宝塚・清荒神に行ってきました。
http://www.kiyoshikojin.or.jp/
その参道の途中で見つけたのがこちら。
「ハブ酒」「ハブ姿焼」「まむし黒焼」という看板を掲げたお店さん。
「黒焼き」というのは精力剤や「ほれ薬」 として使用されました。大坂落語には「いもりの黒焼き」という有名な落語がありまして。ほれた娘さんに黒焼きをふりかけようとしたら間違えて米俵にかけてしまって、その米俵に追いかけられる・・・というなんとも荒唐無稽でSFチックな落語です。
「黒焼き屋」なんて、大阪ではなかなか見れなくなりましたが、まさか宝塚・清荒神でお見かけするとは思いませんでした。「阪神間モダニズム」といいますが、大阪・船場の旦那衆が開発、集住したのが宝塚沿線。本場大阪には乱開発で大阪文化が残っていないのに、意外と阪神間に残っていたりするのですが、その一例かも知れません。思わず撮影してしまった一枚です。
大阪・中之島にあるダイビル。「大大阪」時代を髣髴とさせる近代ビルで、綿業会館(重要文化財)の渡辺節による設計です。大正15(1926)年に建築されて、まさしく国宝級の価値を有するものですが、なんと取り壊し・超高層ビルへの建て替えが計画されています。
http://www.daibiru.co.jp/index.html
これほどの名建築を取り壊すとは・・・あまりに惜しい。
たこ焼きの元祖「ちょぼ焼き」。知る人ぞ知る阪神百貨店「スナックパーク」の名物メニューです。
ちょぼ焼きはコナモン(粉もん)の一種ですが、大正時代に屋台などで販売されていた子供のおやつです。このちょぼ焼きに「スジ肉」を入れたのを「ラヂオ焼き」といいました。
当時の庶民にとってはラジオは高値の花で、非常に高級なものでした。子供のおやつ「ちょぼ焼き」にスジ肉を入れて大人向けにアレンジして高級化したので、その名前をとったわけです。大阪人らしい洒落た言葉遊びです。また、このラジオ焼きのスジ肉を、兵庫県の明石焼きのマネをしてタコに変えたことで「たこ焼き」になったそうで、つまりちょぼ焼きは、たこ焼きの元祖ということになります。
具材はコンニャク、天かす(関東では揚げ玉と呼ぶそうですが)など。シンプルかつ素朴な味で美味です。
阪神百貨店の地下1階にはスナックパークというフロアがあります。お好み焼やイカ焼き、うどんなどコナモン天国みたいな飲食店街なのですが、このスナックパークには「黒たこ焼き」なる名物メニューが存在します。
出店しているのは大阪ミナミの名店「道頓堀くくる」さん。日本全国各地にチェーン展開しているのですが、この「黒たこ焼き」は阪神百貨店スナックパークのみの限定メニューとか。見てくれは凄いですが、イカ墨を混ぜているそうで、独特の塩味とコッテリ感が美味です。話のネタにどうぞ。
奈良に取材へ。画像は奈良のお好み焼屋「かめや」の名物「大仏焼き」。ご覧のとおり「大佛」とマヨネーズで書いてます。奈良といえば最近は「せんとくん」が話題に上ってますが、こっちの大仏焼きもけっこうショッキングです。なんせ「大仏」を焼いて、コテで切って、食べたりするわけですから。
肝心の味ですが、これが美味。オススメです。
西暦7世紀のはじめ。聖徳太子が「日出る処の天子」と隋に手紙を送り、そこから遣隋使、遣唐使・・・大陸との正式な国際交流が始まりました。最先端の大陸文化である仏教や冠位十二階といった官僚制度を取り入れ、長安、洛陽に習って平城京、平安京という都城制の首都が建築されます。しかし200年も経つと日本人は大陸から学ぶべきものがなくなり、菅原道真公の英断によって遣唐使を廃止します。これ以降、日本は独自の文化を発展、発達させます。大陸文化の漢字から「ひらがな」を考案して、そこから世界最古の長編小説『源氏物語』が生まれます。
16世紀の南蛮貿易でも同じようなことが起きました。当時もっとも革命的だったのが鉄砲、種子島の伝播と流通。戦国大名はこぞってこれを買い求めて製造にも着手。堺や長浜などが一大生産拠点になりましたが、家康が天下を収めて鎖国が完成すると、無用の長物となった鉄砲(火薬)は包丁や花火へと転換します。人を殺める恐ろしい武器が平和産業となり、割烹(日本料理)や花火という日本が世界に誇る文化・芸術となりました。
