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昨日はながおか史遊会さんの企画でコモンズ・デザインについて語る会を実施

2022 年 3 月 15 日 Comments off

昨日はながおか史遊会さんの企画でコモンズ・デザインについて語る会を実施。
「猫田クンでもわかるぐらい簡単に45分ぐらいでコモンズ・デザインとは何か?を語ってほしい」という凄いムチャブリ、無理難題を頂きましてww もうエイヤッ!とざっくりと暴論をやってしまいましたが、なんとなくみなさんに伝わったようでよかったですw

明治6年の地租改正によってコモンズ(入会地、共有地)が、いまの日本から無くなっているのでコモンズという概念が非常に伝わりにくい。わかりにくい。でもあーだこーだと話をすると、なんとなく朧気ながらでもコモンズの重要性、必要性、可能性がわかってくる。

コミュニティとコミュニティの「あいま」にある、「他者」が逍遥する場や空間や時間。そういうものがないと世の中、非常にまずいし、きついし、面白くないw 

こうしたコモンズの復権、復活、再興を提唱している人も世の中には多少はいますが、実際に「コモンズを作ろう!」と動いている人はほんまに少ない。ようわからん「遊びの仕組み」を作って誰が使うかわからんがオープンソースでバラまいてる…という意味不明な社会実験を繰り返している人は、まぁ、陸奥賢以外には見たことないw 気がつけば、こうなっていた…という感じですが。

しかし石崎さんが2人目のコモンズ・デザイナー宣言者ですから。おもろいこと期待しております!w

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私、日本で2人目(←自称)のコモンズ・デザイナー ですが、元祖・本家である陸奥 賢さんから「コモンズ・デザイン」について学ぶ機会(byながおか史遊会)がありました。

明治初期のコモンズ破壊(地租改正)から、現在に至るコミュニティー破壊(市町村合併)、ナショナリズム、格差社会、再生・回帰を図ったコミュニティーの閉鎖的構造…といった歴史的背景から コモンズ・デザインの意義を語る刺激的な内容でした。

陸奥さんのことを ただ遊んでいるだけの人だと思っていました(←こら)が、
場づくりは、楽しそうでないと、遊び(の仕組み、仕掛け)じゃないと広まらない、ソフト・消費財であれば いくらでも展開できる、そんな言葉に共感。

私が いま 仕事でしていること、まちに関わってしていることに確信を持てました。そして、「コミュニティー」「まちづくり」という言葉に対して持っている少なからぬ違和感にも


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【カリグラシマガジン】「陸奥賢さんと梅田のまち歩き辞典をつくろう!」第4弾

2022 年 3 月 15 日 Comments off

【カリグラシマガジン】「陸奥賢さんと梅田のまち歩き辞典をつくろう!」の連載をやっております!梅田界隈のまちネタをいろいろとご紹介。第4弾です!よろしければご笑覧くださいー!( ´ ▽ ` )


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【カリグラシマガジン】「陸奥賢さんと梅田のまち歩き辞典をつくろう!」シリーズ

2022 年 3 月 15 日 Comments off

【カリグラシマガジン】「陸奥賢さんと梅田のまち歩き辞典をつくろう!」シリーズは以下で見れます。

阿呆陀羅経
梅田墓地
牛の藪入り
圓頓寺のサギ
屋上ビアガーデン
大阪タワーとゴモラ
大阪駅の初代駅長
怪盗イナズマ小僧
空中庭園大明神
渋谷ビール
ソーライス
タレベン
大日本ドケチ教
谷三兄弟
兎我野の鹿
ナマズ稲荷
菜種御殿
歯神社
ワールド
王仁博士

などなど。気になるのがあればぜひともチェックしてみてください!m(_ _)m


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『もんくもん』「歌垣風呂@住吉区朝日温泉」

2022 年 3 月 15 日 Comments off

【読売テレビ・YTV】先だって放映された『もんくもん』での「歌垣風呂@住吉区朝日温泉」ですが、インターネットでも放映が可能です!以下のサイトから視聴できます。48分ぐらいから。よろしければご視聴ください~m(_ _)m




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【神奈川県】森ノオトさん主催でまわしよみ新聞が発行されました

