4月22日。四天王寺・聖霊会舞楽大法要です。
http://www.shitennoji.or.jp/
http://www.shitennoji.or.jp/bugaku/bugaku1.htm
四天王寺の創建は西暦593年。聖徳太子が建立した日本ではじめての官寺として知られています。ちなみに聖徳太子が建立して世界遺産にも登録されている奈良県斑鳩町の法隆寺は607年の創建ですから四天王寺のほうが約15年ほど古いことになります。いかに四天王寺が我が国きっての古刹であるかが伺いしれます。この四天王寺にて毎年4月22日に開催されるのが聖霊会舞楽大法要で聖徳太子の命日(旧暦2月22日)を忍ぼうと、豪華絢爛な舞楽絵巻が約4時間にわたって繰り広げられます。
平安時代の昔には京都の貴族たちの観光名所であったようで、あの吉田兼好もこの法要を見ました。「徒然草」の中に記述があって 「何事も辺土は賤しく、かたくななれども天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず」(なにごとも京から離れた辺鄙な場所は見苦しいものが多いが、大阪の天王寺の舞楽は京にもない素晴らしいものだ)と大絶賛しています。
日本の歴史都市というと京都や奈良が思い浮かびますが、じつは大阪こそが「日本最大の歴史都市」です。この祭を見ると歴史都市・大阪の格の高さが感じられます。
大阪ミナミ。道頓堀。千日前。日本有数の繁華街として賑わう界隈ですが、その一角にあるのが織田作之助の「夫婦善哉」でも有名な石畳の路地が映える、情緒ゆかしい法善寺横丁。
http://www7.ocn.ne.jp/~houzenji/
http://www.sato-restaurant-systems.co.jp/meoutobld/index.html
画像の看板は法善寺横丁の西口にかかっているものですが、昭和を代表する希代の喜劇役者・藤山寛美の筆によるものです。この看板にはじつは「謎」があります。よくみると「法善寺」の「善」に横棒が1本たりません。これは藤山寛美が揮毫するさいに「わしはそない善い人間やないさかいに」ということで字を1本ぬいて「善」にしなかったという説や、法善寺は飲み屋町でもあるので「(酒が)もう1本たらんぞ!」という意味合いでやったという説などがあります。ぼくは「もう一本!」説が藤山寛美らしい感じがして好きなんですが、「ただたんにまちがえただけ」という身も蓋もない説もあります(笑)
大阪人はこういう粋で洒落た遊び心があるんですわ。「大阪ミナミの看板」と聞くと陸上選手とかカニとかフグが有名ですが、ぼくはこの看板がいっちゃん好きです。
「大阪の台所」こと黒門市場。『黒門市場史』は黒門市場の古老にお話を聞いて5年の歳月をかけて完成した・・・という大変な労作です。黒門市場商店街振興組合の方からお借りして拝読させていただきました。
http://www.kuromon.com/
大阪は「商店街のまち」です。日本一長いアーケードを誇る天神橋筋、「東の銀座、西の心斎橋」と謳われた心斎橋筋、デンデンタウンの愛称で知られる日本橋筋、激安商店街で有名な千林・・・大阪の商店街はそれぞれに特徴、特色があってバラエティに富んでいます。生活者のリアルな息吹が感じられる。旅の醍醐味は、土地特有の文化や、人々との出会いですが、商店街にはそれがあります。大阪城やUSJ、海遊館にいっても、そこで生活してる人はいませんから。
大阪に来たさいは、ぜひ商店街をぶらぶら歩いてみてください。色々と、おもろいもんが見れまっせ。
「くいだおれ」さんが閉店するとか。新聞、テレビなどの各種メディアにもニュースとして流れましたが、さすがにこのニュースはぼくも驚きました。いろいろと惜しむ声があるそうですがこれも時代の流れでしょうか。
「食い倒れ」という言葉の語源は、もともとは「杭倒れ」であることをご存知でしょうか?江戸時代の大坂は「八百八橋」と呼ばれるほど、あちこちの川に橋が架かっていたのですが橋には「杭」がつきもの。こうした橋の杭は年数が経つと川の水に押し流されたりして倒れるわけですが、その模様が「杭倒れ」と呼ばれたようです。
