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‘雑感’ カテゴリーのアーカイブ

詩的な、余りに詩的な!

2011 年 9 月 7 日 Comments off



※画像は花巻市の「羅須地人協会」です。

「詩は歴史性に対して垂直に立つ」とは稲垣足穂の名言ですが、それを見事に具現化した天才詩人が、ぼくは宮沢賢治だと思ってます。

また賢治は上昇する角度が半端ないです。鳥や飛行機のそれではない。ペンシルロケットのように、どこまでも、まっすぐに、垂直に、飛翔していく。

「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」
(宮沢賢治『農民芸術概論』)

詩的な、余りに詩的な!


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大背美流れ

2011 年 9 月 5 日 Comments off

「捕鯨のまち」として世界的に有名な太地町ですが「大背美流れ」の話はあまり知られてません。

明治11年(1879)はものすごい不漁の年で、このままでは年が越せない・・・と焦った鯨方が「背美の子連れは夢にも見るな」という古くからの伝承を無視して子連れの鯨を狙いました。すると鯨は凄まじい勢いで大暴れを始め、鯨方は真冬の朝4時から翌朝10時まで、なんと30時間にも及ぶ激闘を繰り広げ、ようやくしとめることができました。ところが精根尽き果てた鯨方は鯨を曳きながら帰港することができない。それどころかどんどんと船が沖に流されてしまう。生き残るためには仕方ないと泣く泣く鯨を切り離し、しかし、それでも漕ぎ出すことができず、船はすべて漂流。

結果として出港7日目に奇跡的に伊豆に流れ着いた8名を含め、生存者はわずか13名。餓死12名、行方不明89名を出すという未曾有の大惨事になりました。当時の太地鯨方は総勢184名で、突如100名以上の鯨方を失った太地は「死の村」と化し、海に向かって母や妻たちが狂ったように幾日も泣き叫んで走り回ったといいます。これが俗にいう「大背美流れ」で、このとき太地の古式捕鯨の伝統は潰えました。

いまの太地の鯨方は大背美流れの犠牲者の子孫たちです。一度、「死の村」と化し、そこから血の滲むような努力をして近代捕鯨のまちとして蘇った。こういう背景を知らないと、太地町の人たちの捕鯨にかける想いは理解できません。


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大阪は古代都市

2011 年 8 月 24 日 Comments off

大阪文化財研究所のNさんの話。
http://www.occpa.or.jp/

現在、日本全国の研究機関で保管されている埋蔵文化財の出土品は約630万箱(出土品量を60cm×40cm×15cmの箱で換算するとか)やそうですが、考古学も進化し続けてまして、いまや年間、約30万箱づつ増加しているとか。

面白いのが日本最大の出土遺物量が多いのが実は大阪で約87万箱。次が福岡で約49万箱。その次が千葉で33万箱。京都27万箱、兵庫23万箱・・・と続くそうです。大阪の出土品の量は、紛れもなく、この土地の古さと歴史と文化の厚みを物語ってます。出雲とか伊勢とか奈良とか出土品は意外にも少ないとか。

大阪は古代都市。しかし、そういうイメージで大阪を捉える人がほとんどいない。残念なことです。


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金夜オンライントーク

2011 年 8 月 22 日 Comments off

金夜オンライントーク①大阪七墓巡り復活プロジェクトについて

https://youtu.be/eI1ZZC8UTpc

金夜オンライントーク②まわしよみ新聞について

https://youtu.be/bRL2RS1sMhI

金夜オンライントーク③直観讀みブックマーカーについて

https://youtu.be/6Ybz5NLGxUE

金夜オンライントーク④当事者研究スゴロクについて

https://youtu.be/tyOYN0vu6hc

金夜オンライントーク⑤歌垣風呂について

https://youtu.be/ovw6eixZdTo

金夜オンライントーク⑥死生観光トランプについて

https://youtu.be/omJD5iQVJto

金夜オンライントーク⑦大阪まち歩き大学について

https://youtu.be/a0d8P8ei5Xw


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健全な植物や動物の社会が成り立つ鍵は「多様性の維持」にある

2011 年 8 月 22 日 Comments off

健全な植物や動物の社会が成り立つ鍵は「多様性の維持」にある。

イギリスの生物学者チャールズ・エルトンの言葉です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/チャールズ・エルトン

