当事者研究スゴロクのPDFバージョンです!「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」と同じで、もちろんオープンソースです。ご自由にお使いください!m(_ _)m
当事者研究スゴロクのPDFバージョンです!「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」と同じで、もちろんオープンソースです。ご自由にお使いください!m(_ _)m
■当事者研究スゴロク(PDFバージョン)
http://goo.gl/I8Xerq
当事者研究スゴロクのPDFバージョンです!「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」と同じで、もちろんオープンソースです。ご自由にお使いください!m(_ _)m
■当事者研究スゴロク(PDFバージョン)
http://goo.gl/I8Xerq
■当事者研究スゴロクの遊び方
http://goo.gl/nNjNvR
①3~5名で1グループを作ります。
2名でも6名でも遊べますが推奨は4名です。人数が多いときはわけてやりましょう。
②自分の「失敗・挫折・苦労」のエピソードを四角い枠の中に書きこんでください。書きこむ白紙の枠は全部で8枠あります。ひとり1枠は必ず「失敗・挫折・苦労」エピソードを書きこんでください。
③失敗・挫折・苦労のエピソードの「衝撃レベル」を「1から6」で評価して「○コマすすむ」の中に書きこんでください。すごい衝撃のエピソードほど「6コマすすむ」でゴールに近づきます。
④サイコロを振ってスゴロクをスタート!
⑤最初の1コマから6コマでは「自己病名」をつけるコマです。スゴロクの右欄にある「みんなの自己病名枠」に書きこんでください。
⑥早くゴールすることよりも「スゴロクのコマ作り(エピソード語り)」や「自己病名についての対話」を楽しみましょう!
失敗・挫折・苦労エピソードを話して、その「衝撃レベル」をみんなで評価することで、自分の失敗、挫折、苦労を「大変だと思ってたけど3コマぐらいなんだ」とか「6コマレベルですごいといわれた!」といったように相対化できます。やればやるほど、「6コマレベル」を目指したくなるので、どんどんとみんなが、より衝撃の失敗・挫折・苦労エピソードを語りだす・・・という「弱さの情報開示」が進む効果があります。
「当事者研究」を知らない人でも気軽に楽しめる、アイスブレイク的なコミュニケーション・ツールです。
このあいだの應典院さんの寺子屋トーク「仏教と当事者研究」でデビューして、もう少し改良がいる・・・と加筆修正をして、ついに「当事者研究スゴロク」が完成しました!制作は一ノ瀬かおるさん。ほんまにがんばってくれました。ありがとうございます~!^^
またPDFバージョンもアップできるようにしますが、ひとまずはJPEGバージョンで。FBやと勝手に画像が劣化する可能性もあるので、ぼくのブログにも画像を置いておきます。
■当事者研究スゴロク
http://goo.gl/mImLXl
オープンソースです。「当事者研究」の入口として。みなさん、ぜひ、いろんなところでご使用してみてくださいm(_ _)m
10/17(金)18時30分より「川西市市民活動センター」「男女共同参画センター」の運営事業として「まわしよみ新聞」が実施されます!^^ ご興味ある方はぜひともご参加してください~!
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■みんなで読めば世界が広がるまわしよみ新聞…って知ってる?!
http://www.gesca-kawanishi.jp/course/each/mawashiyomi26.html
と き:平成26年10月17日(金)
18:30~20:30
対 象:どなたでも参加できます。
自分とは異なる“ものの見方”に触れてみたい方、
ぜひどうぞ!
定 員:先着10人
申 込:10月1日(水)9:00~
参加費:無料
持ち物:みんなで“まわしよみ”したい新聞があればお持ちください。
保 育:有り(先着8人:1歳半~就学前まで)
保育の申込みは10月10日(金)17:00までに!