日本人は外国からの文明や文化、制度を受容すると、それらを取捨選択して、自分たちの嗜好に合うものに変容、昇華させてきた民族です。黒船以降の日本は西欧化(近代化、工業化、大衆化)の道を模索してきましたが、モータリゼーションや大量生産・大量消費、無責任な大衆社会といった弊害にも多くの日本人が気づいて、このままではいけないという危機意識を強く持っています。盲目的な西欧信仰から脱却して、それを柔らかく噛み砕いて、日本の古来のものとの融和が始まりつつある。「漢字」から「ひらがな」が、「鉄砲」から「包丁」「花火」が生まれたように。
岡倉天心は、こんな言葉を残しています。
昔から日本は、外国からの思想が殺到してきたが日本人は伝統を尊重し、みずからの個性を大切にしてきた。我々は今後もさらに西欧化していこうとしているが世界から尊敬を得るには我々自身の理想に忠実であることを忘れてはならない
天心は『THE BOOK OF TEA』を著して世界的な名声を博し、ボストン市民に深く敬愛された真のコスモポリタンでした。硬直したナショナリズムではなく、柔軟な和の精神を。その警句は、現代日本にも十二分に通用すると思っています。
http://allabout.co.jp/gs/travelosaka/closeup/CU20080610A/
AllAboutの新しいガイド記事です。船場・綿業会館で開催されたハッピーアペリティフの取材レポート。「大大阪」の時代を彷彿とさせる素晴らしい名建築をとくとご堪能ください。
この企画はフランス大使館がプロデュース。非常に落ち着いて、素晴らしくて、楽しいひとときを過ごしました。ただ普段あまりワインなんてのに飲みなれてないので、えらく酔いが回りまして・・・。 アペリティフ(食前酒)なんで軽めで甘くて美味しい。思わず飲みすぎてまいました(笑)
http://allabout.co.jp/gs/travelosaka/closeup/CU20080520A/
AllAboutガイド記事「大阪ナイトカルチャー」で取材させていただいた山本能楽堂。
能楽の鑑賞中に軽食が出たのですが、それがこちらの「とん蝶」。
http://www.honke-kinugasa.jp/tontyou.html
御菓子司「絹笠」さんの登録商標ですが、これが絶品の美味さ。賞味期限は「お買い上げ当日」。添加物は一切使用してないとか。通好みの大阪名物です。ぜひ一度はご賞味を。
堺の老舗企業「タマノイ酢」さんの本社屋を取材しました。迎賓館と知的創造空間がコンセプトとか。驚かされたのが「世界一お酢に詳しいロボット」のタマス博士。お酢の歴史やタマノイ酢について、身振り手振りを交えながら説明してくれるんですが、ようできてまして…また「黒酢色」のボディがかっこええんです。
http://www.tamanoi.co.jp/company/release/2007_7_new_office.htm
http://www.tamanoi.co.jp/company/release/2007_7_dr_tamasu.htm
タマス博士の話によると、じつは日本ではじめてお酢を製造したのが堺とか。西暦400年の応神天皇のころに酢の製法が三韓から伝わり、港町・堺で作られるようになり、これが「和泉酢」と呼ばれて『日本書紀』にも記載されているそうです。「もののはじまり なんでも堺」ですな。
取材で貝塚市にある老舗和菓子屋、村雨本舗 「御菓子司 塩五」にいってきました。
http://www7.ocn.ne.jp/%7Eshiogo/
和菓子の定番アイテム「村雨」ですが、じつは、その発祥が塩五。登録商標にもなっています。米粉と小豆餡、砂糖を混ぜて蒸した・・・という単純な和菓子ですが味は絶品。ひかえめで上品な甘さには唸らされます。なんば高島屋、心斎橋そごうなどの百貨店でも販売しています。3日ほどは日持ちするので、お土産にもオススメです。