IWF準備委員会(LLPアートサポート、財団法人大阪21世紀協会、関西広域機構)が主催するインターナショナル・ワークショップ・フェスティバル[100 DOORS]でワークショップの講師をやります。
http://www.artcomplex.net/doors/100sche/
[100 DOORS]「中之島・船場のまちあるき~古地図で訪ねる近世大坂の繁栄」ワークショップ
●日付:2008年8月3日(日) 17:00~18:30
●開催場所:芝川ビル(淀屋橋)
●問合せ先:IWF準備委員会(大阪市立芸術創造館内)090-8468-2158
●料金:500円
●講師名:陸奥 賢(むつ さとし)
●参考URL:http://allabout.co.jp/gs/travelosaka/
●ワークショップの詳細:江戸時代の大坂の古地図とともに中之島・船場界隈を歩いて天下の台所として繁栄した近世・大坂を知る。
摂津名所図会、浪花百景、古地図などを用いて「バーチャル近世大坂まち歩き」をやります。けっこう面白い仕掛けと趣向になってます。ご興味ある方はぜひご参加を。
東京の地図を見ると頭を抱えます。やたらと交通の便がややこい。
(例)東京メトロの路線図
http://www.tokyometro.jp/rosen/rosenzu/pdf/network1.pdf
江戸の都市構造の特徴として螺旋形になった江戸城の堀川(暗渠化したり高速道路になったりしてますが)があります。渦を巻いて本丸(現在は皇居)に向かっている。簡単にいうと都市が「の」とか「@」みたいな形をしています。家康が江戸城を作ったときは、まだ太閤・秀吉が存命中で、疑り深くて、警戒心の強かった家康は、中心部に進入しにくい都市を造りました。螺旋状にして、攻めにくい「軍事要塞都市」を作り上げたんですが、現在の東京もその都市計画の名残というか、延長線上にあるようで、初めて見る人には、非常に複雑怪奇な交通網です。
対して大阪の地下鉄の路線図を見てください。
http://www.kotsu.city.osaka.jp/eigyou/route-map/subway_rosenzu.html
大阪は基本的に「碁盤目」で判りやすいんですわ。平安京(京都)の造りと似てますが、決定的に違うのが京都は南北を中心軸に作られた都市に対して、大阪は東西を中心軸として作られた都市であることです。大阪の東西とはつまり「海」(大阪湾)です。
現代に繋がる大阪の都市整備を行ったのは秀吉ですが、秀吉は天下統一後、海の彼方(大陸)への進出の野心を隠しませんでした。それで海に向かって、まっすぐストレートに、エネルギーを放射する都市を作り上げた。江戸時代の大坂が天下の台所として発展するのも「海運」の力が非常に大きいですし、大阪の中枢の「船場」は、文字通り「船着場」であったわけで、江戸時代の大阪人は、ある意味で、みんな「ミニ秀吉」でした。
ただ近代以降の大阪は東西軸をむりやり南北軸に転換しました。幅44メートルという超巨大な御堂筋を作った。いまでは大阪キタ(梅田)と大阪ミナミ(難波)といいますが、これは大阪の都市構造が東西軸から南北軸に変わったことの象徴です。この御堂筋を作ったのが東京出身の関一市長なんですが、ぼくは長い目で見れば、この都市計画には功罪あると思っています。近代都市として「大大阪」と呼ばれるほどの繁栄を迎えましたが、江戸時代の大坂人の「海への意識」(東西感覚)を御堂筋は遮断してしまいましたから。
現代大阪は古代の難波宮から続いていた都市の有り様とは異なる不自然な都市構造で、今後の大阪発展には「海」「東西」を意識した都市計画が非常に大切だと思っています。そういう意味では「水都大阪」って大切なことなんですが、一朝一夕で成立するものではないでしょう。なんせ御堂筋が出来てから80年間も大阪は誤謬し続けましたから。元に戻すには80年はかかるんやないでしょうか?
