ミニマムな、シンプルな、ライフを得ようと思うなら、そこには「見立て」が必要です。一握の砂を須弥山と見立て、苔石と枯庭を九山八海と見立てるような。 要するに利休の心眼。昔の日本人は、それが自然(じねん)にできていたんですが。 生は質素に。心は豊穣に。