大阪の老舗喫茶では時折「エンゼル」と「キューピッド」を見かける。キューピッドは「カルピス+コーラ」。エンゼルは「カルピス+ミルク」。
おそらく「カルピス+ミルク」は森永の何かしらの商品(森永コーラス、森永ミルク、森永アイス、森永ヨーグルトなど)をイメージさせるような「甘さ」があり、森永といえば天使(エンゼル)マークなので、そこから「エンゼル」と呼ばれるようになったのではないか?と推測。
その後、カルピス+コーラがでてきたさいに白(カルピス)+黒(コーラ)の混合で、エンゼル(白)だけどイタズラ好き(黒)な存在として、それで「キューピッド」が命名されたのでないか?と推測します。
以上、陸奥説です。知らんけど。
まわしよみ新聞サミットin九州にて。今回のサミットでは事例紹介ということで北海道新聞さんの夜活まわしよみ新聞についてオンラインですが小林さんにご登壇頂きました。
過去5年間(2016年〜2021年)の実績は計42回開催で延べ参加人数は1014人、参加した企業・団体は110社を超えるとか。
参加者は20〜30代のビジネスパーソンで「異業種交流」が目的のひとつで、要するに「NIBまわしよみ新聞」となっています。
普段はあまり新聞を読まない、読んだことがないという世代だと思われますが、まわしよみ新聞をすると場は大いに盛り上がるし、いろんな交流が始まり、ビジネスマッチングで新規企画が立ち上がったり、「うちにこないか?」と引き抜き、スカウトなどもあるとか。
またサミットの中では言及はなかったですが僕は小林さんからは若い男女の出会いの場にもなっていて交際に発展したり、結婚したカップルも何組かいると聞いてますw
残念ながらコロナでここ2年間ぐらいはまともに活動できていないとのことですが、ぼちぼち再開しつつあるそうで今月には実施されるとか。ご興味ある方はぜひとも小林さんにご連絡ください。
個人的には、まわしよみ新聞のNIBの理想型が北海道新聞さんの夜活まわしよみ新聞ではないか?と思っています。願わくば日本全国の新聞社、自治体、企業のみなさんにこの取り組みを知ってもらって、NIBまわしよみ新聞をやってみて欲しいものです。
「知らんけど」という言葉が広まっているらしいが、これは誤解を生みやすい。大阪人の使う「知らんけど」は大阪の商い文化が背景にある。
江戸時代、大阪は日本最大の商都であった。時代によって多少の変動はあるが、都市人口は江戸100万都市、京30万都市、大坂30万都市といわれる。ただ人口の構成者の比率が違う。
江戸100万都市のうち半数が武士であったという。京は武士は少ないがお公家さんがようさんいる。大坂は武士も公家もいなかった。大坂30万都市のうち武士は(これまた時代によって変動するが。幕末は多い。薩摩・長州が不穏な動きをするようになり、どんどんと幕府の武士が増えていった。家茂、慶喜も大坂城に入城した)最も少ない時期では1500名ほどしかいなかったという。
人口30万都市で武士は1500名ということは比率でいえば0.5%。大坂人が100人集まっても武士は1人もいない。200人集まればようやく武士が1人いる…というぐらい武士という存在が稀な状況。
これは非常に特殊な状況で、江戸時代は日本全国に300藩あったといわれるが、大体、どこの地方にも藩があり、藩主がいて、藩士がいる。武士がいる。
しかし大阪は天領(幕府直轄地)で藩がない。藩主がいない。藩士もいない。大坂の都市運営、地方政治は武士ではなくて町衆の自治に任せていた。
そんな人口構成で出来ていた都市は日本の中で大坂以外にない。大坂は町人だらけ、商人だらけ、市井人だらけの都市であった。最も猥雑で、けったいな奴が多くて、意味不明な輩が多いまちw
そういう存在(他者)に慣れているし、受け止める優しさ、度量のようなものが大阪にはある。いまだにそうした都市の性格、気風、文化は根強い。一一、例は挙げないが、あちらこちらに見受けられる。
武士の権力、公家の権威がなかった稀有な町衆の都市。しかし商人は商人で、世の中を渡っていくための思想や哲学が必要であるし、独特の世界観、美学が涵養されていく。それが「粋」の文化、「粋」のマインドとなる。
