大阪商工会議所・地域振興部さんのお誘いで、「小学生ワッハ落語探検ツアーズ応援チャリティ寄席」(主催: NPO法人国際落語振興会 オフィシャルサポート:Reenal by Resona Bank 協賛:大阪商工会議所「大阪ナイトカルチャー」)を拝見、取材させていただきました。
※REENALプロジェクト「チャリティー寄席」
http://www.reenalstation.net/project/yose/
※大阪ナイトカルチャー
http://www.osaka-nightculture.com/
※ワッハ上方
http://www.wahha.or.jp/
今回のイベントは、NPO法人「国際落語振興会」(理事長:桂小春團治師匠)が、大阪ミナミが誇る日本唯一のお笑いミュージアム「ワッハ上方」を会場として、小学生を対象に落語体験ツアーを無料招待しようというプロジェクトを推進中で、その運営資金を募る目的で開催されたものとか。
出演は桂ひろば、桂福矢、桂小春團治(新作落語「さわやか侍」というのを演じてはりました。これが爆笑落語で、これまたよかったです)、花登益子(三味線)などですが、最後の大トリが3代目桂春團治師匠! これはぜひ見たいと思って昼間の仕事をなんとか詰め詰めにしていってきました。事前に演目を知らなかったので「春團治師匠はなにをやってくれるのかなぁ?」と思っていたら、なんと演目は「高尾」で、これは僕の大好きな演目。
高尾は江戸・吉原の傾城傾国の遊女で、仙台藩主の伊達綱宗を袖にして切り捨てられたというエピソード(史実ではないそうですが)で有名な太夫です。その高尾の幽霊を呼び寄せる「反魂香」の霊薬を見て、長屋の八っつぁんが、3年前に死んだ自分のかかぁを呼び寄せようとして、まちがって薬屋で「反魂丹」(腹痛薬です)を買う・・・というストーリーです。
たわいのない話なんですが、この話の最大の見所は幽霊・高尾太夫の登場シーン。香がたかれて、すーっと春團治師匠が立ち上がると、じつに妖艶な女の幽霊の立ち姿が現れる・・・春團治師匠の十八番中の十八番で、この「幽霊の出」の見事さは、百万遍、言葉を費やしても伝えられません。ぜひ一度は高座で拝見してほしいもんです。
久しぶりに、上方落語の粋を、堪能した夜でした。
堺市のNPO「SEIN」さんからの依頼で、帝塚山学院大学にて「楽しむ!魅せるブログで情報発信 入門編」(全4回)の講師をやりました。
※特定非営利活動法人「SEIN」
http://www.npo-sein.org/index.html
※帝塚山学院大学
http://www.tezuka-gu.ac.jp/index.php
これは堺市南区が主催する「アクティブカレッジ」という、まちづくり事業の一環で、ひとことで言えば「生涯学習講座」のようなものです。社会人を対象に生徒を公募したのですが、蓋を開けてみれば、参加者の大多数が60代、70代以上。「アクティブカレッジ」というよりも「シニアカレッジ」というような状態で、「ご年配の方にブログの使い方を説明するのって難しそうやな」と、かなり不安な状態で講師をさせていただきました。
案の定、講座のはじめは「言ってることの意味がわからん」「そもそもブログってなんやようわからん」という状態の方が多かったようですが、何度も教え込んでいくうちに、だんだんと記事の投稿の仕方や、画像の添付の仕方などもわかってきて、なんとなくブログらしい体裁に。講座参加者同士で、記事に対してコメントをして、またコメントを返して…とお互いに交流しだすと、「なるほど。ブログというのはこういう風に楽しむのか」と、なんだかんだでブログ世界の楽しみ方なんてのもわかってきたようで、勝手にどんどんと記事を上げたり、コメントする人なども出てきました。
当初はどうなることかと思っていたのですが、一度覚えると皆さん、飲み込みが早くて「60代、70代でもまったく未知の新しいことでも覚えて挑戦できるのだなぁ」と逆に僕のほうが感心させられました。戦後日本の高度経済成長を牽引した世代で、さすがにバイタリティがちがいますわ。ぼくの教え方がうまかったのかもしれませんが(笑)
このブログ講座は「入門編」のあとは「応用編」というのもあって、来年春まで続くのですが、ブログというコミュニケーション・ツールで、充実したセカンドライフを楽しんでいただけたら…と思っています。
