祭とイベントの違いは「祈り」の有無にあると思ってます。祭は世代を越えて受け継がれていきますが、イベントは刹那に終わる。長く続く、本当のまちづくりをしようと思うなら、イベント的手法は失敗のもとで、祭的手法を取ることです。世の中には経済効率一辺倒の、金儲け主義のまちづくりイベントが蔓延っています。いずれ淘汰されると思ってますが。そこに祈りがあるか?神が宿るか?ぼくは、これからも、そこに注視していきます。
もうひとつ。世の中には祭を知らない人があまりにも多すぎます。神輿、地車、枕、山車を担いだことも、曳いたこともない。カメラを担いで祭を撮影しても、なんの意味もありません。それは祭の傍観者に過ぎないですから。祭の当事者にならないと。祭を知らないから、まちの背景や文化や歴史や流れが、生きているまちの血肉が、体感としてわからない。祭をやると、まちの認識が、世界の見え方が変わります。氏子=神の子になったことがない。至極、残念なことです。
政治家というのは「代議士」といいまして。代議士というのは字義通り、「代わりに議会にでる人」のことをいいます。誰の代わりか?といえば、これは国民です。日本国民の有権者1億人で国会議事堂につめかけて話し合うなんてのは到底、ムリだから、代理人をたてて政治を行っている。代理人だから結局、民意が反映されない。これが近代民主主義の致命的な欠陥です。
しかし、いまはインターネットという便利なツールが登場してきましたから、有権者が1億人いようが10億人いようが、ネットにアクセスして法案を審議しようと思えば可能な時代となりました。審議サイトを設けて、そこに法案を並べて、みんなが読んで、掲示板でディスカッションして、最終的に「いいね!」ボタンを押す(笑)賛成が多ければ可決。反対が多ければ否決。本当の意味での直接民主主義=国民政治が、ついに可能になる。システムとしてそれは明日にでも構築可能なんですが、代議士は自分の失職を恐れてか、なかなか、そういうネット投票の整備、ネット国会の話は進んでないようです。しかし、インターネットの登場で、直接的な民意の問い方、意思表明が可能となったことで、もはや世の中の代議士=政治家は、実質的には存在理由、存在意義を失ってるんです。近代政治家が果たすべき最後の大仕事は、直接民主制への橋渡し。政治家から国民への大政奉還。それしかありません。
いま世界には230の国や地域はあるそうですが、どこの国、地域が、代議士制度を駆逐して、真の国民政治を実現するか?これ、実現できたところは人類史に名を刻みますよ。おそらく小さい国でしょうなぁ。ヨーロッパの小国かな?第3世界から出るかも知れません。実際にスウェーデンの「Demoex」やフィンランドの「Change2011」なんて運動、政党がすでに出てきてますから。
国という単位でなく、都市という単位で考えれば、もっと早いこと、直接民主制は実現するでしょう。それは、そんなに遠い日のことではないと思ってますが…。日本でもそういう運動起きないかな?
2畳大学学長の梅山くんから唐突に「まちでできるワークショップをやってくれませんか?」という無茶振りをされて、苦肉の策で『まち計りプロジェクト』を企画しました。「長さ」をひとつのモチーフにして「まちには一体、なにがあるのか?」を探るプロジェクトです。どんなものになるのかは、ぼくもまったく予測不能ですが、ご興味ある方は参加してみてください。
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『まち計り』(まちばかり。略して「まちばか」)とは?
満員電車も高速道路もインターネットもなかった時代。当時の人々は、わずか「一里」の中で、人生を終えたといいます。一里=3927メートル。つまり約4キロほどの都市空間に、家と、店と、畑と、寺と、神社と、物語と、恋と、祭と、酒場と、遊郭と、墓場とが、全部あったわけです。なんと充実したコミュニティ。まさしく、まちには、人生が満ち溢れていた!
では、いま、ぼくらのコミュニティ、ぼくらのまちを占めているものは一体、なにか?・・・それを探るプロジェクトが「まち計り」(まちばかり。略して「まちばか」)。まちの現場に出て、裏路地や、銅像や、公園の木や、看板や、石碑や、滑り台や、お地蔵さんや、犬小屋や、祠や、階段を測る。笑ってはいけない。これは、じつは、あなたの「一里」(人生)を探す、深遠なる旅のはじまり。
さぁ、物差しと巻尺をもって、まちへ出よう!
