屋島を挟んで源平の船が並ぶ。このとき平家は一隻の船を出して、そこに扇の的を掲げた。源氏は、それを見て、弓の名手・那須与一を出す。もし的を外せば、死ぬしかない。決死の覚悟で「南無八幡大菩薩」と呟き、那須与一は矢を放ち、見事に扇の的を射ぬく。天晴。すると平家はなにもいわずに海域から去っていく・・・。
同等の、2つの力が対峙したときに、自然発生した事件。これは一種の神事です。ここにあるのは論理ではなく、人智を超えた「祭」の力。この有無をいわさぬ説得力。
どうしようもない、愚かな人間の争いを収めるのは、政治ではなく、祭だったりします。つまり、祈りや願いが、人間社会には絶対に必要ということです。
こういう知恵もあるんですが・・・。
さらば豊島。また会う日まで会える時まで(きよひこおざき)
「大阪あそ歩」が観光庁長官表彰を受賞!!記念の特別まち歩きを実施します!
https://www.osaka-asobo.jp/news#90
このたび「大阪あそ歩」が観光庁長官表彰を受賞しました!そこで普段から「大阪あそ歩」を支持、応援いただいている参加者、関係者の皆様方への感謝の気持ちを込めて、記念の特別まち歩きを実施します!大阪あそ歩のまち歩きは、通常は参加費が必要ですが受賞記念まち歩きは無料で実施いたしますので、まだ「大阪あそ歩」を体験したことがないという方も、ぜひこの機会に是非ご参加ください!詳細情報、参加ご予約につきましては以下のリンクをご覧ください。
■11/1(月)10時
2008年秋、「大阪あそ歩」はこうして始まった!
「異文化のまち・コリアタウン」~日本最古の橋から猪飼野、御幸通まで~
■11/1(月)14時
2008年秋、「大阪あそ歩」はこうして始まった!
「祈りのまち・住吉を歩く」~1800年の歴史を刻む住吉津の物語~
■11/17(土)10時
御堂筋には不思議がいっぱい!~キタからミナミへ謎解きの道~キタルート編
■11/17(土)14時
御堂筋には不思議がいっぱい!~キタからミナミへ謎解きの道~ミナミルート編
皆様のご参加を、心よりお待ちしております!^^
精華大学の学生さんにプロデュース論をやる仕事が来たと思ったら、今度は西宮の今津高校の生徒らに大阪・千日前のまち歩きの特別講師の仕事が決まりました。ありがたい話なんですが、大学、高校にいってない自分が(15のぼくは高校、大学なんか入っても意味ない!と思ってたわけですから)大学生、高校生に何事か教えるというのは、じつに奇妙な気分でして・・・まぁ、日本の教育現場が変わりつつあるということなんでしょうか。
「個々人にとって人生の各瞬間を、学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える可能性を高めるような教育のネットワークをこそ求めるべきなのである」
イヴァン・イリッチの『脱学校の社会』より。蓋し名言。然り。然り。然り。
ぼくは「大阪生まれ・堺育ち」で「堺と大阪のハーフ」であることが密かに自慢なんですが。この2つの商業都市は似てるようでまったく違う。いろいろと違いはあるんですが、決定的なのは成立した時代が違うんですな。つまり堺は血で血を争う戦国時代の商業都市であり、大坂は天下泰平の江戸時代の商業都市であること。
人を殺す道具(武具、鉄砲)で儲かったのが堺です。「死の商人のまち」であったこと。お金を儲けることは、つまり人を殺すことだった。これが堺の町衆のメンタリティに非常に大きな影響を及ぼしてます。こういう都市であったからでこそ、あの千利休の「数寄」の茶道が誕生してきます。
人生七十 (じんせいしちじゅう)
力囲希咄 (りきいきとつ)
吾這寶剣 (わがこのほうけん)
祖佛共殺 (そぶつともにころす)
堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち)
今此時ぞ天に抛 (いまこのときぞてんになげうつ)
天正19仲春二五日 利休宗易居士