2022 年 3 月 15 日 Comments off

【神奈川県】森ノオトさん主催でまわしよみ新聞が発行されました^^ ありがとうございます~!次回は3/19だそうです。ぜひともご参加してください~!m(_ _)m


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EBUNEは大阪にも来る予定です

2022 年 3 月 14 日 Comments off

瀬戸芸「家船」から出航した全国の作家集団「EBUNE」。

https://ebune.net/

EBUNEの荒木さんにお悩み相談されて、ちょっとだけ協力というか、直観が閃いて、淡路島アートセンターのみなさん(くにちゃん、淡路島アートセンターのみなさん、ほんまにおおきにです!m(_ _)m)と荒木さんをお繋げしたら、あれよあれよとカオス(w)なことになっていった…という経緯のお話。

EBUNEは大阪にも来る予定です。期待しております!

■EBUNE淡路島漂着ー資料に見る制作200日の記録

https://note.com/ebune/n/n3f07920f684b

2020年1月25日
KOURYOUは女木島に仮置きしている作品の保管場所と、次の漂着会場を探していた。観光家の陸奥賢さんに大阪案内をしていただいている際に相談した所、淡路島アートセンター(1)の常任理事やまぐちくにこさんをご紹介いただく。


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大阪まち歩き大学。小路まち歩き。清見原神社

2022 年 3 月 14 日 Comments off

大阪まち歩き大学。小路まち歩き。清見原神社。御祭神は天武天皇。

社伝では天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際に当地に立ち寄ったとか。浄御原から清見原へということですな。

また当地で天武天皇は吉野方面を仰ぎ見たそうで、その故事から付近には「吉野見」という地名ができたという。

この神社は陸軍大将の大迫尚道が揮毫した標柱(宣揚文)や難波利三先生の玉垣などがあって面白い。神社を巡る楽しみのひとつは玉垣で、なんとなく玉垣を眺めていると、その地域の特性が見えてきます。同じ姓がズラッと並んでいると、地域の有力者の一族なのかな?と推測できるし、同じジャンルの会社が並んでいたりすると、地域の産業なども朧気ながらわかってくる。

神社の玉垣に匹敵して重要なのが寺院の墓。神社の玉垣と寺院の墓は地域の先人や文化や物語を現代に伝えてくれる。教えてくれる。まち歩きには欠かせませんw



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四天王寺まち歩き。一乗院。

2022 年 2 月 20 日 Comments off

四天王寺まち歩き。一乗院。こちらは伝教大師を奉る。金属供出で銅像が無くなり、大阪大空襲で焼失したが、近年、再建された。

聖徳太子は天台宗の根本経典である『法華経』について、日本で初めての解説書(法華経義疏)を著した人物。さらに最澄さんは聖徳太子は中国の天台宗開祖である天台智顗の師匠・南嶽慧思(515〜577)の生まれ変わりであると固く信じ込んでいた。

太子の転生伝説が興味深いのは、どうもこの伝説は日本発ではなくて中国発のものであること。慧思という人は天台本覚思想(衆生は誰でも仏になれる)と弥勒下生信仰(弥勒菩薩は未来世ではなく今生に現れて衆生を救済する)を広めた人であるそうで、それが現世への生まれ変わりの思想となったのかもしれない。

要するに慧思伝説が中国から遠く日本にやってきて、太子伝説と結びついたようなところがある。あの鑑真(688〜763)が、わざわざ日本にやってきたのも、この慧思伝説を信じたから…というような説もある。

なので最澄さんが慧思伝説=太子伝説を信じるのもわかるし、また、いまは四天王寺は和宗総本山であるが、戦前までは天台宗寺院であった。四天王寺に最澄さんのお堂があるのは、そういう意味でも至極当然。

ちなみに、面白いというとアレですが、聖徳太子は敏達天皇3年(574)に生まれて、推古天皇30年(622)に亡くなったとされるから、慧思がまだ生きてるうちに太子は生まれてるんですが、まあ、そういう細かいことは抜きや。信じるいうんはそういうこと。