●企画・ガイド 陸奥賢(まちを計る人)
●サポーター 梅山晃佑(2畳大学学長)
日時:6月12日(日)16:00~飽きるまで
場所:空堀商店街界隈を予定(集合場所は直接連絡します)
参加費:1000円(資料付き)
定員:10名程度
必要なもの:物差しor巻尺
持ってるとええかも?:記録ノート、ペン、カメラ、脚立、飴ちゃん
お問合せ・申し込み:recycle(この間に@を挿入してください)occn.zaq.ne.jp
「お好み焼」のことを昔は「一銭洋食」といって場末の屋台の子供のおやつだったのは有名な話。ところが昭和初期の記録を読んでいたら「串カツ」のことを「二銭洋食」と書いてある店が登場。これまた子供のおやつやったんですな。三銭洋食はないか?と思って記録を読んでもなかったですが、映画が50銭。きつねうどんが6銭、冷やし飴、ぜんざいが10銭の時代です。
大阪企業家ミュージアム10周年記念連携事業として、 6/25(土)に大阪あそ歩の五代友厚コース「大阪を救った薩摩隼人・五代友厚~官を辞して、民に身を投じた志士~」のまち歩きを実施します。詳細、お問い合わせは以下のリンク(PDF)を参照してください。
大阪企業家ミュージアム10周年記念事業の実施について
大阪商工会議所が設置・運営する大阪企業家ミュージアムは、企業家精神の高揚を図ることを目的に、大阪商工会議所の120周年を記念して開設したもので、来る6月5日に10周年を迎えます。これを記念して、5月に一部館内をリニューアルしたのをはじめ、年間を通じて、下記のとおり多彩な事業に取り組んでまいります。
【問合先】大阪商工会議所 大阪企業家ミュージアム(大西) (06)4964-7601
ちなみに、坂本龍馬の後継者として、よく三菱財閥創始者の岩崎弥太郎の名前が挙がりますが、三菱財閥は明治新政府と密接に結びつき、政商として成功しました。「世界の海援隊」を目指した龍馬が、果たして三菱財閥のような政商になっていたか?というと僕は大いに疑問です。それよりも明治新政府から離れて、在野の一商人として大阪経済を立て直そうとした五代友厚の方が、より龍馬の後継者に相応しいと個人的には思っています(実際に五代は龍馬とも面識がありました。五代の生きざまには龍馬の思想が深く影響したと思っています)。
このまち歩きをきっかけに、坂本龍馬の真の後継者、大阪の恩人こと五代友厚の偉業を知ってください。
折角なので、ぼくが『週刊文春』編集部にオススメした大阪みやげ10点も記しておきます。大阪に来た際は、ぜひともお買い求めください。
『浪花ことばせんべい』(はやし製菓本舗)
昔懐かしい手焼きのせんべいにコテで「おおきに」「はんなり」「てんご」「かんにん」「いちびり」「てんこもり」「いとはん」「いけず」「べっぴん」「ちゃらんぽらん」といった浪花ことばが26種類ほど焼きつけられている。大阪万博開催時には「大阪らしいお土産」と地方からやってきたお客さんから大絶賛。万博が終わって40年以上経つがいまだに日本全国から熱い支持を集めている。全26種類の浪花ことばを駆使できればあなたも立派に明日から大阪人(?)
