のことを考えると、非常に残念な結果でした。
大阪日日新聞記事より。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/100305/20100305027.html
大阪市の平松邦夫市長は2月27日、市内のまち歩きを楽しむ企画「大阪あそ歩」のガイドら11人を市役所に招き、「市民参加型の大阪の魅力発信について」をテーマに意見交換した。市民との直接対話でニーズを把握するとともに、市政への理解を深めてもらい、市民協働を基本とした市政運営を目指す「なにわ元気アップ会議」の一環。
「大阪あそ歩」は「大阪はまちがほんまに面白い」を合言葉に大阪市民と来訪者が一緒になってまち歩きを楽しむ企画。まちを愛する個性的なガイドとの対話が人気で、昨年25コースでスタートし、4月には105コースへと拡大する。
平松市長は「市民自らがガイドをすることは市民協働の精神と同じくするもの」と同企画の活動を歓迎し、市の重点施策としてサポートすると意欲を見せた。
ガイドからは「子供たちが参加しやすいようにしたい」「まちをよく知れば、自分たちのまちに誇りを持つようになる」「いろんな能力を持った人やものが複合的につながっていく」といった要望や意見が次々と出され、大阪のまちの資源の豊富さや可能性が再確認された。