また大坂の橋のほとんどは町橋(民間人が建てた橋)であったため、杭の修繕費用はすべて町民が支払っておりました。橋の数が多いだけに修繕費用も嵩んで莫大な金額になるわけで、つまり「杭倒れ」には「町商人が倒れるほど杭の修繕費用が嵩む」というような意味合いもあります。
しかし橋を建てることは町のために役立つことで町商人にとっては大変、名誉なことでもありました。財力のある商人でないと橋をかけることができません。「杭倒れ」そうになることは、ある意味、大商人のステータスで、カッコイイことでもあったようです。大坂商人の「町のためにやろう!」という心意気。粋。それが「杭倒れ」という言葉には込められています。
今回の「くいだおれ」さんの閉店は確かにショックでしたが、「くいだおれ」さんがなくなっても、大坂商人の「杭倒れ」の精神、心意気さえあれば大阪はいくらでも再生して、盛り上がるはず。ぼくはそう信じています。
NPO法人「COCOROOM」、特定非営利活動法人「こえとことばとこころの部屋」にて「人間見学」というトークイベントを行います。以下は詳細情報。
●イベント 人間見学「ルーツ」
●内容 いま、どうしてこの仕事をしているのか?それぞれのルーツ、現在そしてこれからを語ります
●時間 4月13日(日)19:00~21:00
●参加費用 500円
●会場 ココルーム・インフォショップ
http://www.cocoroom.org/index.html
557-0001 大阪市西成区山王1丁目15-11
tel&fax..06-6636-1612
地下鉄御堂筋線・堺筋線「動物園前駅」2番出口から
動物園前一番街を南へ徒歩約2分
JR新今宮駅から徒歩約5分
★ゲスト
陸奥賢さん(フリーライター、AllAbout「大阪」ガイド)
ニシザワさん(新聞女マスター)
椎名さん(福祉NPO職員)
林さん(中学校教師)
笠原さん(劇関係者)
田面遥華さん(書道家)
そんな大げさに語るほどの深いルーツなんか、僕にはないんですが、交流会もありますので、もしよろしければ遊びにきてください。
大阪・せんなん里海公園にて。
http://www.osaka-park.or.jp/rinkai/sennan/main.html
京都(平安京)は中国の風水思想に則って、南北(朱雀大路)を中心軸とした都市として作られましたが、大坂城を作った太閤・秀吉は東西を中心軸にして都市整備を行いました。つまり秀吉は南北の道路(筋)よりも、東西の道路(通)のほうを大きい道幅にしました。大阪のメインストリートは南北ではなくて東西の道路だったわけです。
なぜそんな都市構造にしたのか?というと、大坂城を西に向かうと、大阪湾(海)にでます。秀吉は朝鮮半島や中国大陸といった海の彼方に対する領土的野心が強い人でしたが、その拠点として大坂を整備したので、こういう都市構造になったわけです。つまり大坂は「海にむかって作られた都市」というわけです。
都市の性格はハードウェア(都市整備)によって形作られます。豊臣政権がなくなったあとも大坂城(都市基盤)はそのまま徳川幕府に継承されたので、大坂は海上交通の要所、水の都として発展。日本の流通経済の中心地、「天下の台所」として長く繁栄したことはよく知られています。
大阪の特徴として海との関係性は切っても切れません。戦後の工業都市化や埋め立てによって、市中から沿岸部は遠くなりましたが、それでも大阪の未来は西(海)にあると確信しています。
明治40年(1907年)創業の堺の老舗和菓子屋さん。浜寺公園近くにある「松露だんご」のお店「福栄堂」さんです。
http://fukuedo.ld.infoseek.co.jp/
「松露」というのは松林に生えるキノコです。今では非常に貴重なキノコだそうですが、その昔、大阪・堺~高石の沿岸部はえんえんと松林が続いていて、じつに美しい白浜の景勝地で、松露などもよくとれたようです。福栄堂さんの松露だんごは、そのキノコに似ているから、そう名付けられたとか。だんごの中にキノコが入っているわけではありませんよ。素朴な味ですが、ぼくは大好きです。