「粋」は江戸では「イキ」と読むが、大坂では「スイ」と読む。江戸のイキの文化は、わかりやすくいえば「意気」であり、「己を貫く」というマインド(これはやはり武士由来のものだろう)が強いが、大坂の「スイ」は「推し量る」の意味で、これは「推理」に繋がる。
他人がいま何を考えて、どう行動し、何を必要としているか?を常に推理し、推し量り、それを先回りすることが大阪人には必須の能力となる。
これは、結局、商売人というのがそういうもんなんですな。いま必要なもの(ニーズ)を提供し、その要望にお答えするのは当然として、その次その次を考えていかないと商売は成立しない。生き残れない。
なんせ町人、市井の人というのは常に胡乱な存在ですから、流行とか、雰囲気とか、時代精神とか、風潮とか、移り気で、ブームで、コロコロとニーズが変わっていく。権力や権威のようなわかりやすい筋道がない。
目の前の人を見て、その人がいま何を欲していて、次に何が必要か?まで勝手に、いつのまにか、考える訓練が染みついている。推理して行動する能力が求められているし、大阪人は、そういう部分が、地方の人からみたら怖いぐらいに、恐ろしいぐらいに発達している。長けている。
さらに大阪人が凄いのは、その他者の行動心理を推理して、その欲しているところを、押しつけがましくなく提供するという高度すぎる技をもっているところ。要するに相手の行動を読むとはサトリ、サトラレではないですが、そんな妖怪、策謀家、権謀家みたいな人間と一緒にいては怖いのでw
だから大阪人は、相手のことを推理し、ニーズを推察するけれど、そんなことを毎回していると怖がられるので、それを中和するテクニックも最後に付け足しのように発動させる。それが「知らんけど」です。
相手と話をしているうちに、聞いている側は勝手に相手の状況を推察し、推理し、こういうことやろ、こうしたらええねんと先回りして、おせっかいを述べてしまい、そのおせっかいさの気持ち悪さのようなものも知っているので、結局、最終的に、どう行動するかはキミの自由なんやけど、でも、とりあえずワイはこう考えるけど、まぁ、あんたの好きなようにしーや…という非常に複雑な心理の動き、メビウスの輪のような言葉の綾が「知らんけど」になります。
超超高度な商売人テクニックが発露したのが「知らんけど」です。これをですね。そういう文化的な背景がない関東の人や地方の方が聞くと「単なる無責任発言」で一蹴されかねない。「武士に二言はない」みたいな人が使うとえらいことになります。
「知らんけど」が全国で使われるようになってるそうですが、また「大阪人の悪しき言語文化」として断罪されるんやないか?と、正直、危惧しております。知らんけど。
【熊本県】11/19、11/20と津奈木町でまち歩きフォトスゴロク、まわしよみ新聞・広報誌バージョンを実施します!^^
まち歩きフォトスゴロクは九州初上陸!
会津の福島県立博物館の企画で生まれ、中通りの白河市で完成し、浜通りのいわき市で揉まれた写真遊び+まち歩きツールです。ぜひともご参加してください~!^^
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町の人と外の人が交流しながら、足下を学ぶ 熊本県津奈木町の、津奈木型ツーリズム実践ツアーのラインナップが調いました。
11月にはなんと、大阪から陸奥賢さんもやってくる!しかもまち歩きフォトすごろく九州初上陸です!そうよ、まわし読み新聞ならぬ、まわし読み広報つなぎもやるんです!こちらは追って詳細をお届けします。
FBご覧の方、チラシのQRコードからフォームに飛んでお申し込みください。(役場への電話でもよいです)複数回参加される場合は、すみませんが、申込フォームを個別(ツアーごとに)送信くださいませ。
大阪には地方新聞がない(発行部数が少ない)問題。
戦前、大阪から誕生した新聞(朝日、毎日、産経)はみな東京に拠点を移して「中央新聞(中央紙)」になってしまった。
一応、地方新聞として位置づけられている新聞として大阪日日新聞があるが、日日さんは確かに頑張ってはりますが(僕の友人にも日日の記者さんがいます)発行部数は1万部もなく、本社は鳥取の新日本海新聞だったりする。
