読売テレビ(YTV) 大阪ほんわかテレビ
http://blog.voice-up.com/?eid=1614251
今日23時の「大阪ほんわかテレビ」で大阪あそ歩が紹介されます。
大阪ほんわかテレビ
http://www.ytv.co.jp/honwaka/
みなさん、よかったら見てください。
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今日23時の「大阪ほんわかテレビ」で大阪あそ歩が紹介されます。
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井原西鶴と近松門左衛門は、天和3年(1683)に起こった京の大経師意俊の妻おさんと手代の茂兵衛が密通して処刑されたという事件を題材に、それぞれ作品を創作しています。
西鶴は『好色五人女』(1686)の「中段に見る暦屋物語」で、近松は『大経師昔暦』(1715)ですが、同じ事件を扱っていながら、西鶴のおさんと近松のおさんとでは、まるで違った描かれ方をしています。つまり、近松はおさんを楽天的で情熱的な女性として描き、西鶴はおさんを倹約に励む働き者で、いかにも商家の妻という女性に描いてるんですな。
例えば、おさんが使用人の茂兵衛と不義になって駆け落ちするさいは、近松おさんは取るものも取らずに家を脱出する恋に生きる女性として描かれていますが、西鶴おさんは逃亡資金と今後の生活のために500両もの大金を持ち出してます。
当時、不義密通は極刑という時代です。近松おさんは既に死を覚悟した破滅的な逃亡者ですが、西鶴おさんはなんとか生き延びて男性と生活していくと考える、じつに逞しい女性なんですな。
西鶴のおさんか?近松のおさんか?さて、あなたは、どっち?(笑)
西鶴は鎗屋町で生まれて
錫屋町で亡くなりました。
墓は誓願寺。
つまり大坂三郷やのうて
船場、島ノ内、天満やのうて
「上町者」でした。
上町から眺めると、大坂三郷のことがよう見えます。
高台に登りて見ればいろはにほ。
出自が人間の肝要を示す。
西鶴の文学は、まさしく上町文学や思いますな。
『銀壱匁の講中』より
人の分限になる事、仕合せといふは言葉、まことは面々の智恵才覚を以てかせぎ出し、其家栄ゆる事ぞかし。これ福の神のゑびす殿のまゝにもならぬ事也。大黒講をむすび、当地の手前よろしき者共集り、諸国の大名衆への御用銀の借入の内談を、酒宴遊興よりは増したる世の尉みとおもひ定めて、寄合座敷も色ちかき所をさつて、生玉、下寺町の客庵を借りて、毎月身体譣議にくれて、命の入日かたぶく老体ども、後世の事はわすれて、ただ利銀のかさなり、富貴になる事を楽しみける。
『闇の夜のわる口』より
大坂生玉のまつり、9月9日に定め置かれ幸はひ、家々に膾、焼ものもする日なり。我人の祝儀なれば、客人とてもあらず、年々に、こと徳つもりて、大分の事ぞかし。氏子の耗をかんがへ、神も、胸算用にて、かくはあそばし置かれし。
人の世は変わりませんな。西鶴は恐ろしい。
江戸時代、千日前は死刑場でした。江戸でいえば小塚原のようなとこで、磔柱が立ち並んで、獄門台には見せしめのために罪人の首が並びました。焼き場の煙は絶えず、昼でも人が通るとこやなかったそうで、大体、明治初期まで、そういう光景が続きました。
千日前から少し北に向かうと、所変わって道頓堀。ここは江戸時代は「道頓堀五座」というて、芝居小屋が並んでいました。船場の旦那衆が芸妓を連れて、道頓堀川戎橋を渡って、近松の浄瑠璃や藤十郎の歌舞伎を楽しみにやってきた。一番、大きな芝居小屋が角座で、この角座の楽屋からは獄門台のさらし首が見えたそうです。
大坂の芝居は、世話物で和事です。江戸芝居のような英雄悪漢傾城傾国が大活劇を繰り広げる!という荒事はしまへん。主人公は何の変哲もない一庶民で、金と色と欲と義理と人情の板ばさみ。犯してはならぬ罪咎に悩み、苦しみ、傷つけられ、最後は天網恢恢疎にして洩らさずの過酷な運命の裁きで、千日前の獄門台へと涙涙に送られていく。
大坂庶民は、道頓堀角座で、罪人たちのドラマに涙しました。その裏には、実際に千日前の獄門台が控えていて、芝居の主人公たち=哀れな罪人たちの末期が、リアルに、そこにあったんですな。ある意味、千日前刑場は最高の舞台演出であり、また裏を返せば、道頓堀の芝居は千日前の罪人たちに対する鎮魂歌であり、レクイエムだったわけです。
芝居なのか。真実なのか。わからない。虚実の皮膜こそが、もっとも面白い。芝居小屋と刑場。道頓堀と千日前というまちは、両隣りにあり、そういう関係です。大阪ミナミは、だから、恐ろしく、哀しく、美しい。
鳥居の原型のようなものは弥生時代の集落にもあります。それは渡り鳥の休み場所でした。渡り鳥がやってくることで、その集落に春や秋の、季節の到来が判明した。春は種を巻き、秋は稲を刈る。その合図が鳥居に集う渡り鳥。集落民たちは早く渡り鳥がやってくるようにと深く祈ったことでしょう。それが神社というサンクチュアリへと繋がっていく。
画像は坐摩神社の珍しい三鳥居。坐摩さんの神格の高さですな。
江戸時代の大坂。シビアな弱肉強食の町人世界を生き抜くには、才覚が頼りでした。では仮に豪商の家で、あまり出来のよくない、無能の跡取りがでた場合、どうするか?
答えは、売物に出ている侍株を買って、「禄取り」に仕立て上げる。侍はなにもしないでも給金がでます。それで生活を安定させて、跡取りを厄介払いにして、有能な次男坊や番頭、手代に店を継がせたといいます。
侍の中には生活に困窮したものは、その身分を売るものがいたわけですが、それを利用して事態を丸く収め、競争主義の町人世界を生き抜こうとした。これも大坂商人たちの知恵です。
http://www.sideriver.com/ec/products/detail.php?product_id=14346
120ページ、121ページに、大阪あそ歩が特集されています。感謝。