健全な植物や動物の社会が成り立つ鍵は「多様性の維持」にある。
イギリスの生物学者チャールズ・エルトンの言葉です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/チャールズ・エルトン
これは何も動植物の世界だけに限らず、人間社会においても全く同じ事で、多様性の獲得によってこそ、その社会は持続発展が可能です。
ぼくがアホみたいにまち歩きコースを作るのは、それが大阪のまちの多様性を顕在化させる手段であるからで、そうやって大阪のまちの多様性を認め合って、許容しあって、楽しむことに繋げて、それが現在の大阪のまちが抱える諸問題(これは大阪のみならず、全国各地の都市が抱える、日本社会全体が内包する閉塞的構造なんですが)を打破する、最も有効的な方法論であるから。
ローカリティ、マイノリティこそが、社会全体の価値を底上げします。ぼくの仕事とは、そういった多様性の獲得であり、Diversity Managementに他なりません。また有り難いことに、大阪のまちには、歴史や文化や宗教や物語やナンセンスや落書きや妖怪や曖昧模糊やトマソンや魑魅魍魎やハプニングや複雑怪奇やらが、わんさかあるんですなww もう百花繚乱咲き乱れていて、その「豊潤さ」に頭がクラクラします。
ネタには困らない。ほんとに困りません。ただ、書く時間がないww
高野山は挫折したことがない宗教なんですな。信長は比叡山は焼き討ちしましたが、高野山はその直前に本能寺の変で横死。山奥ですから太平洋戦争の空襲にも遭わなかった。空海の時代から1200年間、何人にも犯されずに法燈を守り続けている。ぼくは高野山の立地の場所が正解だったと思ってます。世俗、権力が入るにはあまりにも山奥過ぎる。空海の宗教的スタンスを感じます。世人とは隔絶した、超人、天才の宗教。
大阪・八尾にある物部守屋の墓。国道25号線沿いで、これは昔でいえば竜田越奈良街道になります。ここからまっすぐ西に向かえば四天王寺で、東に向かえば法隆寺です。
じつは、この守屋の墓で注目してほしいのが玉垣です。日本全国の大社・神社が玉垣を寄進してるんですな。神社本庁(伊勢神宮)から住吉大社、大鳥大社、熊野那智大社、石上神宮、伏見稲荷神社、春日大社、八坂神社、多賀大社、宗像大社、諏訪大社、太宰府天満宮、平安神宮、方違神社・・・これ、はじめてみたときは、あまりの衝撃で絶句しました。単なる神道派の豪族という扱いではないです。まるで神道を統べる古代の祭祀王のような・・・。
物部守屋とは一体なにものだったのか?蘇我・物部戦争とは一体なんだったのか?大阪はこういうのが平然と転がってるから怖いですな。深い。
明治維新で京都は死にました。天皇家が東京に遷都した時点で、京都の歴史的意義は終焉を迎えたわけです。
現在の祇園祭の巡行のさいに長刀鉾は決して「御所」の方角に刃を向けません。祇園祭とは天皇家を中心とした怨霊払いの祭礼であるからです。とある鉾の保存会の人に取材したときに、その人はそれをいかにも自慢のようにいったりもしました。 ぼくもはじめて聞いたときは思わず「へ~」と感心したんですが、しかし、よくよく考えると、これ、おかしいんです。というのも御所の方角にはすでに天皇家はいません。天皇陛下は東京にいます。京都から東京は東の方向にあって長刀鉾は東の方角にも刃を向けます。長刀鉾は御所には刃を向けませんが天皇家に刃を向けていることになります。しかし、そういうことを誰も口に出していわない。見てないふりをする。なんだか、不思議な話だなと思ってますが、京都というのはそういう生き方を選んだ都市で、これはこれでぼくはスゴイことだと思ってます。
御所は春と秋に一般公開をしまして、それを見に行ったこともあるんですが、「主のいない宮殿」のなんとうつろなことか。要するに京都という町のど真ん中(御所)は「真空」でして。なにもない。からっぽ。祇園祭のあのすさまじい巨大な熱狂の渦。エネルギー。その中心が「空」であること。「無」であること。ぼくはここに京都という都市のすごさ、恐ろしさを見出します。ある意味で、京都の人は常に「危機意識」をもっています。「千年王都の虚像」を必死に追っている。天皇家(東京)は変わっていくのに、京都は変わらない。変われない、とも言い換えることができますが。