だから大阪日日新聞を読んでいると、やたらと鳥取、山陰の企業の広告などが多くて、それはそれで僕などは興味深いが、大阪の地方新聞の力不足を感じて悲哀でもある。
地方にいくと地方新聞がローカルなネタをちゃんと取材、発信して新規のコミュニティ・ビジネスやその担い手、若手、新人のインキュベーターのような役割を果たしている。地方新聞に載ると、それなりに地方に顔が知られて支援者、応援者がでてきたりする。ネットワークとして機能している。
なによりも地方政治に物申す存在として地方新聞の影響力は無視できない。例えば大阪の隣の京都には京都新聞35万部、神戸には神戸新聞41万部という大メディアがあり、それが議員や議会の不正や疑惑を追及する。地方新聞が見ているから緊張感もある。
大阪は地方新聞がないわりに映像メディア…テレビ、在阪メディアの影響力が非常に大きい。大きいが映像メディアというのは基本的に「煽情的なメディア」であり、ロゴス(論理)よりもパトス(情緒)に最も働きかけて訴えかけてくる。
新聞は「書き言葉(エクリチュール)」であるがゆえに、そこには一貫とした論理性が求められる。テレビ(映像メディア)は「話し言葉(パロール)」であるがゆえに、その話者のパーソナリティ、キャラクター、声量、声質、声色、タイミング、雰囲気で、いくらでも番組を制することができる。
テレビ(映像メディア)という煽情的メディアでは話の論理性や整合性などは二の次、三の次になってしまい、だから物申すテレビ・タレントの多くは、いってることがメチャクチャではあるが、場を制する技術、テクニックは非常に長けている。
新聞はアナログだから紙として残るし、ストックのメディアで、貯まっていくし、検証もできる。じっくりと考える素材となる。テレビはフローなメディアで、流れていくもので、じっくり物事を考えるには適していません。「いいっぱなし」で終わってしまう。
また大阪のテレビ局は日本のテレビ局の中でも一種、特殊な存在で「ローカル局(地方局)」でもないし「キー局(東京)」でもなくて「準キー局(大阪)」と呼ばれている。
要するに資本関係は東京(キー局)に牛耳られているが、大阪独自の番組を作る予算や実力がそれなりに認められている。だから大阪発信の大阪テレビ番組というのが地方、ローカルに比べると格段に多い(それもどんどんと予算を削られて厳しくなっていますが…)
大阪の地方政治が、どうも「非論理的」で「煽情的」であるのは大阪に有力な地方新聞がないこと。それでいて在阪メディアは多くて、やたらとお茶の間に浸透している…という二重のメディア構造の問題と、その影響が大きい。
大阪政治の特殊性というか、維新一強が東京や地方の方には疑問、不思議、謎に思われるらしいが、それもごもっともで東京や地方にいては、この「地方新聞の無力+在阪メディアの影響力」という大阪特有のメディア構造がよくわからない。
メディアこそが民主主義の要で、そこが歪んでいると、自然と政治も歪むということです。
ちなみに、この大阪特有のメディア構造が問題だなと僕が気づいたのは2010年頃、大阪あそ歩プロデューサー時代のことで。当時、大阪日日新聞さんで毎週、あそ歩の150コースのまち歩きマップを紹介する連載を持ち、その時に日日さんに発行部数を聞いて、そのあまりの発行部数の少なさに愕然としたんですな。
それで自分たちで、大阪発信の、新しい地方新聞、メディアを作ることができないか?と考えて陸奥賢が生み出したメディア遊びがまわしよみ新聞だったりします。
まわしよみ新聞が生まれる背景には、こういう問題意識もありました。ポッと出たように見えて(ポッと出たんですがw)、そこに至るまでには、いろんな問題意識、狙い、思考が錯綜して、まわしよみ新聞というのは生まれてます。
【福岡県+オンライン参加可能!】西日本新聞社さんでまわしよみ新聞サミットです!
先だって北海道新聞の小林さん、西日本新聞の二島さん、津屋崎の福井さんとオンライン打ち合わせしました。みなさんの実践報告がやはり面白い!