『えびすめ』(小倉屋山本)
江戸時代の大坂・船場の町衆は諸国の物流を扱い、北海道名産の昆布(グルタミン酸)と土佐名産の鰹(イノシン酸)から出汁をとると、旨み成分が約7倍になることを発見した。これが大阪料理の秘密で、現在の日本料理の味の原点。小倉屋山本は船場の老舗昆布商で、「えびすめ」はその名物の塩ふき昆布。「食い倒れ」「食の都・大阪」の、ほんまもんの味とはなにか?その答えがここにある。ちなみに小倉屋山本の3代目当主・山本利助の実妹が作家の山崎豊子。小説「暖簾」は実家がモチーフで見事、直木賞を受賞して出世作となった。
『台所包丁 銘 源昭忠』(水野鍛錬所)
大阪・堺市にある日本最大の古墳・仁徳天皇陵は西暦5世紀の遺跡。土師と呼ばれる祭祀集団が築造したが、彼らは様々な作業道具を用いた。これが堺のものづくりの原点で、戦国時代、信長が欲しがった堺の鉄砲技術もこれがルーツ。また鉄砲産業は平和な江戸時代には包丁産業へと転換した。水野鍛錬所は日本ではじめて河豚引き包丁を考案したという老舗刀鍛冶。国宝・法隆寺の五重塔には「魔よけの鎌」が備えつけられているが、それも水野鍛錬所が奉納したもの。台所包丁「銘 源昭忠」は水野鍛錬所オススメの逸品で、切れ味抜群で使い勝手も非常に良い。1500年もの長きに渡る堺のものづくりの伝統技を、とくとご堪能あれ。
『なにわの伝統野菜飴』(豊下製菓株式会社)
京都の九条ネギのルーツは大阪の難波ネギ。信州の野沢菜のルーツは大阪の天王寺蕪。そういうと驚かれるが、すべて本当の話。淀川、大和川といった二大河が運ぶ肥沃な土壌は、野菜生産に適した砂質土壌を作り上げ、大阪を日本有数の野菜の名産地に育て上げた。近代都市化によって野菜生産は衰退したが、「なにわの伝統野菜」はそうした大阪の野菜を復活させようというプロジェクトで徐々に成果を上げている。飴の豊下は老舗の製菓メーカーで「なにわの伝統野菜飴」は、大阪の伝統野菜の形状を模したもの。毛馬胡瓜飴、勝間南瓜飴、田邊大根飴など愛らしくユニークな形状で、女性ファンも多い。
『さつま焼』(株式会社末廣堂)
日本全国で2300社を超えるという住吉神の総本社で、今年2011年には御鎮座1800年を迎えるという日本きっての古社・住吉大社。その大社御用達が老舗・末廣堂のさつま焼。昭和天皇、皇太后が大社参詣のさいにもお召し上がりになられたという由緒ある和菓子。十勝小豆のこしあんを秘伝の皮で包み、竹串にさして卵黄を塗り、一本一本、心を込めて焼き上げている。かつて住吉界隈は薩摩芋の名産地で、そこで薩摩芋を模している。面白いのが薩摩芋といえば鹿児島だが、じつは島津藩の始祖・島津忠久公(父・源頼朝 母・丹後局)は住吉大社の境内で生まれたこと。また関ヶ原で負けて敵中突破をした島津義弘を、無事に鹿児島まで船で送ったのも住吉と堺の町衆だった。江戸時代、参勤交代の折には島津の歴代藩主は必ず住吉大社に参拝していて、住吉と薩摩は非常に縁が深い。さつま焼は意外な住吉と薩摩の交流の物語を彩る和菓子といえる。
『釣鐘まんじゅう』(総本家釣鐘屋)
聖徳太子が593年に建立した日本最初の官寺・四天王寺。ユネスコの世界文化遺産の法隆寺(607年建立)よりも古く、また幾度の戦火や天災にまみれながらも、創建当時から伽藍の配置が全く変わっていないという奇跡の名刹。その四天王寺の参詣客に深く愛されているのが、四天王寺にかつてあった世界最大の大梵鐘を模した釣鐘まんじゅう。大梵鐘は明治36年(1903)に聖徳太子御遠忌1300年に発願されたものだが、残念ながら太平洋戦争の金属供出でその姿を消した。ありがたい梵鐘は戦争でなくなったが、美味しいまんじゅうはちゃんと生き残った。じつに大阪らしいエピソードをもつ四天王寺名物。
『大寺餅』(大寺餅河合堂株式会社)
慶長元年(1596)に堺の開口神社境内に茶店を構え、その神社が「大寺さん」と呼ばれていたことから大寺餅と呼ばれるようになった。餅をあんこで包んだあんころ餅だが、江戸時代からすでにその味は全国に轟き、伊勢の赤福(1707年創業)や御福餅にも影響を与え、実際に伊勢の和菓子職人が大寺餅に修行にきていたこともあるという。堺といえば与謝野晶子の故郷だが、晶子は実家が「駿河屋」という和菓子屋。ところが和菓子屋の娘でありながら、ライバルであるはずの大寺餅が大好きで、よく購入していたという。エッセイでも「ソボクな味」が良いと絶賛している。
『おこし』(あみだ池大黒)
