日本万国博覧会公式ガイドを入手しました。
大阪万博の開催、モータリゼーションの影響で大阪は市電を廃止し、長堀川、西横堀川を埋め立てて四ツ橋を破壊し、水都を終わらせた。特に四ツ橋が残っておれば水都大阪の一大シンボルになっていたのに…と毎回、四ツ橋界隈をまち歩きするたびに無念に思っております。
同じことは船場を歩くたびに「御堂筋の拡張がなければ…」と思たりもするんですが。「大阪大空襲がなければ…」とかw
五輪や万博といった国家主導の超大型イベントは都市を大改造する。その大改造が一概に正しい、正解、都市の繁栄に繋がるとは限らない。
実際に大阪万博以降、大阪は「イベント体質」「国家依存」「政商化」が進み、大阪企業の東京移転が増え、経済的に没落していったのではないか?国家に隷属する、東京資本による大阪占領…という一面も大阪万博にあるのではないか?大阪万博の負の遺産。それも考えなくてはいけない。
1978年生まれの僕は「万博体験」してない。だから「万博幻想」もありまへん。
金夜オンライントーク全八夜。死生観光トランプも取り上げます。参加者募集中!浄土真宗若手僧侶グループワカゾーさんからのご依頼で産まれたのが死生観光トランプ。そもそも「死生観光」というのは僕の造語で、これには大阪七墓巡り復活プロジェクトが関係してます。僕の経験上、プロジェクトが次のプロジェクトに繋がる…というパターンは、良い流れです。「問い」が更新されることで、そういう流れになる。
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■金夜オンライントーク(全8回)陸奥賢さんの活動を聞いてみよう!⑥8/6(金)22時より「死生観光トランプとは?」
https://www.facebook.com/events/296344872076959/
大阪まち歩き大学。大阪城公園は、戦前は第四司令本部や砲兵工廠などがあり、西日本最大の陸軍基地であった。
かつては戦争の記憶が生々しくあり、「大阪城には行きたくない」という人が大勢いたとか。それが「太閤秀吉の大阪城イメージ」に塗り替えられるのは1983年の「大阪城築城400年祭」辺りから。大阪ビジネスパークの開発などもそれを後押しした。
「天下人」といった秀吉の「美名」で、戦争記憶を無くそうとしたというのが戦後大阪城のイメージ戦略。そのイメージ戦略は成功し、最近は「城テラス」「ミライザ」「御座船」なんていって海外の観光客も多かった(コロナでいない。だから過去形)。
本当に伝えるべき歴史は「帝國陸軍時代の大阪城」やと思いますな。画像は「大阪国防館跡」。隣に「真心碑」があり、これは女子防空通信隊のみなさんが建立した。
戦争末期は男性が少なく、10代後半〜20代前後の女性が通信隊として活動した。西日本各地からB29来襲の第一報が入ると大阪市内には僅か9分で到達した。この9分以内に敵機の種類、方角、数などの情報を整理して陸軍司令本部に送る。空襲警報の発令もここから。タイムラグもあるので、防空通信隊は5分以内にそれらの仕事をこなす必要があった。
大阪国防館は、こうした女子防空通信隊の宿舎だったが、大阪空襲により壊滅。いまは碑だけが残る。
大阪まち歩き大学。豊国神社。太閤秀吉像。ここにある若永神社は淀屋の屋敷神。伝説の豪商・淀屋の大阪にある唯一の遺構といわれている。