淀川が大阪湾に滔滔と流れて、そこの彼方に夕陽が沈んでいきます。
写真は梅田スカイビルの屋上展望台から。
http://www.skybldg.co.jp/
「あをによし」というのは奈良の枕詞ですが、難波(大阪)の枕詞は「おしてるや」といいます。「おしてる」は、夕陽の光が海原と空一面を明るく照らすさまを意味していて「や」というのは間投助詞です。
直越の この道にして おしてるや 難波の海と 名づけけらしも
万葉集に出てくる大阪の歌です。直越の道(奈良から大阪までの山道)を歩いていると、美しく光り輝く海が見えた。なるほど。これが噂の「おしてるや 難波の海」か……意訳するとこういう感じでしょうか。
大阪は西に海があって、太陽が沈む「夕陽の国」です。中世には、沈み行く太陽を目指して、難波津や住吉津から船を漕ぎだして「西方浄土へ行く」と補陀落渡海した人々も大勢いました。
大阪人のメンタリティ、大阪文化の深い精神性は、この「おしてるや」の海と夕陽によって形成されています。
久しぶりに豆めし「廣田屋」さんにいきました。
いまは堺に住んでますが、ぼくの生まれは住吉です。 生後まもなく、額に「大」と書かれたぼくは、太鼓橋を渡って、住吉大社にお宮参りしました。要するに住吉大社はぼくの氏神さまで、初詣や夏祭り、入学祝いなど、なにかあるごとに毎年欠かさず行ってました。神社参詣の帰りに豆めしに行くってのは定番コース。
懐かしかったでんなぁ。
住吉大社を舞台にした物語で、有名なのが源氏物語の「澪標」の帖。
左遷されて須磨、明石に流された光源氏が恋に落ちたのが明石の君。 しかし光源氏が政界に復帰すると、二人は泣く泣く別れてしまう。後日、明石の君が、住吉大社に参詣に向かうと、ひょんなことに光源氏も住吉大社に参詣に来ていた。ところが明石の君は、太政大臣・光源氏の晴れ姿を見て「もう自分とは遠い世界の人になったのだ」と何もいわずにひっそりと去る。そのあとに「明石の君が来ていましたよ」と教えられて光源氏が送ったのが以下の歌です。
「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも 巡り逢いける 縁は深しな」
大阪は住吉を舞台にした恋の物語。住吉、なかなか情緒と風情があって、ええとこでしょ?ぼくはそういうまちで生まれました(笑)
http://www.akifukaki.com/
http://www.akifukaki.com/theaters.html
見に行こうと思ったら大阪ミナミで映画上映やってないんですな。梅田か堺か八尾しかやってません。「映画みたあとに千日前、黒門市場へ!」なんてコースを考えてたんですが、それが出来ない。オダサクの映画なのになぁ・・・。
どれだけ立派な巨大ダムやスーパー堤防を造っても、100年に1度の大洪水、300年に1度の大大洪水、1000年に1度の大大大洪水には決壊します。そんな超大型公共事業に何百兆円という天文学的なお金をつぎ込んできたのが、戦後日本でした。良いようにいえば天災を事前に防ぐ「攻めのリスクマネージメント」。しかし正直いえば「○○○年に1度の天災の恐怖」を煽って業者や官僚、政治家などが癒着している事例も数多くありました。
あえて暴言を吐きます。「諦めることも肝心です」。いつか天災は来るんです。必要なのは、天災に襲われた時の、助け合いの精神です。常日頃から住民たちは「向こう三軒両隣」という関係性を形成することです。人間は弱い存在なんだから、天災に襲われた時は、一緒に苦しみ、泣き、笑い、助け合わないといけないという共有認識。「受けのリスクマネージメント」です。
こちらはそれほどお金はかかりません。そして、実際に天災時に役立つのは「攻めのリスクマネージメント」ではなくて「受けのリスクマネージメント」だったりします。ダムや堤防といった「ハードウェアのリスクマネージメント」ではなく、住民自治、コミュニティによる「ヒューマンウェアのリスクマネージメント」ともいえます。
謙虚に。我々は、とても哀れで、弱い存在です。だから、強くなれるはず。
2008年11月13日。「大阪あそ歩’08秋」の企画で、高麗橋にある本吉兆にいってきました。