時代祭ってのは明治維新以後にできました。天皇家が去って京都は見るも無残な精神的ショックをうけて、このままではいけない、「第2の奈良になるな!」(ほんとにそういったらしいですww)とシュプレコールを上げて「時代祭」という奇妙奇天烈な懐古主義の祭礼をはじめた。はっきりいえばコスプレ大会のような祭りなんですが、100年たって、いまでは葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭の座を占めています。集客数も10万人以上に及ぶとか(個人的にはこれを京都三大祭ということに大いに抵抗を覚えてますが…)。「危機意識」「天皇コンプレックス」が時代祭を生んで平成の現在になっても京都の「まちづくり」を育んでいる。ぼくは京都は御所が「からっぽ」である限り、発展し続けると思ってます。なまじっか京都に天皇家が帰ってきたら、ある意味では現在のユニークな京都文化は終わるでしょう。安心して、安住して、歩みを止めます。「完成された都市」は斜陽化して没落していきます。完成していない、未完の都市だからでこそ未来に向かって発展していく。
御所がブラックホールのように、あらゆるエネルギーを吸い込んで、しかも満たされることがない。そんな都市構造が、今日的な京都の性格と特性を作ってます。
大阪は「日本最大の宗教都市」です。
2005年度に文化庁が発行した「宗教年鑑」によると、日本全国の都道府県で、もっとも寺社の数が多いのは愛知県(4844)ですが、2位にランクインするのがじつは大阪府(3402)。3位にランクインするのが兵庫県(3319)で、町のあちこちに寺社が立ち並んでいるイメージの京都府が、実は5位(3102)で大阪、兵庫のほうが寺社の数が多いことは、あまり知られていない事実です。
さらに「都道府県の面積比」で考えれば兵庫県(3319寺院 県面積8393km²)、愛知県(4844寺院 県面積5162km²)、京都府(3102寺院 府面積4612km²)、大阪府(3402寺院 府面積1896km²)・・・兵庫や愛知、京都の広大な面積と比べると、いかに大阪が狭い府面積のわりに、寺社の数が突出しているのかが、よう解ります。ぼくが 「日本最大の宗教都市は大阪である!」と熱弁しても、あながち過言でも虚言でもないわけです(笑)
寺院で開催される最も大きな宗教祭事のひとつが「盂蘭盆会」(お盆)。これは先祖や、自分より先に死んでしまった人たち(無縁仏を含めて)を敬い、慈しみ、感謝しようというもの。得てして大阪人というと「阪神」「粉もん」「お笑い」好きのコテコテのラテン民族、「安けりゃなんでもいい」の拝金主義といった妙なパブリック・イメージがあるようですが、実はとても敬虔で、真摯で、誠実な、慎み深い、宗教民族なのだと僕は思っています。
画像は四天王寺さんの盂蘭盆会万燈供養会。
昨日は「大阪七墓参り」ご参加ありがとうございました。しかし、6時から11時半までで、大幅にタイムスケジュールが遅れました。ほんとうにごめんなさい。
大阪七墓参りは、「都市民俗学」ではなくて「都市民俗を継承する」という、日本の民俗学史上に、かつてなかった、エポックメイキングな出来事でした。学問として、民俗学をやる人は世の中にいっぱいいます。村の祭りを調べたり、寄り合いを見たりという人は。しかし柳田も折口も宮本さんも、基本的には「傍観者」であって「当事者」ではないんです。死体解剖みたいな民俗学は、ぼくは興味がなくて、ぼくらこそが主役となって、生きている都市民俗をやれるなず、と思ったし、やりたかった。その願いは適いました。ほんとうにありがとうございました。
七墓参りは、大阪が産んだ都市文化、都市遊戯として、これからもやっていきます。そのうち肝試しでも、デートコースにでも、なればいい!と本気で思ってます。フォロワーが生まれて、みんなが銘々にやりだせば、成功です。庶民ってそういうもんです。自由で、雑多で、カオスで、面白い。「おれならこういう風に七墓を参るぜ!」みたいな余裕と遊びが生まれてほしい。じつに大阪的です。
とりとめのないメッセージになりました。とにかく無事に終わってよかったと思ってます。また大阪のまちを舞台にした遊びをいろいろと企画していきますので、よろしければ、ご参加ください。あ。こんなに歩くことは、もうないと思います。来年の七墓参りまでは(笑)
むつさとし拝
太平洋戦争前夜。アメリカと戦争をするかどうか?という会議の話。
総理大臣兼陸軍大将の東條英機があまりにも勇ましいので、当時の海軍大将の嶋田繁太郎は「いまの海軍の鉄量ではとてもじゃないがアメリカとは戦争なんてできない!」と抗弁しました。すると東条は「では陸軍の鉄の分を半分回せばいいのか?」。ここで嶋田は躊躇しました。もしここで「それでもできない」といえば東条のことだから「では海軍に鉄を使わせるのは無駄である!膠着している中国戦線を打破するために、すべての鉄を陸軍に回す!」と言い出しかねない…。