この『利休遺偈』の激しさ。深さ。怖さ。白刃の上を歩くかのような、ぎりぎりの覚悟を持って、商いや侘び茶をやっていたのが堺の町衆です。だから江戸幕府ができて、天下泰平になったさいに、堺はほっと肩の荷を下ろしてしまった。そして、ようやく普通のまちになれる、というんで、以後、商業都市を目指すことはなくなり、その座を大坂に明け渡しました。
大坂は、そういう意味では恵まれた時代に発展した商業都市です。お気楽な拝金主義が生まれたのも大坂で、しかしそれが元禄バブルの崩壊で一夜の夢と化す・・・ということを経験したのも大坂。その栄光と挫折から大坂に「粋」(すい)や「心中」の文化が生まれてくるわけです。
このあたりのことを踏まえて、堺と大坂の都市比較論をいっぺんやってみたいんですが・・・。
南三陸町を襲った津波の高さは20メートルほどにも達したとか。ビルの4階から5階ほどです。堤防の高さは5.5メートルほどでした。
写真は残った堤防の上から。
大都市の中のコミュニティは、戦後半世紀を経て完全に定着し、古ぼけたものになってきていて、そこでなにか新しい人間(よそもん、わかもん、ばかもん)がアクションを起こそうとしても、「一体なにをしてるんや?やめてくれ」というような冷たい拒否反応が返ってくる。
逆に衰退しきった村落コミュニティ・・・極端な例をいえば限界集落まで追い込まれているコミュニティなどに、わかもん、よそもん、ばかもんがやってくると、「どうせなにをやっても状況は変わらないし、まぁ、やってみましょうか」と意外に柔軟で弾力性のある反応が返ってきたりする。
本来、都市コミュニティというのは村落コミュニティから外れた流れ者(戦後日本でいえば、長男だけは先祖代々の家を継いで、家にいられなくなった次男、三男、四男、五男などは、夜行列車に乗って10時間かけて、集団就職で東京や大阪にやってきた時代というのがありました。彼らは要するに村落コミュニティを追われた流れ者たちです)がやってくるところでしたが、そちらが硬直化(田舎っぽくなっている)していき、逆に田舎であるはずの村落コミュニティが、流れ者を受け入れるベクトルに向かって、要するに都市的な許容性を有している。
硬直化した都市に未来はないです。むしろ限界集落の中にこそ、新しいコミュニティ形成の可能性がある・・・という話。
元々、古代のオリンピックはオリンピア信仰の祭典でした。そこでは雷神ゼウスや太陽神アポロン、海神ポセイドンなどのギリシャ信仰の神々への感謝と祈りが捧げられた。
「雷」や「太陽」や「海」といった身近な、しかし人力では到底コントロールできない自然現象を統べる「超自然」の存在として人格神を崇め奉るという古代ギリシャ信仰は、人類の思想哲学史から俯瞰すれば素朴で原始的な信仰体系だといえます。神の姿形は人間ですが、本質的な部分では「自然賛美」で、これは例えば「太陽神の使いが鳥だ」とか「雨を掌るのは蛇である」とか、そういった全人類に共通する「ネイティブ・ウィズダム」の信仰体系に近しいわけです。つまり「ネイティブ・ウィズダム」とギリシャ信仰の差は超自然の具現化が人間か?動物か?という差ともいえます。いや人間だって動物ですから、そういう意味でいえば差異はほとんど見受けられない。
ただ、太陽や海や雷といった超自然的な神々の具現を人間的な偶像として捉えなおすことで、この信仰体系は非常に面白い、ユニークな傾向を兼ね備えることになりました。つまり人間(自然)を越えた超人間(超自然)=「肉体賛美」という思想の出現です。こういう思想は古代インド(密教、仏教)、古代中国(儒教、道教)にはなく、キリスト教なんてのも肉体を卑下する信仰体系でしたから(十字架に磔刑にされるイエス・キリストの貧弱な身体は古代ギリシャ人なら鼻で笑いますな)、こうした信仰体系を背景にして「超人間たちの聖なる戦い」としての古代オリンピックが登場してきたわけです。だから古代オリンピックはギリシャ民族のみに許された神聖なる儀式で、他民族や奴隷なんかは参加できませんでした。たまに混同する人がいますが、他民族や奴隷をライオンと戦わせたり、キリスト教徒の公開処刑といった残虐な行為をやっていたのは古代ローマのコロッセオ(円形闘技場)で、これは古代ローマ市民の娯楽(!?)で宗教儀礼のオリンピックとは全然違うわけです。ちなみに肉体を卑下するキリスト教がローマ帝国の国教になったときに古代ギリシャ信仰に裏づけされた古代オリンピックは、その1000年以上の長きに渡る伝統と歴史を否定されて「異教徒の祭典」と指弾されて、この地球上から滅びました。