http://www.osaka-park.or.jp/rinkai/hamadera/main.html
浜寺公園は、古代より美しい景勝地ということで明治6年に整備されましたが、じつはこれは「日本最古の公立公園」でもありました。ここには、あの文豪・夏目漱石が遊びにきていて、小説「行人」の中にちゃんと浜寺の光景が出て来ます。また与謝野鉄幹と鳳晶子(のちの与謝野晶子)が、歌会を開いたり、デートをした…というエピソードもあります。ちなみに当時の与謝野鉄幹は妻がいたので「不倫デート」でした。これは「公園で行われた日本初の不倫デート」やったかも知れません(笑)
ほかにはバラ園なども有名ですが、色んなドラマが込められた歴史ある公園。機会があれば「浜寺名物・松露だんご」を食べながら散策してみてください。
関帝廟といえば、中国の神さま・関羽をまつっている祠のこと。横浜や神戸、長崎といった中国とゆかりの深い港町などにはありますが、じつはあまり知られてませんが、大阪にも関帝廟があります。正式名称「黄檗宗 白駒山 清寿院」…通称「南京寺」がそれです。
http://www.kanteibyo.org/
江戸時代の1764年に出来たそうで、250年近い歴史を誇ります。横浜や神戸の関帝廟は明治維新以降に出来たものですから、それよりも古く、非常に由緒正しいお寺さんといえます。また「摂津名所図会」という江戸時代の大阪ガイドブックにも南京寺のことが記載されているので、江戸時代には大阪の観光名所のひとつであったようです。
知られざる大阪の名所スポット。拝観無料です。中国式のおみくじが面白いですよ。ぜひおとずれてみてください。
仕事でよく堺のまちを歩いてます。色んな名所を巡りますが、中でもオススメなのが80年ほど前の町屋を改装して、2007年11月にオープンした堺の観光施設「鳳翔館」。与謝野晶子の短歌の複製や鎧、かぶと、蓄音機、昔の堺の古地図などレトロ堺が満喫できるのですが、なんとここでは本物の堺火縄銃が展示されていて触ることが出来ます。
ぼくも持ってみましたが、めちゃくちゃ重かったです。腰をいわしそうになりました(笑)
なにわ名物開発研究会が主催する年に一度の大アワード「なにわ大賞」の記念式典「モダンシティふたたび」に招待されて参加しました。
http://www.naniwa-meibutsu.com/prize.html
http://www.naniwa-meibutsu.com/
なにわ大賞というのは大阪の芸能、文化にたいして、おもろい活動をやってる「いちびりな人」を、みんなで表彰しよやないか・・・というじつにユニークな有志団体です。選考委員には直木賞作家の難波利三先生、関西外国語大学教授の森一貫先生、元大阪市立大学教授の橋爪紳也先生、実行委員会には講談師の旭堂南陵師匠など錚々たるメンバーによって運営されていて、極めて「マジメ」なアワードでもあります。
「いちびり」というのはもちろん大阪の言葉ですが「市をふる」というのが語源とか。むかしは市場を仕切る人のことを「市ふり」といったそうで「市をふる」→「市ふり」→「いちびり」となったわけです。リーダーシップを取る、目立ってる、威勢の良い、よくやってる・・・というようなニュアンスが込められてる大阪弁といえます。
今年度で記念すべき10周年を迎えるそうで過去、総勢100名以上の方が受賞。火縄銃の保存会、万博グッズのコレクター、世界唯一のつまようじ資料館、平均年齢56歳のチアガールチーム・・・などなど、じつにバラエティ豊かで、「いちびった方」が勢ぞろいです。中には、あの「くいだおれ太郎」なんかも受賞してます(笑)
http://www.cui-daore.co.jp/top.html
大阪の最大の資源は「ひと」です。ヒューマンウェア。これだけはどこの都市にも負けません。