日の出を祭る聖地=兎我野
ふと大阪市北区を歩いていて「兎我野」という地名が気になりました。調べてみると面白い。なんでも兎我野の地名の由来には諸説あるんですが、古代朝鮮の都祈野(ときの)と関連しているのでは?という説があるそうです。都祈は「とが」「つげ」と読んで、これは古代新羅語で「日の出」を意味する言葉とか。つまり兎我野、都祈野とは「日の出を祭る聖地」という意味になります。
ほんまかどうかはわかりませんが、ほんまやったらおもろいですな。
ふと大阪市北区を歩いていて「兎我野」という地名が気になりました。調べてみると面白い。なんでも兎我野の地名の由来には諸説あるんですが、古代朝鮮の都祈野(ときの)と関連しているのでは?という説があるそうです。都祈は「とが」「つげ」と読んで、これは古代新羅語で「日の出」を意味する言葉とか。つまり兎我野、都祈野とは「日の出を祭る聖地」という意味になります。
ほんまかどうかはわかりませんが、ほんまやったらおもろいですな。
相撲の後援者を意味する「タニマチ」。その語源には色んな説がありますが、そのうちの1つが谷町4丁目で薄病院を開業していた薄恕一(1866~1956)氏に由来するというもの。
氏は病院内に土俵を設けるほどの相撲好きで、幕下力士を無料で治療したり、小遣いを与え、「貧乏人は無料、生活できる人は薬代一日四銭、金持ちは二倍でも三倍でも払ってくれ」と言う方針を貫いたとか。
ここまでは割と有名な話なんですが、面白いのが、この薄恕一氏が天才作家・直木三十五の叔父である康治(医者。若くして病没)と非常に仲が良くて、直木三十五の世話も見たとか。直木三十五が借金だらけの時に奈良・吉野の小学校の代用教員の職を与えたりしているんです。後年には「自分がこうして生きていられるのは薄先生のおかげ」というような感謝の一文まで残しています。
べつに薄恕一と直木三十五は親戚でもなんでもありません。もちろん直木三十五は相撲取りでもありません。単なる友人の甥っ子。しかし、知人が困っていたら、なんとか世話をしようとする。「タニマチ」という言葉は、相撲の後援者だけを意味する言葉ではなくて、大阪人の「弱きを祐ける美徳」を現す言葉として、ぼくは誇りに思っています。
野里の渡し。野里住吉神社にて。
かつては当地界隈には中津川が流れていました。中津川は戦国時代、細川家、三好家の激戦地となり、ここの川中で戦死した島村何某の霊が乗り移った「島村蟹」というカニが出たそうです。恐ろしい形相の人面蟹の妖怪なんですが、江戸時代になると「野里村名産」になってまして。食べると美味しかったとか。
げに恐るべきは妖怪ならぬ大坂人の食欲。大坂人は妖怪も食べる(笑)
大阪日日新聞さんの「関西あそ歩」堺コースの同行取材記事です。感謝!
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/101022/20101022030.html
パワーアップし楽しく
今秋も「大阪は“まち”がほんまにおもしろい!」を合言葉に、市民らがまち歩きを楽しむ「大阪あそ歩」が始まった。まち歩きコースは102にも上る。今回は大阪あそ歩がパワーアップし、鉄道を利用して関西の四つの政令指定都市のまち歩きを楽しむ「関西あそ歩」の堺市を巡るコースに参加した。
スタート地点は南海電鉄「堺市駅」。夏の名残を感じさせるほどの陽気の中、地元でまち歩きなどのガイドを務めるNPO法人堺観光ボランティア協会の理事、福井洋子さん(62)を先頭に早速、出発した。
堺市は戦国時代には貿易港として栄え、当時の商人らは外敵の侵入を防ぐため環濠(かんごう)を造った。駅から歩くとほどなくたどり着いたのは内川。大和川の付け替えで土砂が堆積(たいせき)したために造られた堀だ。船で巡ることができ、川沿いにはサクラが植えられ、福井さんは「春の環濠巡りはすてき」と紹介してくれた。
内川を越えた場所にあるのはザビエル公園。1550年に堺に来たイエズス会の宣教師・フランシスコ・ザビエルをもてなした豪商・日比屋了慶の屋敷跡に造られたという。
先を進むと、大阪市内と堺市の浜寺駅前を結ぶ阪堺電車の車両が見えてきた。その阪堺電車の線路が通っているのが「大道筋」。福井さんは「50メートルの幅がある道路で、御堂筋よりも4メートル広いんです」とどこか誇らしげに話した。
この後、堺刃物伝統産業館や、1868年に堺港に上陸したフランス軍艦の兵士と土佐藩の殺傷事件(堺事件)で土佐藩士が切腹した地として知られる妙国寺などを巡った。
1872年創業で、戦後間もないころの法隆寺の大改修の際、国宝・五重塔九輪の「魔除け鎌」を鍛造した水野鍛錬所も訪ね、5代目の水野淳さん(33)から日本刀や包丁の製造法などの説明を受けた。