とくに小林さんのNIBのご報告は唸りました。面白い動きになっていくのは、それなりの仕掛けや仕組みがちゃんと準備されているんだなと改めて再認識。
ぜひともご参加ください!これは勉強になります!w
本日は奈良・生駒へ!生駒ふるさとミュージアムで講師。まちの情報発信について。
大阪まち歩き大学の取り組みや北船場将棋、まち歩きフォトスゴロクなどについて語る。
肩甲骨の凝りに良いエレキバンがないか?と探していたらブラジャーやキャミソールに装着するエレキバンを発見してそうかついに俺も女装デビューか…と黄昏れました。
【まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント】昨日、應典院で実施しました。秋田光軌さん、釋大智さん、中平了悟さん、陸奥賢の4人で10周年のふりかえりトーク。
「お坊さん、お坊さん、お坊さん、僕」という随分と偏った(?)布陣に思えますが、まわしよみ新聞が生まれた背景を探ろうと考えたら結果として、こういう形になりました。
まわしよみ新聞は浄土宗寺院・應典院コモンズフェスタから派生したもので、僕自身の出自(在家法華教団・霊友会3世の成れの果てw)も重なって、じつは宗教的な場作り、対話作りのメソッド、テクニック、技法のようなものが随所にみられる。
「ファシリテーションしない」「場に任せる」「他者に委ねる」という、かなりリスキーなコミュニケーション・デザイン、怖い構造をしていて、それでいて自然と治まるところに治まる。とくにお寺でやるといいカタチに治まるw
こういう「場」「偶然性」「直観」「遊び」「他者」「声」といった要素が複雑に絡まりあっていて知性、身体性というよりも「霊性のワークショップ」である…というのがまわしよみ新聞の核ではないか?というのがトークの骨子でした。
普段のまわしよみ新聞のサミットなどでは「まわしよみ新聞は新聞の魅力再発見につながる」「雑談力=営業力に使える」「アクティブ・ラーニングのツールにいい」「アイスブレイクにもってこい」といった「活用法」「実用法」について話が展開していくのですが、まわしよみ新聞の「背景」「思想」「哲学」などを探るトークはあまりやってないのでw 個人的には、いい時間になったように思います。
そして、ここまで話を深堀りできたのは、やはりご登壇いただいた「イキのいい」(秋田光彦住職のお言葉よりw)お坊さん、御三名のおかげです。深い言葉をいろいろと頂きましたし、いくつかのキーワードに「なるほど…!」とうなりました。またじっくりと考えていこうと思います。
10周年は長いようで短いようで、コロナの空白の3年間もあり、ほんまに10年もやってるのか?と自分自身で時間間隔がよくわからないのですが、ただ単なるお寺の文化祭のための一企画が、まさかここまで世間に広まり、浸透し、展開し、物語になるとは思わなかった。いろんな方の人生に影響を与えている。まわしよみ新聞をキッカケに結婚した人までいる。なによりも僕の人生を劇的に変えました。感謝しかありません。幸せなことです。ありがとうございます。
トークは應典院の生みの親・秋田光彦住職にもご参加頂きました。ご感想をシェアします。秋田住職からはお祝いのビールとw 今回の素晴らしい場と時間をご提供頂きました。重ねて感謝の意を。本当にありがとうございます。
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まわしよみ新聞は、2012年應典院で誕生した。東日本大震災の翌年である。日本人が無常とか刹那を察し、コミュニティへの危機や関心を高めた頃だ。営々と築いてきた共同体がいとも容易く崩壊し、どう再建していくのかも重大な課題であったが、一番心を向けたのが眼前から喪われた無数の死者との関係をどう取り結ぶのか、であった。その一つの回路として、まわしよみ新聞が生まれた意味は大きい。
今日、まわしよみ新聞10周年の集いで、創始者の陸奥賢さんが、全国いろんな会場で実施するが、「お寺との相性が一番いい」といったのは腑に落ちる。というか、それがまわしよみ新聞が「霊性のワークショップ」(陸奥さん)である所以であろう。新聞教育の手法にだけ陥ってはならないとも思う。
もう一つまわしよみ新聞が10年続いたわけは、拠点を持たず、定着しないことを貫いたからだ。経験的に私は知っているが、場は長く続くほど硬直していく。お馴染みさんという妙なヌシが現れて自由度が損なわれる。私は25年間、幾度となく場をつくっては壊してきたが、それは場を守る唯一の法則だからだ。
まわしよみ新聞は特定の拠点を持たない。絶えず落ち着かない。陸奥さんが全国各地を流離うように、この新聞はあり方自体がノマド(漂泊者)なのだ。無頼のメディアというにふさわしい。
対話者のイキのいい僧侶が陸奥さんと3名並んだ。何で10周年でお坊さんなのか、まわしよみ新聞がそもそも宗教性のメディアなのだということが語らいからよくわかった。
また本当に久しぶりにこういう場に再会した。声が空気に響き、気づきや発見や納得が腹に落ちるという感覚は、私にとって本当に愉悦であった。延々4時間を並走した参加者の知力・体力にも感心する。
オンラインからそろそろ卒業しよう。ゆっくりでいいから、本当の場の再生に向けて歩き出そう。そう願う。