東京に話を戻すと、なにより面白かったのが、「地下」なんだから、どういう風に路線を通してもいいのに、地下鉄も地上と同じようなつくりになるんですな。なんでわかりやすい碁盤上の路線にならないのか?地下鉄なのに、わかりにくい螺旋状の軍事要塞都市の構造を維持してます。もしかすると東京の人は、いまだに「ミニ家康」なのかも知れません。
創業は室町時代の1532年。470年以上の伝統を誇る「本家小嶋」の芥子餅。
http://www.sakai-tcb.or.jp/souvenir/wagashi/w13.html
利休が「名菓」と賛美したという堺名産です。これでもか!というほどお餅が柔らかくて、また表面の芥子餅のプチプチ感がたまりません。ぜひ堺にまでやってきて、食べてほしい逸品です。
大阪が誇る老舗洋食屋「明治軒」のハヤシライス。
http://www.kuidaore-osaka.com/jp/taste/modern/post_41.html
オムライスが有名ですが、ぼくのオススメはハヤシライス。たまねぎが甘くて柔らかくて絶妙です。また串カツのセットがありまして、この串カツがこれまたうまい。オムライスやハヤシライスに串カツを乗せるスタイルは、他店ではあまり見かけませんが、これがモダン大阪の味なんでしょうねぇ。
大阪・淀屋橋「鶴屋八幡」さんの抹茶アイス。
http://www.turuyahatiman.co.jp/
鶴屋八幡さんは元禄15年(1702年)創業。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場する大阪の老舗和菓子屋さんです。大阪本店では甘味処も併設してはるんで、ほっこりとした時間が過ごせます。
http://www.turuyahatiman.co.jp/information/cafe/index.html
それにしても今年の大阪の夏は暑すぎますわ。若干、夏バテ気味です・・・。
赤穂浪士の墓といえば東京・泉岳寺が有名ですが実は大阪にもあります。大阪・天王寺区にある吉祥寺がそれで、画像は境内にある四十七士の像です。
http://www.geocities.jp/gisi_tera/
じつは吉祥寺は赤穂藩主・浅野家の祈願所でした。足軽という理由で切腹御免となった義士・寺阪吉右衛門が四十七士の遺髪、遺爪、鎖帷子などをもって冥福の為に墓碑を建立したそうで、由緒正しい墓です。討ち入りした12月14日には「義士祭」も行われます。忠臣蔵マニアの方は必見です(笑)
堺・出島にある銭湯「湊潮湯」。
http://shioyu.hp.infoseek.co.jp/
湊潮湯は大阪湾の沖合い2.5キロから地下にパイプを通して、海水を引いて、それを沸かしています。出島漁港の漁師が朝方に帰ってきて、冷えた体を温めるために、まず潮湯に入ったとか。権中納言藤原定頼の歌集『定頼郷集』には「さか井と云所に、しほゆあみにおはしけるに」とあって、堺は中世から平安貴族たちの塩風呂(塩湯浴)の名所でした。
昔はこういう潮湯が堺には何軒もあったそうですが、現在では一軒だけになってしまいました。残念なことです。
取材で京都へ。京都の老舗喫茶店といえばフランソワ。
http://www.francois1934.com/
喫茶店なのに国指定の登録有形文化財だったりします。クラシックの名盤を聴きながら至福の珈琲を味わいました。個人的におすすめはレアチーズケーキ。絶品です。
暑い!となると食べたくなるのがカレー。というわけで、大阪ミナミ千日前にある老舗洋食屋「自由軒」へ。
http://www.jiyuken.co.jp/
「東の太宰、西の織田作」といわれた、無頼派の文豪・織田作之助が愛した「名物カレー」です。別名「まぜカレー」といいまして、ご飯とカレールーがすでに混ざった状態で出て来ます。自由軒のカレーは、そのままでも美味しいんですが、テーブルにある甘辛ソースをかけると「庶民的な味」がより一層グレードアップします。ぜひお試しを。
大阪観光大学のシンポジウムを見に行きました。
http://plus.tourism.ac.jp/topics/2008/06/aps-1.html
シンポジウム後は、大阪市史料編纂室のFさんのお誘いで、大阪市西区にある居酒屋「ます田」さんへ。画像は「海の時空館」のI館長が持参した大吟醸「宇宙飛行」。
「宇宙飛行」ってご存知でしょうか?なんとロシアのロケット「ソユーズ」と一緒に打ち上げられて宇宙旅行体験した酵母で作られた世界初の日本酒(宇宙酒?)とか。これがまた甘くて美味い。フルーティで飲みやすいんですが、飲みすぎると確実に「宇宙飛行気分」「わたしはカモメ!」になると思われます。くれぐれも気をつけましょう(笑)