多少、鉄の配給が増えたくらいで、アメリカに勝てるわけがないということは、嶋田には当然の如くに判っていたんですが、海軍大将として「陸軍に負けてなるものか」という海軍の面子、組織利益が最優先してしまい、それが結果として陸軍は大陸で、海軍は太平洋で…という二面戦争を展開することになりました。自分たちの省益のみを考えて、国家を蔑ろにして無謀な戦争を拡大し続けて、ついには亡国に至る。官僚が暴走すると、国は滅びるという典型的な一例です。
「官僚は自分が所属する省庁の利益だけを追い求め、国全体のバランスを考えない」「省益のためなら国益すら軽んじる」…これ、別に太平洋戦争の話に留まりません。戦後日本もまったく同じことでした。「道路を作らないと!」「ダムを作れ!」「空港がいるぞ!」「新幹線だ!」「コメを守れ!」「労働者保護だ!」「医療保険だ!」「中小企業第一!」「大企業優遇!」と、各省庁が各省庁の論理で国家予算のブンどりに躍起になった結果、国家予算の総額では到底足りなくなって、国債を発行して、発行して、発行して、いまや空前絶後の、未曾有の国債発行総額900兆円です。
ほんまはこういう事態に陥ったときは、国民から選ばれた政治家が「金が足らんのや!ええ加減にせえ!」とブレーキ役を担わないといけないんですが、官僚に取り込まれて「族議員化」してしまい、一緒になって「金を出せ!国債を発行しろ!」と旗降ってたんだから、いかんともしがたいです。官僚の手先になるんだったら政治家の存在意義はありません。
なにはともあれ「日本の病理=官僚統制国家体制」は、戦前も戦後も、じつはまったく変わっていないということです。1945年のヒロシマ、ナガサキの悲劇は、日本の戦前の軍事官僚の暴走が招いた結果でしたが、ぼくは、2011年のフクシマの悲劇だって、日本の戦後の経済官僚の暴走が招いた結果というように感じています。
今日は8月15日。終戦記念日。われわれは、あの戦争から、なにを学んだのか?なにを学ばなければいけないのか?もう一度、ちゃんと、改めて、マジメに、誠実に、向き合いたいと思ってます。合掌。
阪神電車いうんは、文字通り大阪と神戸を結ぶ電車です。都市と都市とを結ぶ、当たり前の、当然の、大衆の需要にお答えした電車です。現実的で堅実でリアル。足。交通機関。
対する阪急いうんは元は「箕面有馬鉄道」。箕面の滝と有馬温泉を結ぶ電車からスタートしました。滝も温泉も風光明媚な景勝地。人間なんて住んでません。猿しかいなかった。これ、ほんまです。そんなところに鉄道を通して電車を走らせた。
やったのは阪急創業者の小林一三。当時の鉄道経営のセオリーから言えば常識外れ。横紙破りです。しかし小林一三はやった。田舎に鉄道を走らせ、同時に駅周辺の土地を買い漁り(なんせ田舎だから安い)そこに新興住宅を開発して「サラリーマンでも月賦払いでマイホームが持てまっせ!」とやった。これが当たったんですな。俗に言う郊外都市構想。または田園都市構想。住むとこ(職場)と働くとこ(住居)を分けた。職住分離のはじまり。
さらに小林一三は、何もない新興土地では面白くないと、エンターテイメント施設を人工的に作り上げることを思いつきます。そこではじめたのが宝塚少女歌劇団。これは大阪ミナミ、宗右衛門町の芸妓学校がヒントでした。これまた大ヒットして、やがて東京宝塚→東宝が出来て映画興行の世界にも進出していきます。
小林一三曰く「乗客は電車が創造する」。乗客がいるとこに電車を走らせるのではなく、まず電車を走らせ、その後、そこに乗客を載せるために、あの手この手のまちづくりに着手する。逆転の発想ですな。
阪急電車はだから、良いようにいえば夢があります。憧れがあります。新興住宅。マイホーム。週末には家族団欒で明るく楽しい宝塚歌劇へ。東宝映画へ。しかし悪いようにいえば地に足がついてないんですな。生活がない。フワフワしてる。リアルじゃない。妙な浮遊感に包まれている。それが阪急電車の特徴です。
神戸ってまちは、そんな性格差、思想差のある阪神電車と阪急電車が東西を併走している。その面白さがあります。落差。ギャップ。これは大阪や京都、東京、他都市には、なかなか見受けられません。
まちを歩くことは、まちの土霊を呼び起こします。神道では「あらればしり」(阿良礼走)というのですが。大地を歩いて、踏みしめて、ときには踊って、土地の霊を呼び起こして鎮魂する。だからまち歩きは「まち起し」でありますが、また「まち鎮め」でもあります。「まち起し」をする人はようさんいますが「まち鎮め」の重要性は誰もいわない。ほんまは「まち起し」と「まち鎮め」がワンセットにならないと「まちづくり」は成功しないんです。少なくとも、ぼくはそういう思いでまち歩きをやってます。