創業文化2年(1805)のおこしの老舗。当時のおこしの原材料は「粟」が基本だったが、あみだ池大黒は「米」を使ったおこしを考案。これは初代小林利忠が船底や米倉に零れ落ちていた米を安く買い取って、それを原料としたという。つまり誰も見向きもしなかった捨米のリサイクルで「売り手よし・買い手よし・世間よし」の大阪・船場商法の最たるものだった。また「身をおこし、家をおこし、財をおこし、福をおこし」と縁起もいいので大阪土産としてはやはり外せない。ちなみに「あみだ池」というのは創業地近く(現在も本店がある)の池のこと。ここに百済の聖明王から送られた日本最初の阿弥陀仏が捨てられ、それを拾ったのが本田善光で、彼が建立したのが、あの信州の善光寺。
『箱寿司』(吉野壽司株式会社)
天保12年(1841)創業の名店。鯛・海老・穴子などの高級食材を用いて、二寸六分の木箱で押して作る。色鮮やかな見た目が美しく、大阪寿司の代表格として「二寸六分の懐石」とも呼ばれる。現在は寿司といえば江戸前の握り寿司が主流だが、かつては大阪の押し寿司が主流だった。握りは早寿司と呼ばれるようにスピード感があるが、押し寿司は調理に手間暇がかかる。それだけに真心を伝えることができる。スピードや効率化が叫ばれる時代。そういう時こそ、スローフードの押し寿司のよさを尊重したい。ちなみに「あんた江戸っ子だってね?寿司食いねぇ」で有名な任侠者の森の石松だが、これは押し寿司のこと。森の石松が淀川の船旅の最中に江戸っ子を見つけての名台詞で、当時の淀川の船旅に江戸前は出ない。江戸っ子を見つけて大喜びで大阪寿司を勧めるところが、森の石松の愛嬌で、おかしみともいえる。
『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3』
(大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会)
大阪でいま大流行しているのが、地元ガイドが地元のまちを案内するまち歩きプロジェクト「大阪あそ歩」(http://www.osaka-asobo.jp/)。マップ集は、その大阪あそ歩で使用される全150コースのイラストマップを3分冊で完全収録したもので「キタ(梅田)」「ミナミ(道頓堀)」「新世界」といった定番はもちろん、初代天皇・神武天皇が通ったという伝説が残る「今里」、安倍晴明の生まれ故郷「阿倍野」、国歌・君が代の本歌が歌われたという「姫島」、日本に儒教と漢字を伝えた王仁博士の墓が眠る「福島」、松下幸之助が起業した「大開」など意外な大阪の歴史名所のまち歩きコースを多数収録している。大阪を知るには格好の入門書で、このガイド本を読めば、もう一度、大阪を訪れたくなることまちがいなし。
文藝春秋『週刊文春』(5月26日号)の「今週のBEST10 おすすめの大阪土産」に、ぼくが選者として登場してます。編集部から「オススメの大阪みやげを10個ほど教えてください」ということでお答えしました。最終的にぼくがオススメしたお土産は4つが採用されて次のように紹介されています。機会があれば、ご笑覧ください。
浪花ことばせんべい(はやし製菓本舗)
「昔懐かしい手焼きのせんべいにコテで『おおきに』『いけず』『べっぴん』『ちゃらんぽらん』といった浪花ことばが二十六種類、焼きつけられている。大阪万博開催時には『大阪らしいお土産』と地方からやってきた観光客から絶賛され、いまだに日本全国から熱い支持を集めている」
えびすめ(小倉屋山本)
「『食の都・大阪』の味の原点ともいえる昆布を使った定番の逸品。船場の老舗昆布商が独自の工夫で創始した塩ふき昆布で、滋味あふれる味わいが特徴」
なにわの伝統野菜飴(豊下製菓株式会社)
「大阪の伝統野菜の形状を模した飴。毛馬胡瓜飴、勝間南瓜飴、田邊大根飴など愛らしくユニークな形で、女性ファンも多い」
銘 源昭忠(水野鍛錬所)
「切れ味抜群で使い勝手が非常に良い台所包丁。物作りの街・堺にあり、日本初の河豚引き包丁を考案した老舗刀鍛冶の技を堪能できる」
堺・南宗寺にある徳川家康墓の背面。以下の文字が彫られてます。水戸徳川家の子孫や国務大臣までもが関与している。伊達や酔狂、洒落では建ててません(笑)
明治百年記念
播州三木城主別所長治
東照宮徳川家康臣水戸徳川家初代家老
三木仁衛之次 子孫 三木啓次郎建之
南宗寺住職 白石宗川代
顧問堺市長 河盛安之助
顧問國務大臣 塚原俊郎
顧問茨城県知事 岩上二郎
顧問松下電器会長 松下幸之助
顧問松下電工社長 丹羽正治
施工水戸高橋石材店