元禄4年(1691)の古地図より京橋界隈。駅なんかどこにもないですがww 10数種類の古地図を元に大坂夏の陣、江戸時代から明治、大正、昭和を経て平成の現代までこの辺界隈の物語を掘り起こしていきます。我ながらめっちゃマニアックでディープです。乞う、ご期待!^^
【全20駅制覇を目指して!古地図片手にJR大阪環状線まち歩き】第2回!天満駅から桜ノ宮駅を経て京橋駅までを歩く!
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明日3/18(月)は19時から大阪府箕面市「みのお市民活動センター」にて「出会いと創造のまち入門」です!「まちを計る」「シェア野草」「大阪七墓巡り」「ミックスジュースナイトフィーバー!」「葬食」「RE:赤バス」など、ぼくのまち遊びの発想についてプレゼンをして、そのあと「まわしよみ新聞ワークショップ」を実施!ご興味ある方はぜひともご参加してください!^^
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「都市神殿論」といえば梅棹忠夫先生。ぼくは重ねて「都市墓地論」を唱えたいと思いますww 都市とは神殿(はじまりの場所)であり、墓地(おわりの場所)でもあります。至極、当たり前のことなんですが。
昨日、久しぶりに大阪七墓・梅田墓地跡を歩いておもったこと。画像は陸軍墓地。
釈迦は仏陀加耶の菩提樹下に座して悟りを得る。『源氏物語』の光源氏は広大な寝殿造「六条院」を完成させ、紫の上、女三宮、散里、夕霧、玉鬘、秋好中宮、明石の御方、明石の姫君(娘)などを住まわせる。平清盛は父・忠盛の死去により平氏一門の棟梁に。親鸞は専修念仏弾圧(承元の法難)で越後に流罪となり、師の法然と再び会うことはなかった。信長は堺の会合衆を恐喝して二万貫を支払わせる。高山右近は秀吉の伴天連追放令に逆らい、キリスト教を捨てなかったため、城主をおろされて諸国を放浪。井原西鶴は大坂・生國魂神社にて一昼夜1600句独吟興行して「矢数俳諧」を創始。『好色一代男』の主人公・世之助は父親の遺産25000両が転がり込み、日本全国の遊里・遊郭で豪遊すると一念発起。モーツァルトはオペラ『魔笛』を初演し『レクイエム』の作曲中に死去。ナポレオンは皇帝に即位。ベートーヴェンはナポレオンを題材に交響曲第3番『英雄』を創作するが、ナポレオンが皇帝になったと聞いて激怒し、献辞を破り捨てる。上田秋成は怪奇小説『雨月物語』を書く。福澤諭吉は薩長軍と幕府軍(彰義隊)の上野戦争の砲声を耳にしながら、それらを無視して慶應義塾でウェーランド経済書の講義をする。河口慧海は仏教の経典を求めて、クン・ラ(峠)を密かに越え、ついに鎖国体制化のチベット西北原への入境に成功。柳田国男は岩手・遠野の民間伝承を佐々木喜善から聞書きして『遠野物語』を発表。ル・コルビジェは「ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面」などの「近代建築の五原則」を発表。直木三十五はペンネームを「直木三十三」から「直木三十五」に変える。安藤百福は大阪大空襲で自身の繊維商社「東洋莫大小(とうようメリヤス)」の全ての事業所や工場を焼失。司馬遼太郎は『梟の城』で直木賞を受賞。手塚治虫は初のTVアニメ『鉄腕アトム』の放送を開始。小松左京は傑作SF長編小説『果てしなき流れの果に』を執筆。開高健は南ベトナム戦線取材中にベトコンに襲撃され、200人大隊の中で生き残ったのは開高健を含む17人のみで、まさに九死に一生を得る。中内功は日本チェーンストア協会を設立して初代会長に。堺屋太一は「大阪万博」を実現させ、当時、日本の人口の約7割に当る6421 万人を動員させる。
35歳になりました。いろんな人生がありますな。ただただ感謝を。
2013年1月17日(木)「まわしよみ新聞」公式サイトを試験的にオープンしました!