19世紀末にフランスの教育者クーベルタン男爵の提唱によって始められた近代オリンピック(アテネ・オリンピック 1896年~)は、古代ギリシャ信仰のような「超自然の神々への祈りや感謝」なんて思想はまったくありません。そこにあるのはナショナリズムとキャピタリズムの祭典。オリンピック選手は相手に勝利すると表彰台に上って金・銀・銅のメダルをかけられますが、その瞬間、国歌が流れ、国旗が高々と掲揚される。またあらゆる選手はスポンサー企業の公告塔にもなってます。これはオリンピック(オリンピアの宮殿。そこはゼウスの宮殿です)の名前を借りてますが、まったくもって別のもので、これを「オリンピック」と名づけることは、ぼくは古代ギリシャ信仰への冒涜ではないか?と思えるんですな。
もうちょっと近代オリンピックは、古代オリンピックに敬意を払ってもいい思います。それが出来ないなら、オリンピックの名前は、外したほうがええ思います。「ナショナリズムとキャピタリズムの祭典」はあってもええと思いますけど(ぼくはあまりそんなのに興味ないですが・・・)それを「オリンピック」と称することへの違和感。古代オリンピック(古代ギリシャ文明)への強烈な憧憬があるだけに、ぼくは近代オリンピックをなかなか素直に楽しめないですな。
江戸では男の子が産まれると盛大にお祝いしました。男系とか血を重視する武家社会ですからな。跡取息子ができて、これでお家は安泰というわけです。
浪華は逆で女の子が産まれると盛大にお祝いしました。なんで男の子やとあかんのか?浪華は商家文化です。主人は商いだけやのうて遊びもやれて一人前。ところが、この遊びの修行が難しい。男の子やと、とくに失敗する。商いをほっぽりだして遊びにばっかり精を出す。アホボン(アホなお坊ちゃま)になる可能性がある。そうなると家がつぶれる。男の子だけは産んでくれるな。
これが女の子やと遊びの修行は必要ないですな。そして年の頃になれば廻りを探し回って「ええ婿」を取ればいい。商いもできて、遊びもできるという優秀な手代を発見して、それと娘を結びつけることができたら、家は安泰。血よりも実力。「婿を選べる」というのが、浪華商人には喜ばれた。
ちなみに、では、浪華商人の家にアホボンが産まれたらどうしたか?というと、落ちぶれた武家から株を買ってました。「武士株」というのがあって、これを購入すると、なにもしなくても幕府から僅かながらお給金がもらえる。それで生活させた。貧乏にはなりますが商家よりも武家のほうが位は上。アホボンは一種の名誉職の武士にしてしまって、実家の商いには手を出させない(お小遣いをせびってきても、あげない)。そして商家のほうは優秀な手代を「養子」にしてしまって跡を継がせた。やれやれ。これで家は安泰・・・というわけですな。
友人は長女が生まれました。ええ婿をみつけてほしいですな。って気が早いかw
そうだ。文楽をみにいこう。
世界中に人形劇はありますが、人形一体に人間が3人ついて・・・なんて贅沢な人形劇は文楽のみです。人形でもない。人間でもない。独特の世界観。
また、ダ・ヴィンチの『モナリザ』って中間表情といいます。笑ってるのか、哀しいような、ようわからん表情。文楽人形にも、この「中間表情」があります。顔は動かしません。人形ですから。しかし手足の動きや、伏せったり、のけぞったりして、光と闇の加減で、人形は時には泣いているように、時には喜んでいるように、見えてくる。感じられる。
ダ・ヴィンチは、「モナリザの微笑み」の中に、喜怒哀楽を超えた人間のカオスな、中間表情の美を発見した。世界第一級の審美眼です。しかし、文楽はもっとすごい。だって中間表情の人形が動くわけですから。そして人間の感情表現の襞の襞までを、リアルに表現する。えらいことや思いませんか?そういう文楽を生み出した大阪人の芸術センスを、ぼくは心から誇りに思ってます。
だから、文楽をみにいこう。