http://www.kitcho.com/osaka-hon/
1979年、1986年、1993年と、過去3度の東京サミットで、先進諸国首脳をおもてなししたのが、大阪が世界に誇る日本料理の最高峰「高麗橋吉兆」(本吉兆)です。創業者の湯木貞一氏は、日本文化の「一期一会」の美学を追求して、紫綬褒章、文化功労者にも選ばれた伝説の料理人。その本吉兆の料理を味わおうというのが今回の企画で、本来は紹介制で一見さんお断りのお店なのですが、「大阪のまちの文化を見つめ直そう」ということで、本吉兆さんにご協力頂いて、今回の企画が実現しました。
伝統的な数寄屋作りの吉兆に入ると、千成瓢箪の暖簾が飾られた風情な玄関口で、最初は「澪標(みをつくし)の間」へと案内されました。本来はここもお座敷だそうですが、今回は待合室として利用されました。大阪都心のど真ん中にこんな静寂な空間があるなんて…と、その美しい静謐な佇まいだけでも一見の価値があります。
次に案内されたのが「蔀(しとみ)の間」で座席につくと本吉兆の湯木潤治社長からお献立の説明。お献立のはじめは「絵ノ具皿八寸」で、菊柚子三種、柿なます、しめじ茸とんぶり和え、烏賊キャビア添え、前菜色とりどり。次は「お椀」で、海老糝薯と焼き餅。「造里」は鯛、烏賊、子鮪。「お凌ぎ」に秋草吹寄せで、「焼きもの」は杉板焼 鰆、松茸、白葱……と、まるで極上のアート作品のような料理が次から次へと出てきて、もうなんと形容していいのやらの絶品の美味しさ。
吉兆の料理を味わって考えさせられたのは本吉兆の料理というのは決して奇をてらったようなものが出てくるのではなくて、非常に正統的でマジメな料理だということです。湯木貞一氏が吉兆の料理を完成させたときは、これは従来の日本料理にはなかった革命的なものだったと思いますが、その革命性ゆえに、もはや日本料理の「常識」になったんでしょう。極めてオーソドックス、オーセンティックな料理であって、「日本料理のスタンダードを作った」ということが、本吉兆のすごさといえます。
今回の本吉兆は、大阪くいだおれシリーズ第1弾ということで、「大阪のほんまもんの食文化を見直そうやないか」という主旨で企画されました。「くいだおれ」と聞くと、お好み焼やたこ焼きといったイメージが先行しがちですが、そういう庶民的なグルメだけではなくて、本吉兆のような日本料理を代表する世界に冠たる高級料亭文化というのも、れっきとして存在しています。このバリエーションの振幅が大阪の食文化の深さなのでしょう。大阪のほんまもんの「くいだおれ」を満喫しました。
観光経済新聞社に「大阪あそ歩’08秋」のことが掲載されました。
http://www.kankoukeizai-shinbun.co.jp/backnumber/08/11_01/chiiki_kanko.html
大阪市と大阪商工会議所、大阪観光コンベンション協会、水都大阪2009実行委員会はこのほど、「大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会」を発足した。市民自らがガイドとなり来訪者と交流しながらまちを紹介する「まちあるき」の取り組みを支援するほか、地域に密着したさまざまな観光資源や魅力の情報を広く発信していく。
会長は大阪観光コンベンション協会理事の長藤一博氏。総合プロデューサーとして大阪府立大特別教授で、建築史、都市文化論を専攻し大阪の都市計画やまちづくりにも深く関わる橋爪紳也氏、チーフプロデューサーにフリーのイベントプロデューサー茶谷幸治氏、アシスタントプロデューサーにフリーライターの陸奥賢氏を迎えた。
発足記念事業として「大阪あそ歩(ぼ)08′秋」を開催。11月11日には大阪物語りシリーズとして「心中天網島〜紙治と小春のこの日」、13日は大阪食い倒れ料亭、料理店を楽しむシリーズとして「高麗橋吉兆(本吉兆)」での食事会などを実施する。今後、春と秋の2回程度「大阪あそ歩キャンペーン」を展開。
協議会では市民と来訪者の交流を拡大することで、地域の人々の地元に対する認識と愛着を深めるとともに、観光振興に寄与し、地域経済の活性化につなげる。具体的には、市民ガイドボランティアグループと連携し、旅行業者への売り込みや協賛の確保などの対外的な交渉、インターネットやチラシを使った情報発信などを行う方針だ。