参加した阿倍野区の宮下勝彦さん(65)は「水野鍛錬所で包丁などを作る大変さが分かって良かった」と話していた。
○…大阪あそ歩のコースには、これまで何度か同行させてもらっている。しかしコースは大阪市内で、今回、関西あそ歩に初めて参加させてもらい、堺市のまち歩きを堪能した。福井さんの人柄の温かさが伝わるガイドぶりに接し、関西あそ歩の今後の発展も間違いないと思った。
日本、中国、韓国の民族、文化、社会の違いを如実に反映するのが、日本仏教、中国仏教、韓国仏教だと考えてます。この3つの仏教を丹念に調べれば面白いことがわかるはず。
これは例えば儒教ではNGでしょう。儒教は中国発祥の思想で、中国には「元祖」の気負いがあり、比較が難しい。日本儒教、中国儒教、韓国儒教を比較しても、その民族性を浮き彫りにすることは可能ですが、それよりも仏教のほうが題材としては良い。なぜならば仏教は遠く「インド発祥」で、日本も中国も韓国も「外来のもの」として受容した文化ですから。仏教という思想、哲学、イデオロギーに対する消化具合と取捨選択・・・つまり「なにを受け入れて、なにを捨て去ったのか?」が判れば、日本人、中国人、韓国人の相違がわかりやすい。
たとえば中国仏教、韓国仏教では僧侶の「妻帯OK」「肉食OK」はまず考えられないとか(もちろんインド仏教にもないのですが)。しかし日本仏教の僧侶だけは、それが可能でした。日本人は中国人、韓国人よりも好色で快楽主義者ということかもしれません(笑)
また日本仏教では、僧侶が武器を手に持って「僧兵化」しました。世俗権力に対抗して独立国家のようになり、白河法皇が「天下の三不如意」として「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたほどの権勢を誇りました。仏教者の武装化も中国、韓国ではあまり例がないようです。これは中国人、韓国人は文治主義で、日本人は武治主義といえるかも知れません。
どれだけの人間が仏教を信仰しているのか?というのも興味深い比較対照になりそうです。『当代中国人宗教信仰調査』によれば、中国人の宗教人口(信仰をもっている人)は31.4パーセントで、そのうち仏教は52.7パーセント。要するに中国全体では約17.5パーセントの仏教者がいます。また韓国は総計庁の調査によると、22.8パーセントの人が仏教を信仰しているとか。中国と韓国の国全体に対する仏教信仰者の割合は、それほど変動がないんですな。
ところが日本における仏教者数は文部科学省の『宗教統計調査』によると約8900万人。つまり日本人の総人口の約70パーセントが仏教を信仰しているとか。日本は70パーセント、中国は17.5パーセント、韓国は22.8パーセント・・・この比率を外来文化に対する「消化度」として考えれば、日本人は非常に柔軟であるといえますし、反面、自国の伝統文化に対して無頓着で、無節操で、無理解ともいえます。
門外漢のぼくには、日中韓の仏教の教義の相違などは判りませんが、もっと詳細に調べれば色んな興味深いデータが出てくるでしょう。日中韓の仏教を詳細に調べることで日中韓の民族性、文化性、社会性の特異が判明して、そこから相互理解が深まる。
国際交流の時代です。日中韓には縁(よすが)が必要です。その役割を仏教が果たせるかも知れない。21世紀の東アジアの仏教の可能性として、ぼくは期待してます。
イギリスは早いですな。
【英、4年で公務員49万人削減へ…全体の8%】
英国のオズボーン財務相は20日、財政赤字の削減を目指して、2011~14年度に公務員を約49万人(全体の約8%相当)減らすことなどを盛り込んだ財政に関する報告書「歳出再評価」を議会で発表した。6月に公表した財政再建策のうち、歳出削減の詳細を明らかにしたもので、戦後最大規模の歳出カットとなる。
再建策は無駄な支出見直しを柱に据えた。公務員給与の引き上げを2年間凍結し、人員削減も含め、中央省庁の行政経費を4年間で約3分の1、計59億ポンド(約7600億円)を減らす。福祉関連では、13年1月から高額所得者向けの子ども手当を廃止し、年25億ポンドを浮かせる。発表に先立ち、19日にはキャメロン首相が、国防費を14年度までに8%減らすことも表明した。
(2010年10月21日00時35分 読売新聞)
9世紀、空海は留学生として入唐して密教の経典を入手、それをごっそりと日本にもってきました。
密教はルーツを辿ればバラモン教で、仏教以前のインド土俗の宗教です。バラモン教には釈迦は登場しません。「宇宙とはいかなるものであるか?」という生命の根源的なものを問う宗教で、「曼荼羅(マンダラ)」(元はバラモン教のもので、ようわからん幾何学模様でしたが、仏教に取り入れられると、仏などが描かれるようになりました)というのは、そのシンボリックであり、図案化だそうです。