これは何も動植物の世界だけに限らず、人間社会においても全く同じ事で、多様性の獲得によってこそ、その社会は持続発展が可能です。

ぼくがアホみたいにまち歩きコースを作るのは、それが大阪のまちの多様性を顕在化させる手段であるからで、そうやって大阪のまちの多様性を認め合って、許容しあって、楽しむことに繋げて、それが現在の大阪のまちが抱える諸問題(これは大阪のみならず、全国各地の都市が抱える、日本社会全体が内包する閉塞的構造なんですが)を打破する、最も有効的な方法論であるから。

ローカリティ、マイノリティこそが、社会全体の価値を底上げします。ぼくの仕事とは、そういった多様性の獲得であり、Diversity Managementに他なりません。また有り難いことに、大阪のまちには、歴史や文化や宗教や物語やナンセンスや落書きや妖怪や曖昧模糊やトマソンや魑魅魍魎やハプニングや複雑怪奇やらが、わんさかあるんですなww もう百花繚乱咲き乱れていて、その「豊潤さ」に頭がクラクラします。

ネタには困らない。ほんとに困りません。ただ、書く時間がないww


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高野山は挫折したことがない

2011 年 8 月 21 日 Comments off

高野山は挫折したことがない宗教なんですな。信長は比叡山は焼き討ちしましたが、高野山はその直前に本能寺の変で横死。山奥ですから太平洋戦争の空襲にも遭わなかった。空海の時代から1200年間、何人にも犯されずに法燈を守り続けている。ぼくは高野山の立地の場所が正解だったと思ってます。世俗、権力が入るにはあまりにも山奥過ぎる。空海の宗教的スタンスを感じます。世人とは隔絶した、超人、天才の宗教。


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大阪・八尾 物部守屋墓所(物部守屋大墳墓) 玉垣

2011 年 8 月 17 日 Comments off



大阪・八尾にある物部守屋の墓。国道25号線沿いで、これは昔でいえば竜田越奈良街道になります。ここからまっすぐ西に向かえば四天王寺で、東に向かえば法隆寺です。



じつは、この守屋の墓で注目してほしいのが玉垣です。日本全国の大社・神社が玉垣を寄進してるんですな。神社本庁(伊勢神宮)から住吉大社、大鳥大社、熊野那智大社、石上神宮、伏見稲荷神社、春日大社、八坂神社、多賀大社、宗像大社、諏訪大社、太宰府天満宮、平安神宮、方違神社・・・これ、はじめてみたときは、あまりの衝撃で絶句しました。単なる神道派の豪族という扱いではないです。まるで神道を統べる古代の祭祀王のような・・・。

物部守屋とは一体なにものだったのか?蘇我・物部戦争とは一体なんだったのか?大阪はこういうのが平然と転がってるから怖いですな。深い。


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今日的な京都の性格と特性

2011 年 8 月 17 日 Comments off

明治維新で京都は死にました。天皇家が東京に遷都した時点で、京都の歴史的意義は終焉を迎えたわけです。

現在の祇園祭の巡行のさいに長刀鉾は決して「御所」の方角に刃を向けません。祇園祭とは天皇家を中心とした怨霊払いの祭礼であるからです。とある鉾の保存会の人に取材したときに、その人はそれをいかにも自慢のようにいったりもしました。 ぼくもはじめて聞いたときは思わず「へ~」と感心したんですが、しかし、よくよく考えると、これ、おかしいんです。というのも御所の方角にはすでに天皇家はいません。天皇陛下は東京にいます。京都から東京は東の方向にあって長刀鉾は東の方角にも刃を向けます。長刀鉾は御所には刃を向けませんが天皇家に刃を向けていることになります。しかし、そういうことを誰も口に出していわない。見てないふりをする。なんだか、不思議な話だなと思ってますが、京都というのはそういう生き方を選んだ都市で、これはこれでぼくはスゴイことだと思ってます。

御所は春と秋に一般公開をしまして、それを見に行ったこともあるんですが、「主のいない宮殿」のなんとうつろなことか。要するに京都という町のど真ん中(御所)は「真空」でして。なにもない。からっぽ。祇園祭のあのすさまじい巨大な熱狂の渦。エネルギー。その中心が「空」であること。「無」であること。ぼくはここに京都という都市のすごさ、恐ろしさを見出します。ある意味で、京都の人は常に「危機意識」をもっています。「千年王都の虚像」を必死に追っている。天皇家(東京)は変わっていくのに、京都は変わらない。変われない、とも言い換えることができますが。