四天王寺は、古代大阪(上町台地)は、日本からだけ見ててもわからんいうことです。大陸から、半島からみな、わからん。港町ですからな。そして想像以上に古代のアジア・ネットワークは盛んで、いろんな情報、文化、文物、信仰、宗教、人物が行き来していた。平安時代は山背は、ひきこもりの時代(だから国風文化が栄えるわけですが)に突入していくw それ以前の日本は、大阪は、実に国際的で、ダイナミックな時代だった。


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陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局の官僚でしたが大正7年(1918)に突如、東京から宇治山田市(現・伊勢市)に移転して宇治山田市役所に書記として勤務する。

2022 年 1 月 27 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局の官僚でしたが大正7年(1918)に突如、東京から宇治山田市(現・伊勢市)に移転して宇治山田市役所に書記として勤務する。

「一体、利宗は、どういう経緯で宇治山田に…?」と長年の謎であったのですが、大正6年(1917)4月に宇治山田市長となった渡邊新太郎が、じつは元・大蔵省専売局の副参事で、利宗の函館専売局時代の上司であった!という事実がわかり、おそらく渡邊新太郎市長に呼ばれたのであろうと推測できました。

ところが渡邊新太郎という人物も調べてみると、元は福井県士族で宇治山田の人ではない。「一体、誰が渡邊新太郎を宇治山田に…?」と思って『伊勢市史』を調べたらキーパーソンが出てきました。宇治山田市出身で当時、大蔵省専売局参事であったという池田敬八です。

この池田敬八は、のちに衆議院議員にもなり、宇治山田市の地元では尾崎行雄よりも人気(得票)があったという大物政治家になります。また1931年には宇治山田市長にもなっている。以上、ウィキペディア情報ですw

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%95%AC%E5%85%AB

では「なぜ池田敬八がわざわざ福井県士族の渡邊新太郎を宇治山田市長に呼んできた?」ですが、これまた『伊勢市史』を調べてみると、渡邊新太郎市長の前市長となる福地由廉時代の市政の混乱、不祥事が原因というのがわかりました。

じつは福地市長時代の大正5年(1916)11月に、宇治山田市役所の収入役が8650円という公金横領を起こした後に投身自殺をするという大事件を起こし、その責任で福地市長が市会と対立し、辞任したようです。

宇治山田市政は大混乱となり、その再建のために宇治山田市出身の大蔵省専売局参事の池田敬八が市政に乗り出すことになり、部下である大蔵省副参事の渡邊新太郎を公金横領事件翌年の大正6年(1917)に宇治山田市長として送り込んだ。そして渡邊新太郎の部下として東京にいた利宗が抜擢され、その翌年(1918)に宇治山田市役所で勤務することになった。池田敬八→渡邊新太郎→陸奥利宗ライン。

まさか公金横領事件の後始末といいますか、宇治山田市政再建のために大蔵省専売局人脈が動いていたとは思わなかった…。ドラマチックすぎるがな…。

ちなみに宇治山田市長は渡邊新太郎(1917~1921)→岸本康通(1921~1924)→澤瀉久富(1924~1926)と続き、また福地由廉(1926~1931)が返り咲きます。利宗は1917年~1928年まで宇治山田市役所に勤務し、書記から主事となりますが、福地市長時代に辞任している。まだ48歳。その後の経歴が、いまいちわからない…w

まだまだ、ぼちぼち、リサーチを続けます。


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『職員録』などから曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局で働いていたことがわかりましたが、函館勤務時代(明治44・1911~大正2・1913)の上司が福井県士族出身の渡邊新太郎。

2022 年 1 月 25 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。地道にリサーチを続けておりますw 

『職員録』などから曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局で働いていたことがわかりましたが、函館勤務時代(明治44・1911~大正2・1913)の上司が福井県士族出身の渡邊新太郎。

この渡邊新太郎が大正6年(1917)4月に専売局副参事から宇治山田市長となり、その翌年の大正7年(1918)から利宗が宇治山田市役所で勤務する…という流れがわかりました。

利宗を東京から宇治山田に呼びよせたのは、おそらくは渡邊新太郎市長でしょう。大蔵省専売局は日本全国各地に支局を持ち、戦前は支局長などが地方行政に多大な影響を及ぼし、かなりの権力を握っていたようです。

利宗の人生をリサーチしていると戦前日本の行政統治システムがなんとなくわかってきましたw なんでも調べてみるもんですなあ。


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