堺 ザビエル公園 「聖フランシスコ・ザヴィエル芳躅碑」
『天文十九年十二月 聖ザヴィエル 堺に上陸し 日比屋了慶の館に入った。
是れ 西洋文明傳来の始で 近世日本文化は 茲に花と匂った。』
ザビエルはスペイン人ではなく「バスク人」です。バスク人はスペイン北東からフランス南西部のピレネー山脈周辺の山岳民族で、後期旧石器時代から住み続け、ヨーロッパでも最も古い民族といわれています。ザビエルはスペイン・バスク地方のナバーラで生まれ、その地方貴族でした。そもそもザビエルという名前そのものがじつはバスク語で「新しい家」という意味やそうです。
当初は山岳民族でしたが、やがてイベリア半島北岸のビスケー湾に居住するバスク人が出てきて、彼らは11世紀頃にノルマン人と交流。そこで捕鯨の文化を学習してクジラを食べる民族になりました。やがて13世紀頃に大西洋に進出。16世紀にはバスク人の捕鯨技術は最盛期を迎えました。とくにクジラのヒゲが高値で売れたそうで、これは甲冑、帽子、コルセットの骨などの装飾品に利用されました。当時の上流階級の女性を締め上げていたコルセットはバスク人が捕鯨しないと誕生しなかったわけです。
ヨーロッパ社会では非常に珍しい捕鯨の民で、大西洋(外洋)で縦横無尽に活躍することが可能なほど、卓越した航海技術を有していたバスク人。このバスク人の中から世界史を揺るがす超一流の冒険家が生まれています。ファン・セバスティアン・エルカーノ。スペイン王国に仕えてフェルディナンド・マゼランの船団を指揮して、1522年、史上初となる世界周航を達成した男です。「世界周航を成し遂げた男はマゼラン」とよく言われますが、マゼランは途中のフィリピンで戦死してますから彼自身は世界一周を成し遂げていません。正確には「世界周航を成し遂げたのはマゼラン船団」で、それは船団を引き継いだエルカーノがいたからでこそ達成できた偉業でした。もっと誉め讃えられるべき男なんですが、残念なことに巷間ではあまり知られてません。
いずれにせよ1522年のエルカーノの世界一周成功は「大航海時代」の幕開け、口火でした。そして、その後の1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にやってくる。こうして考えると、ヨーロッパ社会から遙かなる極東の日本にまでやってきたのが、なぜバスク人宣教師のザビエルであったのか?がよく理解できます。
バスク人の輝かしい栄光と冒険はその後も続きます。例えばラテン・アメリカで独立運動を指導してベネズエラ、コロンビア、ペルーなどを誕生させたシモン・ボリーバル。またアルゼンチン出身でキューバ革命に携わったチェ・ゲバラもバスク系アルゼンチン人でした。「エルカーノ→ザビエル→ボリーバル→チェ・ゲバラ」と続けば、世界に冠たるバスク人の冒険家、情熱家の系譜を見る思いです。
ちなみにゲバラも被っていたトレードマークの「ベレー帽」はバスクの民族衣装です。バスク人たちがピレネー山脈に住んでいたさいに、厳しい天候に耐えるため、また蚊や蝿、蜂といった虫から頭を刺されるのを守るための帽子だったといわれています。ベレー帽こそはバスクの象徴であり、それが全世界の軍隊で軍帽として採用された。これは「バスク人の勇猛果敢な冒険心に肖りたい」という深層心理かも知れません。まぁ、最近は女性のファッションアイテムとしても利用されていますが(笑)
最後に。坂口安吾の処女作『風博士』にバスクのことが記載されてます。これがまた面白い。ご紹介。
「諸君は南欧の小部落バスクを認識せらるるであらうか?仏蘭西(フランス)、西班牙(スペイン)両国の国境をなすピレネエ山脈を、やや仏蘭西に降る時、諸君は小部落バスクに逢着するのである。この珍奇なる部落は、人種、風俗、言語に於て西欧の全人種に隔絶し、実に地球の半廻転を試みてのち、極東じやぽん国にいたつて初めて著しき類似を見出すのである。これ余の研究完成することなくしては、地球の怪談として深く諸氏の心胆を寒からしめたに相違ない。而して諸君安んぜよ、余の研究は完成し、世界平和に偉大なる貢献を与へたのである。見給へ、源義経は成吉思可汗(ジンギスカン)となつたのである。成吉思可汗は欧洲を侵略し、西班牙に至つてその消息を失ふたのである。然り、義経及びその一党はピレネエ山中最も気候の温順なる所に老後の隠栖を卜したのである。之即ちバスク開闢の歴史である。」
狂人・風博士の遺書の一文です。バスク人は習俗や言語構造が日本人に似ているそうで、それは文化人類学上の謎なんですが、なんと博士は「源義経→ジンギスカン→バスク人の祖先」だから、というんですな。ぼくが「バスク」なるヨーロッパの小地方と民族を知ったのは、この作品に接したことがキッカケでした。以後、ぼくにとってバスクは憧れの地です。