時代祭ってのは明治維新以後にできました。天皇家が去って京都は見るも無残な精神的ショックをうけて、このままではいけない、「第2の奈良になるな!」(ほんとにそういったらしいですww)とシュプレコールを上げて「時代祭」という奇妙奇天烈な懐古主義の祭礼をはじめた。はっきりいえばコスプレ大会のような祭りなんですが、100年たって、いまでは葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭の座を占めています。集客数も10万人以上に及ぶとか(個人的にはこれを京都三大祭ということに大いに抵抗を覚えてますが…)。「危機意識」「天皇コンプレックス」が時代祭を生んで平成の現在になっても京都の「まちづくり」を育んでいる。ぼくは京都は御所が「からっぽ」である限り、発展し続けると思ってます。なまじっか京都に天皇家が帰ってきたら、ある意味では現在のユニークな京都文化は終わるでしょう。安心して、安住して、歩みを止めます。「完成された都市」は斜陽化して没落していきます。完成していない、未完の都市だからでこそ未来に向かって発展していく。

御所がブラックホールのように、あらゆるエネルギーを吸い込んで、しかも満たされることがない。そんな都市構造が、今日的な京都の性格と特性を作ってます。


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四天王寺 盂蘭盆会万燈供養会にて 「大阪は日本最大の宗教都市です」

2011 年 8 月 16 日 Comments off



大阪は「日本最大の宗教都市」です。

2005年度に文化庁が発行した「宗教年鑑」によると、日本全国​の都道府県で、もっとも寺社の数が多いのは愛知県(4844)で​すが、2位にランクインするのがじつは大阪府(3402)。3位​にランクインするのが兵庫県(3319)で、町のあちこちに寺社​が立ち並んでいるイメージの京都府が、実は5位(3102)で大​阪、兵庫のほうが寺社の数が多いことは、あまり知られていない事​実です。

さらに「都道府県の面積比」で考えれば兵庫県(3319寺院 県​面積8393km²)、愛知県(4844寺院 県面積5162k​m²)、京都府(3102寺院 府面積4612km²)、大阪府​(3402寺院 府面積1896km²)・・・兵庫や愛知、京都​の広大な面積と比べると、いかに大阪が狭い府面積のわりに、寺社​の数が突出しているのかが、よう解ります。ぼくが 「日本最大の宗教都市は大阪である!」と熱弁しても、あながち過言でも虚言でもないわけです(笑)

寺院で開催される最も大きな宗教祭事のひとつが「盂蘭盆会​」(お盆)。これは先祖や、自分より先に死んでしまった人たち(​無縁仏を含めて)を敬い、慈しみ、感謝しようというもの。得て​して大阪人というと「阪神」「粉もん」「お笑い」好きのコテコテ​のラテン民族、「安けりゃなんでもいい」の拝金主義といった妙な​パブリック・イメージがあるようですが、実はとても敬虔で、真摯​で、誠実な、慎み深い、宗教民族なのだと僕は思っています。

画像は四天王寺さんの盂蘭盆会万燈供養会。


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昨日は「大阪七墓参り」ご参加ありがとうございました

2011 年 8 月 16 日 Comments off

昨日は「大阪七墓参り」ご参加ありがとうございました。しかし、6時から11時半までで、大幅にタイムスケジュールが遅れました。ほんとうにごめんなさい。

大阪七墓参りは、「都市民俗学」ではなくて「都市民俗を継承する」という、日本の民俗学史上に、かつてなかった、エポックメイキングな出来事でした。学問として、民俗学をやる人は世の中にいっぱいいます。村の祭りを調べたり、寄り合いを見たりという人は。しかし柳田も折口も宮本さんも、基本的には「傍観者」であって「当事者」ではないんです。死体解剖みたいな民俗学は、ぼくは興味がなくて、ぼくらこそが主役となって、生きている都市民俗をやれるなず、と思ったし、やりたかった。その願いは適いました。ほんとうにありがとうございました。

七墓参りは、大阪が産んだ都市文化、都市遊戯として、これからもやっていきます。そのうち肝試しでも、デートコースにでも、なればいい!と本気で思ってます。フォロワーが生まれて、みんなが銘々にやりだせば、成功です。庶民ってそういうもんです。自由で、雑多で、カオスで、面白い。「おれならこういう風に七墓を参るぜ!」みたいな余裕と遊びが生まれてほしい。じつに大阪的です。

とりとめのないメッセージになりました。とにかく無事に終わってよかったと思ってます。また大阪のまちを舞台にした遊びをいろいろと企画していきますので、よろしければ、ご参加ください。あ。こんなに歩くことは、もうないと思います。来年の七墓参りまでは(笑)

むつさとし拝


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