宗教は先発のものは素朴で大雑把で大袈裟でテキトーで、後発はそのアンチテーゼとして登場するので、理論武装してロジックが優先します。バラモン教も仏教、儒教よりもスケールは大きかったようですが、それだけ整合性はなく、カオスで、破綻していました。
そんなバラモン教が中国に渡ったときも、中国人は、まったく興味を覚えなかったようです。中国人は良くも悪くも現世的で合理主義者ですから、目に見える山川草木花鳥風月はこよなく愛しますが、「宇宙」なんてものを説く宗教には大して感心をもたなかった。体質に合わなかったんでしょう。一部の好事家が、趣味的に「これはなかなか面白い」なんて手慰みにしていただけで、空海の時代には完全に廃れていました。
ところが、そのバラモン教を唐で発見した空海は「これはすごい!」とひとりで大興奮して、本当であれば20年間の唐留学の予定だったのを、わずか2年で切り上げて、日本に持ち帰りました。空海の天才はここからで、空海はバラモン教を勉強しながら、その聡明すぎる頭脳で、見事に自分流に再構築して、完全完璧な宗教「真言密教」として完成させました。空海の真言密教には、一切、破綻がなく、隙間がありません。大雑把なバラモン教を圧縮、凝縮して、宝石のような結晶体(=真言密教)にしてしまった。宇宙を説くマクロのバラモン教から、一輪の蓮花のようなミクロの真言密教へ・・・それが空海の仕事でした。
また、空海は真言密教を、日本全国の庶民に齎らそうなんてことはしませんでした。宗教は分布しようと思うと、信者を獲得していこうとすると、どんどんと方便(ウソ)が必要になっていき、教義もダラダラしたものになっていきます。親鸞上人は「結婚しても魚食べても悪人でもOKでっせ!」なんてことをいってそれが庶民の教化に繋がりましたが、空海はそういうスタイルは取りませんでした。ある種の純粋さ(親鸞上人の場合はまた別の純粋さ・・・激しさ厳しさがあります)にこだわったんでしょう。
その代わりに空海は、紀州の山奥にある、蓮の花が開いたような山上盆地に、自分の理想の、見事な壇上伽藍を作り上げました。高度1000メートル以上の雲の上に、空中浮遊の、天空に漂うような、宗教都市「高野山」を作り上げた。じっさいに高野山は、比叡山焼き討ちのように権力者に焼かれたことがなく(秀吉は焼き討ちしようとしましたが木食応其上人との話し合いで簡単に決着しました)、米軍の空襲にも遭いませんでした。どこか世界から超越した、隔絶した宗教です。
また真言密教は、選ばれた者だけの、天才の宗教ともいえます。普通の庶民には真言密教はわかりません(笑)しかし「小規模でもいいから、完全無欠の世界を作り上げよう」という空海のベクトルは日本人的だと思っています。利休の茶室や、龍安寺の枯山水にも通じる、日本的なベクトル。
キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、大抵の世界の宗教は、マクロに拡大していきます。それがゆえに衝突する。しかし、空海の真言密教はミクロに展開していった。こういうベクトルの宗教があることは、世界にとって、救いになりうると思ってます。
もっともっと、世界に知られてほしい。空海のベクトル。
http://blog.voice-up.com/?eid=1614251
今日23時の「大阪ほんわかテレビ」で大阪あそ歩が紹介されます。
大阪ほんわかテレビ
http://www.ytv.co.jp/honwaka/
みなさん、よかったら見てください。
井原西鶴と近松門左衛門は、天和3年(1683)に起こった京の大経師意俊の妻おさんと手代の茂兵衛が密通して処刑されたという事件を題材に、それぞれ作品を創作しています。
西鶴は『好色五人女』(1686)の「中段に見る暦屋物語」で、近松は『大経師昔暦』(1715)ですが、同じ事件を扱っていながら、西鶴のおさんと近松のおさんとでは、まるで違った描かれ方をしています。つまり、近松はおさんを楽天的で情熱的な女性として描き、西鶴はおさんを倹約に励む働き者で、いかにも商家の妻という女性に描いてるんですな。
例えば、おさんが使用人の茂兵衛と不義になって駆け落ちするさいは、近松おさんは取るものも取らずに家を脱出する恋に生きる女性として描かれていますが、西鶴おさんは逃亡資金と今後の生活のために500両もの大金を持ち出してます。
当時、不義密通は極刑という時代です。近松おさんは既に死を覚悟した破滅的な逃亡者ですが、西鶴おさんはなんとか生き延びて男性と生活していくと考える、じつに逞しい女性なんですな。
西鶴のおさんか?近松のおさんか?さて、あなたは、どっち?(笑)