■『当事者研究スゴロクについて』(應典院「仏教と当事者研究」資料より転載)
一ノ瀬さんとの出会いによって「当事者研究」を知りました。それまではただの一度も「べてるの家」なんて聞いたことがない…という人間でしたが、『べてるの家の「当事者研究」』を読み、その「大阪人的な逆転の発想転換」に興味を覚えました。
大阪人は社交として「笑い」を用います。それは大阪が「敗北都市」として実に長い歴史を有するからです。記紀神話の時代からこの土地は連綿と敗北者が連なるまちで、長脛彦、河内王朝、物部氏、聖徳太子、孝徳天皇、菅原道真、楠正成、大坂本願寺、豊臣家、豪商淀屋、大塩平八郎、大村益次郎などなど・・・皆、大阪の地で敗北し、「浪華のことは夢のまた夢」(秀吉の辞世)の生涯を送りました。権力を産みだしますが、短命で、一代限りで潰えるのが大阪という土地の宿命のようです。自然、大阪の人々は「判官贔屓」で、敗北者に優しい。人生の価値を「勝ち負け」に置きません。そういった「勝ち負け」に拘らない「笑い」というものに価値判断基準を置く。「笑い」は権力者を笑いますが、また障害者をも笑い飛ばします。「笑い」は人生の四苦八苦を横滑りさせて、陽転させようとする実に大人のテクニックなのです。そして「この大阪人的逆転の発想転換が当事者研究にもある」というのが、ぼくなりの当事者研究理解でした。
それで大阪人が当事者研究をやると、どうなるのか?そのひとつの答えとして「当事者研究スゴロク」という遊びを考案しました。みんなで自分の「失敗」「苦労」「挫折」を書きこんでスゴロクを作り、一緒に遊んでみようというものです。一種の「人生ゲーム」です。「人生ゲーム」は出世したり、お金持ちになったりと「上っていく生き方」を目指していきますが、それが逆転していて、どんどんと「降りていく生き方ゲーム」になっています。
みんなと共に、一緒に、「降りていく人生」を、遊びましょう。
陸奥 賢(観光家/コモンズ・デザイナー)
昨日は應典院にて寺子屋トーク「仏教と当事者研究」でした。ぼくは当事者研究スゴロク「降りていく生き方ゲーム」を実施。内田樹先生の凱風館で試験をやって(いまにしても思えば内田先生、釈先生の前で試験をやるというなんとも大それた試験でしたww)、昨日の應典院「仏教と当事者研究」が正式デビューです。
凱風館の時もみなさんの凄いエピソードの数々に爆笑したんですが、今回も爆笑ネタが色々とでました。
「告白してない人からフラれる」(1コマすすむ)
「大学の受験日をまちがえた」(3コマすすむ)
「33才の時、52才のひとに彼をとられた」(4コマすすむ)
「設計事務所をつぶしてしまう」(4コマすすむ)
「実家が第一原発の近所で家に戻れない」(6コマすすむ)
「弟が無免許で水上スキーをして事故をおこした相手がヤクザで10年間のトラブルとなった」(6コマすすむ)
人生に憑き物の失敗や苦労や挫折。失敗すれば失敗するほど、苦労すれば苦労するほど、挫折すれば挫折するほど、みんなから「それは素晴らしい失敗ですね!」「なんて良い苦労を!」「ステキな挫折ですね!」と評価されて「6コマ」を頂戴する。「人生ゲーム」が出世したり、金持ちになったり、成功することを目指すのならば、「当事者研究すごろく」は、その逆です。失敗したり、苦労したり、挫折したりする人生を、笑いに転用して、遊ぶ。スゴロクを作り、自分の弱さを情報開示し、どんどんと転落する人生を笑い、終わったら、なんか、みんなが不思議と仲良くなっている。
釈先生、向谷地さん、べてるのみなさん、應典院のみなさん、「仏教と当事者研究」メンバーのみなさん、ご参加いただいたみなさん、本当に、ありがとうございました。当事者研究スゴロクは今後も続けていって、11月15日に東京・帝京平成大学で実施される「当事者研究全国交流集会 東京大会」にも出ます。引き続き、よろしくお願いしますm(_ _)m
■当事者研究スゴロク
https://www.facebook.com/toujisyakenkyuu.sugoroku
イスラム教徒は礼拝の時間がきたら会社だろうが店だろうが雑踏だろうが、どこでも礼拝を始めるわけで、あの宗教的エトス(姿勢)には感動すら覚えます。もちろん「祈祷室」(これ、礼拝室の方が正しい気がするんですが・・・?)を作ることもええんですが、日本人のイスラム理解のためには、まちなかでイスラム教徒の宗教的エトスを見せることも効果的なことちゃうか?という気はします。