http://www.mawashiyomishinbun.info/
まだ少し不具合などがあるかも知れませんが、徐々に改善していきますので。何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m
京都橘大学の小暮教授が「キャリア開発演習」の中で、まわしよみ新聞を発行してくれました!小暮教授、ありがとうございます~!^^ 「キャリア局イケメン支部」とか「福山局」とか、学生さんたち、大いに遊んでますなww
猫も杓子も情報化社会。そんな時代で新聞やネット・・・メディアをどう扱えばいいのか?ここで「ネットはデマが多い」「新聞は権力に操作されている」といったような「肯定か?否定か?」といった二項対立は実に貧しい。そういう論争とは、少し距離を置いて、棚にあげて、新聞やネットといったメディアそのものを遊びにしよう。これは非常に文化度の高い行為で、練磨されたメディア・リテラシーが必要です。情報が溢れてるから情報化社会なんやないんですな。「情報を遊べる」ようになるから、真の情報化社会といえるわけです。
新聞の記事内容に怒りを覚えて、新聞社を襲撃し、記者を殺す。否定でも肯定でもどっちでもええんですが、要するに、情報に支配されてしまう。こういう硬直化した思考がいちばん恐ろしい。新聞やネットの中身を、「新聞ってそういうもんや」「ネットにはそういうこともある」ぐらいに、飄々と達観して、笑いにしたり、遊べるぐらいになれば、多少は、ぼくらの情報化社会も成熟したといえます。「ニコ動」やら「まわしよみ新聞」やらは、そういった「メディア遊び」のツールなわけで、こういうのがもっと世の中に出てきたら、おもろい思いますな。
画像は小暮教授のブログ【こぐれ日乗】よりシェアしましたm(_ _)m
■2度目のまわしよみ新聞 『アーツマネジメント学(文化とまちづくり叢書) 』
http://kogure.exblog.jp/17160008
2013年1月8日(火)の朝日新聞に「まわしよみ新聞」の取材記事が掲載されました!去年の11月13日の毎日新聞に続いて2度目の取材記事です。ありがとうございます!
※続報
「まわしよみ新聞」朝日新聞デジタルにも掲載されました!(「無料会員」に登録すると閲覧可能になります)
http://www.asahi.com/national/intro/OSK201301080067.html
應典院コモンズフェスタ2013プレ企画「如是我聞」より。小暮先生(アート・マネジメント)、まきさん(ニート若者就労支援)、下之坊さん(カフェ放送てれれ)、かなよさん(詩人、ココルーム)、しいなさん(障碍者支援)。24日の夕方頃です。なんか、すごいメンバーがそろってましたww
神学者スピノザは「マルチチュード(multitude)」を訴えています。なにか明確なビジョンやイデオロギーを支持するのではなく、ただ、なんとなく「霊的な直観」で変化を求めて、色んなひとびとが「場」に集まり、コミュニケーションしている間に、自分と社会をめぐる関係性をイメージしていく。そこで誕生した新しい関係性が、さらにコンプレックス化し、ネットワーク化されていくことで、いつのまにか世界はゆるやかに変容していく・・・。多様なひとびとが集まる場=寺院って元々はそういう可能性の実験場ではないかな?と思っていて、それを実践する機会でもあったと思っております。阿弥陀さんの前で、劇作家とまち歩きのプロデューサーが24時間しゃべって、しかし、いろんな方に来ていただき、新しい関係性を構築していく。これこそが應典院の場の力だと思っています。ほんとうに感謝してます。
みなさま、ありがとうございました!m(_ _)m
常磐線。電車が走らない。人も入らないとなると、こういう光景になっていくんですな。沿岸部のまちは、ほとんどが2011年3月11日から時が止まったままでした。
世の中には「土のプロジェクト」と「風のプロジェクト」があるということ。たとえば「大阪七墓巡り復活プロジェクト」というのは、大阪以外の、他の地域や都市にもっていきようがない。江戸時代の大阪の町衆の祭礼という土地(トポス)に根差した物語性や歴史性に寄り添っているから、そこに必然や意味、意義がある。これは「土のプロジェクト」なわけです。
対して「まわしよみ新聞」のようなプロジェクトは、基本的に、どこにいっても通用します。別に大阪でなくても他地域、他都市でも実施、実行できる。実際に京都精華大学や立命館大学、福島のいわき市でもやっていただきました。ある種のフォーマット、様式(エトス)があるんですが、それに準じれば、どこでも、だれでも、いつでも実現可能な「風のプロジェクト」ということです。
「風土」というものは、この2つのプロジェクトの交錯から誕生するものです。トポスとエトスの混交。それこそが風土を作り、都市を作り、人間を作る。