ただ、「日本人に宗教的エトスがないか?」というとじつは豊富にあるわけで。われわれは両手をあわせて「いただきます」といって食事を始めますが、一体、誰に向かって発言しているのか?・・・これは「最近どうですか?」「おかげさまです」の「おかげさま」ってのと同じで、「目に見えない存在」(それは影のような存在であり、だから御蔭様)への感謝の念が「いただきます」やら「おかげさま」という言葉の中には含有されている。
キリスト教には「原罪」の思想がありますが、日本人には「原恩」の思想があるとは社会学者の見田宗介氏の説。ところが日本人の宗教的エトス(原恩)は、あまりにも、日常の中に溶け込んでいるので(「七草粥」も「節分」も「雛祭」も完全に単なる日常生活のイベント?のようだと思われていますが、れっきとした宗教的エトス=「原恩」です)わかりにくくなっている。平気で「無宗教」といってしまうような無自覚的な宗教的エトスが、日本人の特徴であり、ある意味、凄さでもあります。聖地メッカ巡礼は500万人ですが、日本人の元旦の寺社仏閣への初詣は9000万人です。
イスラム教徒の「表に出す宗教的エトス」と触れ合うことで、日本人の「裏に隠れてしまっている宗教的エトス」が意識化されたらええなぁと思いますな。
囲碁の歴史。
■636年の『隋書』の「倭国伝」に倭人は囲碁や双六、博打などの遊びが好きという記述。正倉院には百済の義慈王が藤原鎌足に贈った碁石入れがある。701年の『大宝律令』の中の「僧尼令」には「僧尼が音楽と博戯をすれば百日の苦役。碁と琴に制限はない」。
■日本で最初に「碁」の文字が用いられたのはじつは712年の『古事記』。イザナギ、イザナミの国生みで出来た「おのころじま」は「淤能碁呂嶋」と書かれる。『日本霊異記』では僧と一般人が碁で戦い、一般人が僧を嘲ると帰路に頓死する話が登場。逆に僧が碁に負け続けて口が歪み、終生治らなかった話もある。
■804年の遣唐使には碁師・伴宿禰少勝雄(とものすくねこかつお)が随行。唐の碁師と親善交流試合などをしたと思われる。少勝雄(こかつお)という名前が良いww 同行した青年の紀夏井は少勝雄の弟子で師匠を超える碁打ちに。夏井は菅原道真とも親交があった。道真も碁の漢詩などを作っている。
■「人々みな寝ぬるのち、外のかたに殿上人などのものなどいふ、奥に碁石の笥にいるる音のあまたたび聞ゆる、いと心にくし」 清少納言の『枕草子』より「心にくきもの」。野郎どもの五月蝿い徹夜の囲碁にイライラする清少納言。嫌いやったみたいですなww
■後三年の役は清原武則の孫・真衡が囲碁に夢中になり、無視された吉彦秀武が怒って帰ったことが発端という伝説がある。まさかの囲碁トラブルで戦争w 後三年の役で功を認められた源義家は囲碁好きで、屋敷に強盗が入った時も庭で囲碁に夢中だった。
■日蓮は囲碁を好んだという伝説がある。日蓮と弟子の日朗の棋譜もあるが、じつは江戸時代後期に登場。明らかに捏造。初代本因坊算砂は日蓮宗僧侶だが、どうも日蓮宗僧侶が囲碁をブランドにしようとしたらしい。囲碁と日蓮宗の結びつきは面白い。
■北条時頼は武士の博打を禁止。「但し囲碁・将棋者は非制限」と。武士はますます囲碁に熱狂する。庶民に本格的に浸透しはじめるのは室町期以降。宋銭の流入で貨幣経済の概念が産まれてから。要するに賭博として広まった。
■中世以降、庶民階級に「数遊び」「数取り遊び」が急速に流行してくる。貨幣経済、商品経済の浸透によって庶民の中に数観念や計量概念が発達した。それが囲碁発展のキッカケ。日本最初の商業都市・堺に仙也や林利玄といった伝説的、天才的な碁打ちが登場するのも、ある意味、必然だったといえる。
■『爛柯堂棋話』より「意雲老人は後土御門帝の世、囲碁の名手なり。庵を泉南に結びて居す。みずから可竹と号す」 『爛柯堂棋話』には本能寺の変の時の算砂と利玄の三劫のエピソード、信玄と高坂弾正、真田昌幸、信幸父子の棋譜なども収録。どうも嘘くさいですが囲碁好きにはおもろそうですなw
■堺・妙国寺にも関連する僧侶・日淵は、甥の日海をまず堺の伝説の碁師の仙也に弟子入りさせて修行させ、その後、日蓮宗僧侶に出家させている。碁打ちの実力を高めて、権力者や富裕層に取り入って法華を広めようとしたらしい。茶の湯がそうであるように、囲碁・将棋などもそうした政争の道具に使われた。
■利休が秀吉から拝受した碁盤が現存している。利休には「囲碁の文」もあり、同じく堺の伝説的な碁師の林利玄が対局する碁会に参加したこともわかっている。利休と利玄と。休はやめることで、玄はまぼろし。堺の利(経済)から離れようとしたか。それとも皮肉か。自嘲か。